【政界徒然草】自民入りした長島昭久氏 菅長官が誘導 苦渋の選挙区返上 

長島昭久氏(宮崎瑞穂撮影)

 長島昭久元防衛副大臣=衆院東京21区=が6月27日、自民党に入党した。長島氏はかつて旧民進党を離党し、新党結成も視野に無所属の道を選んだが、自ら「生きるしかばね」と語るほど、これまで存在感を発揮できなかった。次期衆院選で自らの選挙区を返上する代償を払ってまで、安全保障政策などで自身に近い自民党の門をたたいた背景には、菅義偉官房長官の存在もあった。
おわびの日々
 7月7日夜、東京都国立市の洋食店。自民党幹部が長島氏を囲み、ささやかな歓迎会を開いた。
 「民主党や民進党では(安保政策や憲法議論で)党内に気を使って窮屈だったでしょう。これからはのびのびと自由にやってくださいね」
 こう語りかけたのは安倍晋三首相(自民党総裁)だ。首相は外交や参院選に話題を振って場を盛り上げ、長島氏は安倍首相に丁寧に謝辞を伝えた。
 今の長島氏は、これまでの選挙区内で自分の選挙ポスターを剥がしてまわっている。同じ選挙区には、これまで戦ってきた自民党の現職議員がいるためだ。長島氏の予定には「おわび行脚」の予定がびっしり詰まっている。
 「申し訳ありません。小選挙区制度では所属政党を変えれば選挙区の変更も余儀なくされます。小選挙区制の先輩である英国でも元首相のチャーチルは保守党から自由党に、また保守党に復党するたびに選挙区を替えたんです」
 長島氏は支援者のもとでこう語りながら頭を下げる。とはいえ、長年、長島氏に期待をかけ、支えてきた支持者の理解は簡単に得られるものではない。
民進党を離れるも…
 長島氏はニューヨークの米シンクタンク「外交問題評議会」で上席研究員を務めた後、平成15年衆院選で旧民主党から出馬し、初当選した。米共和党を中心に培った安保人脈は重宝され、党の安保政策の取りまとめ役を担った。
 しかし、野党転落後に党名を変えた民進党は共産党との選挙協力にかじを切るる。長島氏は、共産党との共闘路線を嫌い、離党して同年9月に小池百合子東京都知事が代表を務めた希望の党結党に加わった。
 ただし、同党は安全保障法制廃止を掲げた民進党出身者を大量に受け入れ、政策のすり合わせが難航。翌10月衆院選で大敗後は民進党出身者が主導権を握り、古巣の同党との合流を模索するようになった。
 長島氏はその頃、首相官邸の幹部に、自民党と憲法改正で共闘できないか相談していた。同党は昨年5月に分党し、長島氏は無所属となった。
新天地は自民党
 長島氏が自民党入りに向けたプロセスを踏み出したのは昨年12月。交渉相手は菅義偉官房長官だった。
 両氏の距離が縮まったきっかけは、2016年11月の米大統領選だった。当時は民主党のヒラリー・クリントン元国務長官の当選が有力視され、長島氏は後のトランプ政権で外交・安保政策の要職を務める人物を菅氏に紹介した。
 長島氏は菅氏の了解を得た萩生田光一幹事長代行らと自民党入りを模索した。ただ、東京21区の自民党支部長は小田原潔衆院議員=比例東京=が務めている。当初、長島氏は小田原氏と21区で戦い、勝者が自民党公認となる主戦論を念頭に置いていたが、自民党側は受け入れなかった。
 長島氏にとって転機となったのが、6月6日の衆院安全保障委員会だ。同委では、国民民主党の前原誠司元外相が岩屋毅防衛相に新たな防衛力整備の指針「防衛計画の大綱」の課題などについて質問した。前原氏の質問は練られたものだったが、岩屋氏を始め官僚らもどこか白けた雰囲気に映った。
 「この質問がいったい何につながるのか。前原さんの姿は今の自分なんだ…」
 その数日後、長島氏は小異を捨てて大同につく決断に至ったという。
 「落ち度のない小田原さんを蹴落としてまで、自分が自民党に入りたいというのは道理に合わない」
 長島氏は萩生田氏に選挙区変更も受け入れる考えを伝えた。萩生田氏もほっとした表情だったという。
 現職の自民議員との競合を避けたことで、長島氏の入党話はスムーズに進んだ。党執行部は都内を念頭に長島氏の選挙区を調整している。
煮え切らない男の返上なるか
 長島氏には「腰が重く、政治決断が曖昧だ」という評価がある。
 昨年5月に希望の党が分党する直前、長島氏は松沢成文参院議員(現・日本維新の会)らが結成する新たな希望の党へ参加する方針を記者団に示していたが、土壇場で無所属を選んだ。
 今回の入党劇も、野党勢力が低迷するさなかに衆参同時選挙の可能性が浮上したため、政権与党へ駆け込んだという見方もある。
 自分の選挙ポスターを一枚一枚剥がす悔しさをバネにしてもらいたい。
(政治部 奥原慎平)

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