「僕はダメな視覚障害者」点字が読めず杖も使えない精神科医が、見えなくなって“見えた”もの
『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』が話題になっている、福場将太さん。見えなくなってから見えてきたものについて、丁寧に綴っている内容が多くの人々の心を打っているという。苦労を乗り越えてここまで来たのか……と思いきや、意外にその実態はユーモラスだ。そんな福場さんが今考えていること、世間に伝えたいこととは――
かつては炭鉱の町として知られ、現在では米作りや渡り鳥のマガンの中継地としても知られる北海道美唄市。
自然豊かなこの町の病院に、ギター演奏はセミプロ級のシンガー・ソングライターで、公式HPでは中低音のバリトンボイスでラジオDJをこなし、推理小説までしたためる多才な男性が勤めている。
福場将太さん、本職は精神科の医師である。そしてもうひとつ、彼には特徴がある。完全に目が見えない、視覚障害者でもあるのだ─。
悩む人々の心に響く言葉たち
そんな福場さんがこのたび、初の著書である『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)を上梓した。「見えなくなったからこそ見えてきたもの」について丁寧に綴られた言葉の数々が、目が見えているのに「見えない」と悩んでいる人たちの心に響いた、と各所で話題となっている。
反響を当人に尋ねると、
「美唄市は小さな町ですから、僕の本が大々的に宣伝されている場所があるわけではなく、大騒ぎされた……ということもなくて(笑)。北海道の新聞が取り上げてくれて、それから患者さんに尋ねられ始めたくらいですね。僕の場合、患者さんに助けられていることが多いので、あまり『すごい人』に見られていないところもあります。また、文章を書くことは好きでしたが、ギターや作詞、作曲などと同じく、趣味の延長でしたから」(福場さん、以下同)
と謙遜しつつ、ほぼいつもどおりの日々であることを、優しいトーンで話す。
そんな福場さんに、これまでの経緯と、今回の書籍を通じて伝えたいことを伺った。
点字は読めない、犬が苦手で盲導犬もダメ…
福場さんが来たる運命を告げられたのは、医学生のとき、眼科で研修をした際のことだった。指導医から実習で模擬診察を受けたとき、「網膜色素変性症」と診断された。これは徐々に視野が狭まり、いずれ失明に至るという、指定難病疾患だ。
診断は当たった。その後症状は進行し、精神科の医師として勤務をしていた32歳のときに、福場さんの視力は完全に失われた。
「確かに完全に目が見えなくなったときには、『目が見えない医師なんて自分だけだ。この仕事はもう引退しなくてはならない』と思いましたし、冬の北海道の地を歩くなんて目の見える人だって大変なんですから、悩むことも多かった。
でも、僕はまったく普通の存在だったんです。病院のスタッフに調べてもらったところ、視覚障害のあるお医者さんって、もともと結構いたんですよ。皆さんそれぞれ立派にお仕事をされている。『なんだ自分、普通じゃないか』って(笑)。視覚障害がある医療従事者たちの団体(「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」)もあって、そこに参加することができ、具体的な診察の仕方などを教えてもらいました。目が見えなくなり10年以上たちますが、ここまで楽しく生きてこられたのも、その後、程なく知り合えたゆいまーるの仲間たちのおかげも多分にあると思います」
そして、自分を「ダメな視覚障害者」だと笑う。
「僕は能天気なところがあって、失明するかもと言われたものの、なんとかなるだろうと備えをしなかったので、点字が読めないんです。また、子どものころから犬が苦手なので盲導犬はムリ。そのうえ白杖も、一応折りたたみのものを持ってはいますが、こちらも訓練を受けてきていないので使いこなせないんです」
イメージどおりでない視覚障害者。それが福場さんでもあるのだ。
「確かに、多くの視覚障害者への理解を深めるためには、僕も犬と仲よくできたほうがいいし、点字も読めたほうがいい。杖も使えたほうがいい。でも、こういう人もいる、世の中にはいろんなケースがあるということを伝えていきたいですね」
本書は、確かに感動する言葉が多分に詰まった一冊ではあるのだが、時折挟まれる福場さんの人柄がにじみ出たユーモアセンスに、思わずクスッとしてしまう場面も多い。
例えば、「サラダ油と間違えて台所用洗剤で目玉焼きを焼いてしまい、脅威の味にのたうち回った」「買い物に付き添ってくれる友人に策略でスイーツを買わされる」なんてことも。
「あんまり悲劇的な考え方をする人間ではないんですよ。毎日を楽しく暮らしたい、というか、楽しいことを見つけるのが好き、っていうタイプなんですね。昔から」
そんな生来の性格もあるのだろう。綴られていく日常と思いは、目が見えなくなっていく自分、そして目が見えなくなってからの自分について、まるで第三者のように淡々と観察しつつも、新たな発見があったことにその都度、心から喜びと感謝を感じているかのようだ。
「ある日突然真っ暗になったわけではなく、ゆっくりゆっくり進んでいく病気だったのが、ありがたかったですね。もともとブラインドタッチは得意だったので、PCに読み上げ式のソフトを入れていますが遜色はありません。病院では電子カルテを入力するのですが、スタッフさんたちが僕のために業者さんと打ち合わせをして、うまく入力できるようにしてくれましたしね」
患者さんたちには、むしろ自分が「救われている」とも。
「本当に優しくて、物を拾ってくれたりなど、診察室で僕が手助けしてもらうこともよくあります。若いころは、お医者さんが患者さんに助けてもらうなんて情けない……なんて思っていたこともありましたが、今は感謝しかないですね。診察中にしょっちゅう『ありがとう』って言っています。しかも患者さんって、患者であることに虚しくなったり惨めな気分になっていたりするじゃないですか。そんなときに医師である僕に『ありがとう』って言われると、指導される側に感謝されたというので、すごく喜んでくれるんですよね」
見えてきた「声」
患者さんたちとは、診察中に世間話をすることが多いという福場さん。
「話が盛り上がってしまい、患者さんから『診察は?』なんて聞かれることも。でも、心の医療としては、世間話をしてくれるようになったというのは、とても大切なことでもあるんです」
周囲への感謝の心も「見えてきた」ものだと語る。
例えば、今回の書籍の表紙。人気イラストレーターでもある芸人の鉄拳さんによるものだが「周囲からとても評判がいいんです。でも、僕には見えないんですけどね(笑)。発売前に担当編集者さんから『表紙はこんな感じです』と見本のデータがメールで送られてきたんですが、『見られないんですけど』という(笑)。また、文章の配置も、僕が愛してやまない推理小説の本のように、結論は次のページ……という箇所があるそうなのですが、これも見ることができない。でも、ここまで僕のためにたくさんの人が関わって、動いてくれたということは『見える』。本当に感謝です」
そしてもうひとつ、見えてきたのが「声」だという。
「目が見えない僕にとって、人に対する第一の情報源が声ですから。その声を頼りに全集中し、頭の中でイメージをつくり上げています。僕にはその人の見た目はどうでもいいことなので、その声で、心の年齢をベースにして人間性を判断していますね。わりと正確だと思いますよ。ちなみに、声にはいろんな情報も含まれていますから、気をつけてくださいね。浮気など、やましいことをしている人は、声を聞いただけで僕はわかるんですよ」
え、本当ですか?
「ふふふ……詳しくは語りませんが(笑)」
どんなときでもユーモアを忘れない。そんな多面体の魅力が、福場さんのしなやかさの源なのかもしれない。
福場さんは、「今回の書籍が、楽に生きられるヒントのひとつになれたら」と語る。
「僕は精神科医である前に、一人の人間です。そして、視覚障害者です。人にはいろんな一面があって、いろんな可能性があります。『見える』とは、『視点を変える』ということだと思います。この本がみなさんにとって、今までと違う視点が持てる、心の処方箋となってくれるとうれしいですね」
取材・文/木原みぎわ
11/23 07:00
週刊女性PRIME