《兵庫県知事に再選》斎藤元彦氏が明かしていたX氏との関係「私や前副知事に責任があるとする報道は今も理解に苦しんでいます」

11月17日、斎藤元彦氏が兵庫県知事の職に返り咲いた。不信任案の議決を受けて、9月に知事の地位を追われた斎藤氏が、その直後、「文藝春秋」に本音を語っていた。知事に当選する以前から、パワハラ疑惑などを告発したXさんとは親しい間柄だったことを明かしている。

【画像】元県民局長が作成した「文書」

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Xさんとの関係は当選以前から

 7月7日に亡くなった(元西播磨県民局長の)Xさんとこのような関係になるとは、夢にも思いませんでした。実は、私は知事になる以前からXさんと付き合いがありました。2013年7月から総務官僚として宮城県に出向し、総務部市町村課長と財政課長を務めていた際、東日本大震災復興の応援で兵庫県が職員を派遣してくれました。この派遣事業は兵庫県の人事課が担当していて、その縁でXさんと知り合ったのです。

 それから彼とは何度か会いました。食事を一緒にする機会もあり、非常にざっくばらんで明るい人、という印象でした。もちろん、仕事にもしっかりと取り組んでくださった。3年前に私が知事になった際も、西播磨県民局長になったばかりのXさんが地元のことをあれこれ教えてくれた。とても信頼できる方だったのです。

斎藤前知事 Ⓒ文藝春秋

Xさんから話を聞きたかった

 それだけに、「齋藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」と題された文書の出所がXさんと判明した時は、大きなショックを受けました。

 どうして匿名の文書を不特定多数に送るのか……。改善してほしい点があるのならば、直接「知事、ここは直すべきです」と言ってほしかった。「立場が上の知事にそんなことは言えない」という意見もあると思いますが、Xさんとは10年以上の付き合いだし、県の局長クラスですから、臆することなく進言できたはずです。それなのになぜ……彼ともっとコミュニケーションを取っておけばよかった、という思いは何度も胸に去来しました。

 Xさんが書いたものだとわかった時点で「直接話し合う機会を設ければよかったのではないか」とも言われますが、この文書は、私からすると事実ではないことがたくさん書かれていて、誹謗中傷でしかありません。そう認識して庁内で調査を進めました。Xさんが亡くなった後、識者やマスコミからは、「公益通報であり、法的手続きを取るべきだった」「知事の対応が間違っている」と指摘を受けましたが、あの時点では法律で保護される文書ではないと考えましたし、今もその認識は変わっていません。懲戒事案に該当する可能性が高かったので、私が不用意にXさんとやりとりするよりも、人事担当者が手順を踏んで、調査していく方が良いと考えたのです。

 3月21日から調査を進め、西播磨県民局長を解任して総務部付とし、5月7日に停職3カ月の懲戒処分を下しました。一方、Xさんは4月に県職員公益通報窓口に通報し、6月13日には県議会が百条委員会を設置することを決めました。

 ところが7月に入って、Xさんは姫路市の生家で「死をもって抗議する」と書き残して自死されました。彼は何に対して抗議の意を示していたのか……私はそれを知りたかったし、今もそう思っています。文書を書いた経緯や内容について百条委員会できちんと話してほしかったですが、彼は出席することなく亡くなりました。残念でなりません。

 Xさんからもはや話を聞けない以上、なぜ、あの文書を作成・流布したのか、彼の真意がわかりません。私のどの行為に対して抗議して亡くなったのかもわかりません。にもかかわらず、私の行為がXさんの死と密接に結びついていると報じられています。懲戒処分に不満はあったかもしれませんが、百条委員会でいくらでも話はできたはずです。こういった因果関係がはっきりしないなかで、私や片山(安孝)前副知事にXさんの死の責任があるとする報道は、今も理解に苦しんでいます。

播州弁の厳しい口調

 兵庫県は私の前任の井戸敏三元知事の県政が5期20年続きました。私も役所で仕事を続けてきたのでわかるのですが、長年変化のない組織を変えることはなかなか難しい。兵庫県庁でも同じ雰囲気を感じていて、実際に古くからの職員は保守的です。例えばコスト増を理由に、1000億円以上かかると試算されている県庁舎の建て替えを凍結したときには、職員のほうから「建て替えせざるを得ない」「今まで通りの方向でいきたい」といった意見が出ました。

 兵庫県は、井戸さんがそうであったように副知事から知事になった例も多く、旧態依然とした流れがずっと続いていました。私はそんな県政から脱却したかったのです。

 そこで2021年の就任直後、知事直轄の「新県政推進室」を立ち上げて(23年3月末に廃止)、改革を進める体制を作りました。Xさんとは震災をきっかけに出会ったとお話ししましたが、ほぼ同時期に片山前副知事と前総務部長、産業労働部長、若者・Z世代応援等調整担当前理事とも宮城県で知り合い、関係を築いていました。就任当初、庁内にほとんどツテのなかった私はこの4名を招集して新県政推進室をつくり、動き始めたのです。

 この4名は、Xさんと同じ人事畑出身なんです。Xさんとは昔からずっと一緒にやってきた間柄で、片山さんはXさんのことを「Xちゃん」とあだ名で呼ぶほどでしたから、関係はよかったと思います。

 3月25日、文書について確認するため、片山さんが西播磨県民局を訪ね、Xさんを聴取しました。もともと親しい間柄であり、片山さんも播州弁で口調の厳しいところがありますから、それでバババッと詰問してしまったのは事実です。表現や内容に行き過ぎたところがあったことは、その時の音声データの書き起こしを読んで感じましたし、そこは反省すべき点かもしれません。

(斎藤 元彦/文藝春秋 2024年11月号)

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