DA PUMPの「夢の叶え方」ダンスに捧げたKENZO、レコ大で号泣した理由「一瞬で頭が真っ白に」

「DA PUMP」のKENZOさん

ISSAさん、DAICHIさん、KENZOさん、KIMIさん、TOMOさん、U-YEAHさん、YORIさんの7人で活動するダンス&ボーカルグループDA PUMP。「U.S.A.」のヒットで出演した2018年12月の日本レコード大賞で、マイクを向けられたKENZOさんは、言葉を詰まらせました。大学生の頃から「ダンスの天才」と言われ、数百人の生徒を教えていたこともあったKENZOさん。苦労の日々を乗り越え舞台に立ったとき、何を思ったのか? DA PUMPの「夢の叶(かな)え方」を聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)

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ダンスを決めた、幼なじみの死
年明けにスペインで車上荒らしにあったことが話題になったKENZOさんは、ダンスの実力者として知られています。でも実は、中学校までは野球少年でした。部活を引退した後、夜中にテレビを見ていたら、TRFのSAMさんが出演するダンス番組が流れたそうです。

「心の中に衝撃が走って、あ、これだ!と思った瞬間でしたね。テレビしか情報源がなかったので、毎週テレビにかじりついて見ていた記憶があります」

KENZOさんは、すぐに踊り始めました。最初は独学で、駅前のガラスの前で踊ったり、道端で踊ったり。

高校3年で進路に悩んでいた頃、KENZOさんに大きな転機が訪れます。幼稚園からずっと一緒で仲良しだった幼なじみが交通事故に遭い、亡くなりました。

「事故のちょうど1週間前に会って、これからどうするか話したとき、彼は『俺は洋服が好きだから大阪の堀江に行って、古着で日本一になりたい』と言ったんです。じゃあ、自分が日本一になれるもの、好きなものは何だろうと考えたら、自分にはダンスしかなく、『俺はダンスで日本一になりたい』と彼に語った言葉がずっと心の中にあった。俺は、彼の魂の分まで、二つ生きているようなものなので、だからこそ、夢をかなえなきゃ、とがむしゃらに練習したんです」

高校を卒業後、KENZOさんは東京の大学へ進学します。1日に8時間以上踊り、ロサンゼルスに留学するなど、大学生活はダンス一色。やがて数百人の生徒を抱え、舞台やテレビ、バックダンサーの仕事など、ダンスで生活が成り立つほどになったそうです。

数百人の生徒、ダンスの実力者として活躍
大学を出て22歳のときにDA PUMPに誘われ、翌2008年、23歳で加入しました。

「仲間からは『このシーンをどう考えてるんだ』『何百人も生徒がついてきているのにどうするんだ』と止められて、でも、ストリートのシーンからまだ見たことのない場所だったので、正直、葛藤はありました。ストリートダンスを必ず多くの方に伝えられるし、アンダーグラウンドもオーバーグラウンドもないダンスというもので一つになれると思って、悩んで、覚悟を持ってDA PUMPに入ったからこそ、夢は持ち続けてきたし、どんなエンターテインメントを伝えていけばいいのか、必死にもがいてきました」

当時のDA PUMPはヒット曲に恵まれず、グループで活動できない時期もありました。2014年に現在の7人になってからは、全国のショッピングモールを無料ライブで回り、地道に活動を続けました。
その10年間、モチベーションを保てたのはなぜか、と尋ねると――。

「好きだったから。踊ることもライブもDA PUMPも好きだから、そこにいたんです。嫌いなら多分やめています。好きじゃなかったら、歩めない道だと思います」

8年連続世界大会で優勝
KENZOさんは、2017年まで8年連続でダンスの世界大会で優勝したという輝かしい経歴の持ち主です。

2019年には世界大会と国際大会で合わせて13冠を達成。日本大会を勝ち上がって日本代表になったこともあれば、世界大会の主催者側から声をかけられたこともありました。

世界大会では、絶対に負けないという強い意思を持ち、自分を信じて立ち向かう。そのときも、ダンスを楽しむという気持ちは忘れなかったそうです。

「そこには人種や国籍、年齢、宗教も関係もなく素晴らしい空間がある。ダンスが好きだからこそ、ファッションや音楽も好きになったし、それを含めてダンスのライフスタイル全部が好きなので、僕にとってダンスのバトルや大会、アンダーグラウンドの現場は、生きる目標であり、挑戦しに行く場所であり、新しい自分に出会う場所なんです」

レコード大賞で号泣した理由
2018年、KENZOさんが振り付けを担当した「U.S.A.」の国民的なヒットで、DA PUMPを取り巻く環境は大きく変わりました。「寝て、起きたら、この夢はなくなっているんじゃないか」と思うほど、予期しないことが次々に起きたそうです。

この年、最も印象に残った場面は、12月30日夜の日本レコード大賞のステージではないでしょうか。

7人で「U.S.A.」を披露する前にマイクを向けられたKENZOさんは、「『U.S.A.』という楽曲で、ほんとに夢みたいな時間を過ごさせてもらっています。7人で、このステージでみなさんに感謝を届けたいし、21年間ずっと歌ってきたISSAさんと一緒に感謝を届けたいです」などと言いながら号泣しました。

「『みなさんに支えてもらって感謝しています』みたいな、丁寧な言葉を考えていたんですけど、話を振られた瞬間に、一瞬で頭が真っ白になったんです。会場の新国立劇場は格式があって、リハーサルから雰囲気が違ったし、普通のステージとは違うレコード大賞のパワーも感じました。何よりも『U.S.A.』が売れて、たくさんの景色やみなさんの笑顔を見せてもらって、自分たちの歌やダンスに価値を与えていただいたことに感謝しかありませんでした。そして、メンバーで支え合ってきた10年間のことを思い出したら泣いてしまって。音楽やダンスが、こんなにも人を変えてくれる力があるんだと、改めて実感したし、DA PUMPが7人ということも多くの方に知ってもらって、ISSAさんと歩んできた10年間はうそじゃなかった、と思えた瞬間でしたね」

2019年は、日本武道館公演や全国ホールツアー、そして再び日本レコード大賞、紅白歌合戦と、大きな舞台が続きました。ISSAさん以外のメンバーは未経験のステージに次々に立つ中で、KENZOさんは「感謝を届けたかった」と語ります。

「僕らの力だけでは、その景色は見られなかったと思うんですよ。僕らがステージに立てるのは、支えてくれるファンのみなさんやスタッフさんのおかげ。7人で再始動したときからの夢だった日本武道館をはじめ、本当に夢の景色を見ることができた。昔はただダンスを好きで、自分のために踊っていたのが、今はそれに価値を与えてくれる人がいることにすごく感謝しているし、僕らのパフォーマンスで笑顔になってくれる人がこんなにもいてくれるんだと、実感しています」

EXILEのHIROさんの姿
一つの夢を形にした今、次に描く夢は何でしょうか。

KENZOさんは一瞬考えてから、2013年に東京ドームで行われた、EXILEのHIROさんの引退ライブを見て感じたことを話してくれました。

「HIROさんは30歳の頃にEXILEを始めて、40代で引退されたんですけど、その光景を見て、当時はライブもできない状況だったので、僕らも10年、真剣に頑張ったら、ステージに立てるんじゃないか、と夢を与えてもらえたんです。おこがましいかもしれませんが、東京ドームのステージに7人で立たせてもらえたらいいなぁ、というのは、本当に夢ですね。その景色を自分も見てみたいと思えたし、かなえたいと思わせてくれた瞬間でもありました。感謝しています」

「東京2020オリンピック聖火リレー」に参加し、神奈川県内を走ることも決まったKENZOさん。可能性は広がっていきます。

「信じなかったら、夢はかなわない」
最後に、今、夢を抱く10代~20代に助言をするとしたら何を言いますか、と聞きました。
しばし黙って考え込んだKENZOさんは、「信じることですね」と一言。

「夢を信じることは、好きということだし、原動力になるし、自分を変えてくれると思うので。だって、信じなかったら、夢はかなわない。信じなきゃ何も始まらないと思います。信じて、かなえることができたらうれしいし、かなわなくても決して後悔が残らない。経験や価値が生まれると思います」

講演会で話すこともあるというKENZOさんは、「どうしたらダンスをうまくなれますか」と質問されて、どう答えるか、かなり悩んだそうです。

「練習は必要だけど、それだけじゃない。周りと差をつけたりうまくなったりしたいなら、まず、センスを身につける。だけど、これだけでもうまくならないんですね。例えば、手を動かすときに脳からの伝達に0.5秒かかるとか、そういう身体学的な技術を学んで、筋肉をどう動かすとうまく見えるか、きれいに見えるかを練習していかないと……」

話しながら、腕の筋肉を少しずつ動かしていくKENZOさん。ダンスの奥深さを垣間見た気がしました。

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