衆院東京15区補選 候補者一人一人の横顔は 元職・新人の9人で争う激戦に

衆院東京15区(江東区)補欠選挙には元職・新人の9氏が立候補し、激しい戦いを繰り広げている。投開票は4月28日。9人の横顔を紹介する。(届け出順)

福永活也氏 43 諸 新

三重県伊勢市出身。大卒後、就職するも2カ月で退職。フリーター生活は楽しかったが、父の死を契機に人生を変えるきっかけとして司法試験に挑戦した。

小学校からの同級生の祖父の会社が石巻市にあったことでなじみもある宮城の水産加工業者などの東京電力福島第1原発事故による賠償訴訟などにかかわった。また養育費不払いや著名人に対する誹謗(ひぼう)中傷などの裁判も担当した。

若いうちにしかできないと冒険家としても活動。令和元年に7大陸最高峰を制覇した。3%が死ぬと言われるエベレスト登山も「逆に97%は生き残る」と言い切り、「我慢強さ」を武器に自然に立ち向かう。選挙期間中も2度目のエベレスト登頂に挑戦する。

乙武洋匡氏 48 無 新

先天性四肢欠損症で移動には電動車いすを使う。障害と向き合う姿をつづった著書「五体不満足」がベストセラーとなり、小学校教諭や都教育委員を務めた。「誰にでも等しくサポートをする存在が政治であるべき」とインクルーシブ(分け隔てのない)社会の実現を目指す。

令和4年の参院選東京選挙区に無所属で出馬し、落選。「選挙で掲げたインクルーシブというテーマの注目度が足りなかった」と再び主要政策に据える。

座右の銘は「ユニーク」。「こういった身体に生まれたので自分にしかできない活動をしていきたい」。かつて週刊誌に不倫問題が報じられたことも。「恥じ入るばかり」と反省の弁を重ねる。

吉川里奈氏 36 参 新

小学5年生の時に良性の腫瘍を取り除く手術を受けたことで医療従事者を目指し、大学卒業後、看護師として勤務し始めた。

交流サイト(SNS)で病気で眉毛がない人にも皮膚に色素を注入することで眉や目元などを描く、アートメークと出合い、技術を習得。「人生を彩ることができる」と、これまでに3千人以上施術したという。

政治活動を始めたのは昨年。人前に立って話すことも苦手だったというが、性教育の在り方など教育政策を訴えたいと考え「子供たちの未来のためにやるしかない」と一念発起した。

3人の母で育児に忙しい日々の中でも、汗を流すことが好きだといい、ホットヨガや入浴でストレス解消しているという。

秋元司氏 52 無 元

政治に強く興味を持ったのはベンチャー企業を起こした大学時代、人材派遣の規制が労働市場の壁になっていると感じたこと。法律を変えたいと考え、大学1年生から自民党の衆院選や都議選の選挙を手伝うようになり、政治家を志すようになる。

最初に秘書として仕えた衆院議員を5期務めた小林興起氏を政治の師として尊敬する。「政治家として最後まで成し遂げる精神は学ぶものがある」と政治の原点に据える。

令和元年、衆院議員の任期中に収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されるなどし、今回は無所属での出馬となった。冤罪(えんざい)を主張し、出馬した理由を「政治不信を招いた私自らこれを収めたい」とする。

金沢結衣氏 33 維 新

大学卒業後、大手食品会社でお菓子のマーケティングなどを担当。会社員生活で女性が出産でキャリアを諦めることに問題意識を持った。起業も考えたが、「日本全体で変えるにはどうしたらいいか」と考え、維新の政治塾に通い始め政治の世界へと踏み出した。

令和3年の衆院選に出馬するも落選。有権者と接点を持ち続けるために5年ほど前から約1万6千回、江東区で演説を重ねてきたといい、再度、東京15区から出馬する。

座右の銘は変わらないものを大事にしつつ新しいものを取り入れるという意味の「不易流行」。今までの伝統は守りつつ時代に合わせた憲法改正やデジタル技術を取り入れることが必要と訴える。

根本良輔氏 29 諸 新

価値観が異なる相手と交際する難しさを感じて「恋愛」に興味を持つようになった。当時大学院で学んでいた半導体の研究から興味が移り、恋愛を本などで勉強し始めた。

交流サイト(SNS)上などで「ナンパ師」として活動するようになり、恋愛の教材を販売するなどコンサル会社を立ち上げた。業績が伸びて納税額も増えたことで、税金の使われ方に疑問を抱くようになり、政治活動を開始。

経済は国の根幹と考え、減税や年金制度改革を訴える。

何事も積み重ねることが大事と、免疫力向上のために筋力トレーニングや散歩をしているといい、日課として「1日1万歩」を自身で決めている。

酒井菜摘氏 37 立 新

夢だったという、助産師として働いていた28歳のとき、子宮頸(けい)がんを発症。先が見えない闘病生活の中で、治療費の経済的負担の大きさに疑問を持った。生活の困りごとを解消できる手段として政治を考えるようになり、江東区議選に立候補した。

区議として取り組んだのは子供を持つ家庭の負担軽減。日中にしか取り扱いのない学校指定品の購入が難しい家庭のため、指定品目を減らしたり、経済的負担を考えて区で購入するなど尽力したという。

昨年12月の江東区長選では次点で落選したが、「自分の経験や周囲の女性の声が政治に届いていない」との思いは変わらず、補選への出馬を決意。福祉や子育て支援の拡充を訴える。

飯山陽氏 48 諸 新

大学時代に物事を突き詰めて考えることと話すことの楽しさに魅了され、大学の教員を目指した。難しいからと選んだイスラムの分野に興味も湧き、これまで大学で研究を続けてきた。

政治家と学者は対極にあると考え政治家を志したことはなかったが、既存の政党ではなく日本保守党という新しい政党での政治を行うという姿勢に共感し、「今の政治を誰かが変えなければならない」と決意して出馬を決断した。

趣味は音楽鑑賞で、娘とアーティストのライブに足を運ぶこともあるという。音楽から言語を覚えるといい、洋楽を聞くことが多く、外国の文化を理解し、交流を深めるために外国の国歌を覚えることもあるという。

須藤元気氏 46 無 新

江東区出身。「世の中をよくするには政治」だと学生時代から政治家を目指した。名を上げるために選んだという格闘家時代にも政治信条である世界平和という意味の「WE ARE ALL ONE」を訴え続け、リーダーを務めたダンスパフォーマンスユニットでは世界秩序をテーマに曲を出した。

令和元年、参院議員に初当選し任期中だったが、子供のころから父親に言われている言葉「人生何でも経験」を胸に出馬を決意したという。

国民生活の安定のため減税政策を訴える。政治とカネの問題については政党政治が限界に達しているとし、無所属での当選で「政治を変えるきっかけになりたい」と意気込む。

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