職業差別的な発言で辞職する川勝平太・静岡県知事とその時代について考えてみた

静岡県議会の中沢公彦議長(中央)に退職届を提出した静岡県の川勝平太知事(左)。4月10日、静岡市(時事通信フォト)

 失言から職を辞する人は何人もいたが、独りよがりで唐突な印象を残したという意味では、のちのちまで語り継がれそうな川勝平太・静岡県知事。人々の生活と社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、川勝知事が辞職するに至った失言から垣間見える差別と意識について考察する。

 * * *
「職業差別と同時に、これは人間差別だよね。職業に貴せんはないけど、人間に貴せんはある、川勝さんのこれまでの言葉、行為を見ると、そう考えている人だとこちらも思わせてもらうしかないよね。だからみんな、怒ったんだ」

 筆者の尊敬する恩師、70代の元大学教員が電話口で語ってくれた。事前に4月1日からの10日間の発言と経緯の書き出しをメールで送ったが、彼の口から出たのは職業差別ではなく「人間差別」だった。

「これは根深い問題でね、職業そのものを差別する人って少ないと思うんだ。興味ない、も含めて。その先にある「人間」を差別してるんだね。人間を差別するからその人間の仕事も差別する、どっちが先かの話なんだけど、川勝さんはそういう人だと思われても仕方がない」

 川勝さんとは川勝平太静岡県知事(1948年生まれ、75歳)のこと。選挙公報および静岡県公式プロフィール「ようこそ知事室へ」(当時)によれば、大阪府生まれの京都市出身で洛星高校から早稲田大学、同大院を経てオックスフォード大学に渡り、1985年に博士号を得ている。同大教授を務めたあと静岡文化芸術大学の学長となり、2009年に鳩山由紀夫の民主党、福島瑞穂の社会民主党、亀井静香の国民新党(いわゆるのちの民社国連立政権)の推薦で静岡県知事に当選した。

 以来、4期15年に渡り静岡県の知事を務めてきた。長い、実に長い。すでに民主党はなく、政権もとうに崩壊、政党で「国民」と言えば国民民主党のことを指す令和の世にあっても静岡県は4期、川勝知事を選んできた。その間の「リニア問題」は川勝県政の最重要課題として賛否ある中、取り組んできた。

 しかしその4期15年に渡る川勝県政も、4月1日のこの発言からわずか10日で崩壊となった。

むしろメディアは忖度してきた

 崩壊の発端はこの発言であった。

〈県庁というのは、別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは、牛の世話をしたりとか、あるいは、物を作ったりということと違ってですね、基本的に、皆様方は頭脳、知性の高い人たちです〉

 4月1日の静岡県庁における新人職員に対する訓示、川勝知事は批判を受けた4月2日、記者団に対して、

〈不適切だと思っていなかった〉

〈傷つけたことについては、私の心も傷ついています〉

〈メディアの切り取り〉

とした上で発言の撤回を否定するが、6月の定例県議会をもって辞職するとした。県によれば2日午後5時までに電話やメールなどで430件の批判、この2日の発言によってさらに炎上、5日午後5時までに電話やメールなどで2400件を超える批判が寄せられた。

 元大学教授が語る。

「メディアをかばうわけじゃないけど、この発言に限ればまったく切り取りじゃないよね。むしろメディアは忖度してきたんじゃないかな。これが自民党系の知事ならそうはならないでしょう」

 メディア側としての身内かばいでなく筆者もそう思う。旧民主党系であることが川勝知事を特定団体やメディアが支持してきた理由にあることは確かである。

 しかし今回の一連の発言、どこを切り取っても残念ながら、である。そもそも一連の会見はメディア各社がYouTubeにノーカットで上げている。切り取りはバレる。

 また川勝知事の「不適切発言」は今回だけでなく、とくに2021年の御殿場市に対する〈あちらはコシヒカリしかない〉発言は県議会で辞職勧告決議が可決され、12月の給料とボーナス合わせて440万円を返上することになった。にもかかわらず、のちにその約440万円を返上していなかったことが発覚、50年ぶりの不信任決議案が提出され、1票差で否決という事態となった。

 直近でも3月、磐田市の女子サッカークラブのメンバーに対して〈磐田は文化が高い、浜松よりも高かった〉と発言して揉めたばかりであった。まして〈発言した通りです〉として、

〈磐田に聖武天皇が東大寺を造られて、そのあと国分寺、国分尼寺に作られたわけですね。ですから、それぞれの一番の中心地にですね、国分寺を造ったわけです。それが磐田ですね〉

 と述べた。正直「釈明すべきはそこじゃないだろう」と思うが、その舌先乾かぬうちの発言が4月1日、八百屋(野菜を売るという意味ではスーパーなどの小売、生産農家も入るか)や酪農家やものづくりの人々に比べて県庁の新人は〈頭脳、知性の高い人たち〉だった。

 切り取りと言われるのは不本意なので、発言の1日、翌2日、そして5日の会見、10日の辞職の10日間の発言を書き出す。

 まず4月1日、重なる部分もあるが、発端。

〈県庁というのは、別の言葉で言うとシンクタンクです。えー、毎日毎日野菜を売ったり、あるいは、牛の世話をしたりとか、あるいは、物を作ったりということと違ってですね、基本的に、その、皆様方は頭脳、知性の高い人たちです〉

 4月2日、同年6月を以て辞職の意向。

〈職業差別は皆無です。職業に貴せんはないというのは基本的な考え方です。新規職員として入庁した方々への歓迎と励ましのことばが、何か問題発言があったかのごとき状況になって 本当に驚いています〉

〈公務員として人の役に立つようなことを考えなくてはいけない、しっかり知性を磨いてくださいという意味のことを言った。県知事になり、どの職業の方たちも大切で、県民すべてが大切であるということでやってきたので、もし不愉快な思いをされた方がいれば誠に申し訳なく思います〉

 4月3日の会見。

〈意図せざる形で人が傷ついてると、県議会の皆様方の、県民の方々のご指摘によって知った。ここは大きく反省すべきことだ〉

〈言葉のあや、不十分な表現が、針小棒大な形で批判に結びついてっていう面もあるので。直に話せば分かるというぐらいなんですけども、実際上、難しいのでですね、傷ついた人には申し訳ないという気持ちがございます〉

〈傷つけたことについては、私の心も傷ついていますので、申し訳ないと思っています〉

〈(撤回しないのかの記者の問いに)そうです〉

 この段階では撤回を否定していた。しかし辞職を6月(6月19日)にしたことで発言への批判だけでなく、国家公務員(知事等特別職含む)のボーナス(期末手当および勤勉手当、本稿では便宜上「ボーナス」とする)支給日の基準が6月1日ということで、一部から「ボーナス満額もらうため」という見方をされてしまった。記者にボーナスについて問われ〈自然体でいきたい。そういうことは全く考えていない〉と曖昧な受け答えをしてしまったこともまずかった。また翌4月4日には川勝知事の支持団体である〈物を作ったり〉のスズキ、鈴木修相談役に面会している。

自分に酔ってるんだろうね

 そして4月5日、あらためて会見した川勝知事は一転して発言を撤回した。

〈生業の違いを言ったものです。しかしながら、職業差別と捉えられるかねない表現だというふうになりまして、そしてましてこれが職業差別であるというふうにいま、ご理解されている人が急に増えてまいりました。これは不正確で、そういうご理解をされるようになるならば、これは、そういうご理解をしていただくのは本意ではございませんので、そのくだりを削除いたしまして撤回いたします〉

〈職業差別と捉えかねないのを、捉えた方、がいらして、それで怒ってらっしゃる方がいらっしゃる。不愉快な思いをさせたことに対しましては、まことに申し訳なく思っておりまして、心からお詫びを申し上げます。なりわいの違いを申し上げたつもりでしたが、説明は通じないというふうに言われましたので、通じないのであれば、そのことは申し上げないと。しかし職業差別ではありませんので、職業差別と捉えかねないところは、全部削除して撤退いたします〉

 そして4月10日、川勝知事は辞表を提出した。辞任会見では理由を「リニア問題」として、結局は最後まで発言の責任をとる形は回避した。また会見に先立ち記者団の前で、

〈「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」細川ガラシャです〉

 と記者に向かって笑みを浮かべ、ガラシャ(明智光秀の娘、玉の洗礼名。東軍、細川忠興の妻。関ヶ原の前哨戦において西軍、石田三成の人質要求を拒否して義死)の辞世の歌を一首詠んだ。

 これについては別の元ベテラン議員で短詩文学にも詳しい方に話を聞くことができた。

「細川護熙もこの歌を詠んだ。まあ彼は遠い親戚(細川氏の末裔)だからな。あと小泉純一郎か。自分に酔ってるんだろうね。そういう人ということだ」

 あくまで憶測でしかない話かもしれないがいきなり詠まれても、ましてガラシャの生涯と最期を顧みても疑問でしかない。ましてこれは知事の辞任会見である。

「川勝氏は切り抜きと言っていたが、旧民主党系、反自民ということでむしろこれまで忖度されていたように思う。むしろ甘やかしが過ぎた」

 これは本稿のお二人以外にも言及する有識者もあったが「リニア憎し」でその他をないがしろとまではいかないまでも、リニア反対という錦の御旗があれば何でもいいが常態化してしまったことも要因にあるように思う。手段の目的化というべきか。リニア問題の是非は論じるべきだが15年という川勝県政で何を生み出したかといえば、その年月の長さに比すれば「労多くして功少し」に結果的になってしまった。川勝知事の理想のようにはいかず、その焦りもあったのではないか。これもまた、支持者も含めた多くの関係者の指摘する通りである。

 また個人のパーソナリティーの問題なので慎重を期したいが、やはり時代にアップデートできていなかった点が最大の弱点だったように思う。学歴の良し悪しとその時代のアップデートが無関係であることは、これまでも失言やセクハラ、パワハラなどで公職を去った政治家に顕著に見られるが、あたりまえの話だが「それとこれとは別」という面も改めて認識させられたように思う。そもそもが時代関係なく「そういうことを言うのはよくない」だ。しかし昔はそれで済んだ時代もあったことは確かだが今は違う。社会倫理以前の、ずっとシンプルな人の心の話である。

 ただし「老害」と切り捨てるのは反対で、等しくそうした「人害」があるという話である。長く生きた人はどうしてもアップデートが多くなるため、その「人害」に陥る危険性が高まる。思考のアップデートがなければ、それは言葉となる。

 いずれにせよ、4期15年の結果は最悪の幕引きとなり、4期目の選挙にあっても95万7239票と圧勝(得票率60.5%、2021年)をもたらしてくれた静岡県の支持者の期待を裏切ってしまった。

 職業の先には人間がいる。たくさんの働く現場の人がいる。私たちもまた、業種は違えどそれぞれにそうだ。それを自治体の首長が公の訓示で、そういう人たちとは違って、県庁の新人職員は頭脳、知性の高い人たちと言ってしまっては日本中の現場に生きるプロフェッショナルたちは「そういうことですかい」となるのも当然である。「頭脳、知性の必要な仕事」という職業差別も最悪かもしれないが、この発言は〈頭脳、知性の必要な人〉である。〈人〉とした時点で、自治体の長としては本人の言葉の通り〈早く去ること〉が県民のためだけでなく、社会のためになるのだろう。

 華々しい経歴と成功が、それまでの発言の数々の蓄積と決定的な発言から10日で終わる。筆者はこうした事例のたびに引く言葉(先言者および言い回しは諸説あり)、やはりこの言葉がすべてのように、思う。

〈思考が言葉となり、言葉が行動となり、行動が習慣となり、習慣が人格となり、人格が運命となる〉

【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。

ジャンルで探す