「あれは全然デビューできねぇ賞だ。お前よく残ったな」 作家・桜木紫乃が明かす“5年半つづいたボツ地獄”

2002年、桜木紫乃さんの「雪虫」は選考委員から高い評価を得、オール讀物新人賞を受賞した。受賞から20年。いまや押しも押されもせぬ人気作家となり、節目となる新刊『ブルースRed』(文藝春秋)を上梓した桜木さんだが、じつは新人賞受賞後、人には言えない苦労の日々があったという。

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――新刊『ブルースRed』は、デビュー20年を迎える桜木さんの集大成となる、スケールの大きな作品になりました。

『ブルース』(桜木 紫乃)

桜木 『ブルース』(文春文庫)で影山博人という男を描いたのですが、今回の『Red』の主人公は影山博人の血の繋がらない娘・莉菜。莉菜は博人の血を受け継ぐ一粒種の武博と肉体を契り、あらゆる手段を駆使して武博の栄達を図ろうとします。かつて亡父が支配した釧路を舞台に、博人-莉菜-武博と、血縁とはまったく別の何かで繋がる「親子三代」の運命を描いた物語と言えるかもしれませんね。1冊を通して莉菜に寄り添う中で、最終的には莉菜がこの奇妙な「家族」から解放され、死に場所を見つけるまでを描けたと思います。

 結局、20年書いてきて、「雪虫」の頃と変わってないんですよね。ずっと北海道を舞台に、「いろんなものから解放される女」を書き続けてきたような気がしています。

――20年目のこの機会に、「作家として生き残る秘訣」を伺えたらと思っているんです。2002年の新人賞から、2007年に『氷平線』(文春文庫)で単行本デビューするまで、5年半という時間がかかっていますよね。じつは今日、聞き手を務めている私は、桜木さんが『氷平線』を出した時の編集担当者なのですが、改めてその前後の経緯をお聞きしたいなと。

桜木 33歳頃から地元の同人誌に参加していたんですけど、女の書くものがあまりよく言われない時代で、色恋を書くと「小説ではない」なんて言われて、何を書いたらいいのかわからなくなっていました。そんな時、同人誌の主宰に「商業誌に応募してみたら」と勧められたんですね。

 締切が迫っていて、3日で「雪虫」を書きました。それで新人賞をいただけたので、いけるんじゃないかと思ったのが勘違いの始まり(笑)。3日で書いて賞をもらえるんなら、1週間かけたらもっといい小説が書けるはず、なんて。バカだねぇ。

――受賞後は、どんなふうに書いていったのですか。

桜木 毎週のように30枚の短編を書いて、送っていました。でも、次第に担当さんから連絡が来なくなり、連絡が来ないということは「ボツだったんだな」と思って、また次のを書いて送るということを繰り返していました。さらにバカ。

――ちょうど1年後に、受賞第1作となる「海に帰る」がオール讀物に載っていますね。

桜木 「最初の2枚は要らないから取りましょう」と具体的な提案をもらって、バッサリ削ったことを覚えています。何度かやりとりを重ねて載せてもらって、これで原稿の勘どころがわかった!?……と思ったのに、そこからまたもやボツの連続。5年半の間でオールに載ったのは、「海に帰る」と「水脈の花」の2作だけでした。

いつまでたってもデビューできない理由を知りたかった

――ボツが続いた頃は、どういう気持ちでしたか?

桜木 “ぬか床”の底でどうすればいいのかわからず、途方に暮れていました。自分が本当にダメなのかどうか知りたかったし、いつまでたってもデビューできない理由を知りたかったけれど、誰かに聞けるわけでなし、中途半端な状態でしたよね。

 告白すると、あんまりつらいんで、すばる文学賞に応募してしまったことがあるの。誰も何も言ってくれず、どんな勉強をすればいいのかさえわからなくて、つらくてつらくて、応募しちゃった。そしたら最終選考に残ったんですよ。

「すばる」編集部のKさんから電話をもらって、後で問題になってはいけないと思い「じつはオール讀物新人賞をいただいたことがあります」と打ち明けた。そしたら翌日、また連絡があって、「会議にかけた結果、今回の最終候補は取り消しにします」と。でも、その時、Kさんが電話口で「あなた、絶対に小説をやめないでくださいね」と言ってくれたんです。そこで私も少し冷静になれて、そうか、「すばる」の最終選考に残れたんだし、集英社の編集者が「やめないで」って言うんだから、もう少し頑張ってみるかと思いました。

 同じ頃、文春の羽鳥さんから「写経しなさい」とアドバイスをもらいました。髙樹のぶ子さんの『透光の樹』がとにかくすばらしいからと。約300枚の短めの長編小説なのですけど、白山を舞台に男と女の出会いと別れ、土地の空気、生と死がすべて描かれている。「1冊写したら何かがわかる」と言われて、午前中は自分の原稿を書き、午後は『透光の樹』を書き写すということを続けてみました。2004年、一念発起して初めての長編にチャレンジしていた頃のことで、筆写することが「300枚を書くトレーニングになるよ」と思ってくださっての助言でした。この年に仕上げた長編「霧灯」が、松本清張賞の最終候補に残るんですけれど……。

――補足しますと、松本清張賞(主催・日本文学振興会)はプロアマ問わずの公募の賞で、オール讀物新人賞を受賞したけれどもなかなか本を出せない方が、長編を書いて清張賞から再デビューを期す、という流れが当時あったんですよね。

桜木 清張賞の候補に残った時、同じ北海道出身の文春の編集者である明円さんがわざわざ留萌まで訪ねてきてくれて、「僕は桜木さんの作品が好きです」と励ましてくれたのは嬉しかった。結局、清張賞も落っこちて、つらいのはつらかったんですけれど、時々叱咤してくれる編集さんの言葉、それから羽鳥さんが毎年送ってくれる文春のカレンダーと手帖とが心の支えになっていました。小説がボツで泣くことだけはすまいと思ってたけど、カレンダーと手帖が届くたび「私、まだ忘れられてない」と、こっそり隠れて泣いてたんですよ。

――先が見えない中、担当者もずいぶん替わりましたね。

桜木 私、歴代担当者の数だけは多いの(笑)。クルクル替わるんで名前を覚えられないんです。正直、すごく怖かったですよ。私があまりにダメで、付き合いきれないんだろうな、いつか担当がいなくなるんだろうなと思ってました。

――原稿をもらっても載せられないことが続くと、担当者も気詰まりで、他の編集者ならうまくやれるかもと思ってしまうんですよ。私が桜木さんの担当になったのは新人賞から4年が過ぎた2006年の春でした。その時、出版部の部長になっていた明円に呼ばれ、「必ず桜木さんのデビュー単行本を出すように」と言われたんです。引き継ぎで前任者から段ボール箱を渡されたのですが、箱の中に中編、短編あわせて30本以上の桜木さんのボツ原稿が入っていて、ビックリしました。

「あれは全然デビューできねぇ賞だ。お前よく残ったな」

桜木 明円さんからそんな話が!? でも、使える原稿は1つもなかったでしょう?(笑)

――とんでもない。その時、桜木さんに提案したのは、新人賞受賞作の「雪虫」、その後オールに載った「海に帰る」「水脈の花」の3作を収録するとして、短編集を出すにはあと3作、必要だということでした。そう思って、段ボール箱の原稿を読み進めていくと、いい作品がいくつか眠っていたんです。『氷平線』に収録した「霧繭」「夏の稜線」「水の棺」の原型は、みな箱の中にあったボツ原稿でしたよ。

桜木 そうでしたっけ? 『氷平線』が出たのが2007年の11月だから、06年に単行本を出す計画を聞いて、準備にかけたのは丸1年でしたよね。あの1年が一番キツかったかもしれない。先が見えるような、見えないようなぼんやりした中で、正解もわからないまま原稿を直し続けてましたから。

 今でもよく覚えているのは、2007年の6月25日。葉室麟さんが松本清張賞を受賞された贈呈式の日、新橋の第一ホテルで打ち合わせをしたでしょう。その時、「『水脈の花』を落としましょう」と言ったのを覚えてます? 「やっぱり『水脈の花』は物足りない。代わりにガツンとくる新作を1本書いてほしい」と提案されて、「あ、デビューが危うくなった」と思いました。近づいたはずのゴールが、サーっと遠のいた感じがしたんです。でも、いざ原稿に取りかかってみたら、焦る必要はまったくなかった。あの時ほど担当さんがいる心強さを感じたことはなかったです。「氷平線」という新作を書くことができてよかった。

――『氷平線』が店頭に並んで、お気持ちに何か変化はありました?

桜木 新人賞からの5年半が報われた感じがして、ホッとしました。ただ、本を1冊出すことがいかに大変かわかったので、この先、小説を書いて暮らしていけるようになるとは、まったく思わなかったです。

――でも、他社の編集者から順調に依頼が来ましたよね。

桜木 11月に本が出て、12月に連絡をくれたのは集英社のHさん。のちの『ホテルローヤル』(集英社文庫)の担当者です。ただ、順調ではなかったですよ。集英社からも「こんな原稿じゃ載せられません」と言われて、しばらくボツが続きましたから。何回目かに渡した原稿で、ようやく『ホテルローヤル』の1話目となる「シャッターチャンス」が書けたんです。

 翌2008年、年が明けてすぐ電話をくれたのが新潮社さん。次いで角川さん、小学館さんからも連絡をいただきました。半年間で4社から依頼があったわけだけれど、どの社でも、最初の1本はボツを食らいました。――いい? ここからいいこと言うからよく聞いてね(笑)。

 ボツを宣告される時、集英社のHさんによく言われたのは、「『氷平線』を書いた桜木さんが、この原稿はないです」って。『氷平線』という1冊を踏まえたうえでの仕事をしてもらわないと困る、ということを暗に言われたんです。「書き急がなくていい」「焦らなくていいから、ちゃんとしたものを書いていきましょう」と、各社の編集さんに励まされました。結果として、08年から数年かけて、『風葬』『凍原』『恋肌』『ワン・モア』『起終点駅(ターミナル)』『硝子の葦』『ラブレス』『ホテルローヤル』を、短編と長編の同時進行で書いていったんですよ。

――この時期のお仕事が非常に充実していて、『ラブレス』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、『ホテルローヤル』で直木賞と、文学賞を続けて受賞されました。振り返ってみて、何をやってこられたのがよかったと思いますか?

桜木 自分ではわからないです。編集者として逆にどう思う?

――1つは、『氷平線』が出るまで時間がかかりましたけれど、途中で書くのを諦めなかったこと。そして、単行本デビュー後、文春だけでなく他社の仕事をたくさん引き受けて、しっかり結果を出されたことだと思いますが……。

桜木 人との出会いに恵まれていたので、本当に幸運だったと思います。書き続けていないと運はやってこないよね。100本書けば1本くらいはいいものができるから(笑)。

 20年書いてきて、最近わかってきたのは、オール新人賞出身の作家ってどうやら、他社の編集者に苦労人だと思われてるらしいこと。あるベテラン先輩作家に、パーティの席で「サクラギはどこの(賞の)出身?」と聞かれたことがあるんです。「オールです」と答えたら、「あれは全然デビューできねぇ賞だ。お前よく残ったな」と感心された(笑)。

 たしかに短編の新人賞だから、受賞してもなかなか単行本を1冊出すところまでたどり着けません。田舎でひとりで書いていたので、それだけ生き残る率が低い賞であると知らなかったのは、逆にありがたかったです。オールの新人が本を出すと、たいてい他社から依頼が来ると聞きました。多数の新人賞がある中で、よそから声がかからないと、担当も書き手もつらいよね。

 いずれにしても新人賞をとった方は、他社の編集者が「うちでも書かせたい」と思う1冊を期待されているということです。だけど、賞をもらったからにはすぐに単行本デビューしたいよね……。あぁ、やっぱりオール讀物新人賞はおすすめしないかも。

――そんなこと言わないでくださいよ。

桜木 いや、冗談じゃないんだよ。

(初出:「オール讀物」2021年11月号)

(「オール讀物」編集部/オール讀物 2021年11月号)

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