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過去記事からわかった東京五輪「本当の理念」 招致の原点にあったのは“あの一家”の気まぐれだった!

《みんなが我慢を強いられている。なのになぜ「五輪」だけは無条件に許されるのか…》(5月7日)

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 日刊スポーツ『記者の目』は続けて書く。

《コロナ禍が収束しない中であえて五輪を開催する意義を、丁寧に説明してこなかったツケが回ってきているのだと思う。》

 では東京五輪の開催理念ってそもそもなんだろう。東日本大震災からの「復興五輪」?

 だとしたら最初に言ったのは誰なのだろう。

 というわけで過去の記事を調べてみました。

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石原慎太郎が東京五輪をやりたかった理由

 2019年3月13日の毎日新聞(大阪朝刊)に「復興五輪の実像」という記事が見つかった。

「復興五輪」は元をたどると2011年6月17日、東京都の石原慎太郎知事の所信表明演説に行き着く。

 この日、「大震災から立ち直った9年後の日本の姿を披歴すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの返礼となるに違いない」と五輪招致への意欲を示した。

 驚くのはここからだ。

 8年経って毎日新聞が取材すると石原は「俺が言い出したんじゃない」と否定。「俺は五輪を復興に結びつけたいとは思わなかった。役人のレトリック(巧みな言い回し)だろ」と。

 じゃあ石原慎太郎がもう一度東京五輪をやりたかった理由はなんなのか?

「俺の招致の動機は1964年大会のリベンジだ」

 え?

 当時、若手作家としてテレビ局のコメンテーターとして国立競技場に通っていたが日本選手の優勝を見ることはできなかった。なので「メインスタジアムでとにかく日章旗を揚げたいと思った」。

 石原は2020年の東京五輪に期待するのは「国威発揚」とも言い切っている。

招致が成功したとたん「復興五輪」は消えていた

 驚いた。2度目の東京五輪招致は「アメリカ国歌を何度も聞いて、本当に悔しかった」という石原慎太郎の個人的な憤慨から始まったのである。

 そこに役人が「復興五輪」と味付けした。たとえば被災地での聖火リレーや五輪宝くじの収益金の分配など、五輪を通じて復興を後押しする“報告書”も作成された。

 ところが…

《13年9月に東京五輪開催が決まると、都が「復興五輪」へ突き進む姿は見えなくなり、報告書はいつしかホームページから削除された。事業が実現したかの組織的な検証もされず、今では五輪関係者でさえ報告書の存在を知る人は少ない。》(毎日新聞・同)

 なんと招致が成功したとたん「復興五輪」は消えていたのである。

 その一因には「海外では原発事故による放射線被害への懸念が強い。復興五輪をアピールするのは逆効果になるとみて、被災地への支援の感謝を示すにとどめ、大会運営力の高さなどを訴えた」という狡猾な戦略も見え隠れする。

 しかしまさに今「大会運営力」が問われているのは皮肉だ。

五輪招致に心が折れた石原を懸命に説得したあの人物

 ここで時系列を整理しよう。

 石原都知事は五輪招致に一度敗れている。「2016年大会」に名乗りを上げたが落選している(2009年)。そのあと「2020年大会」へ動いた。

 実は石原慎太郎は2009年に落選したとき「もうこんなもの、俺はやりたくねぇや」と五輪招致に心が折れていたという。

 すると、

《ぼくは「それはないよ」と必死だった。》

 ある人物が石原を懸命に説得するのである。それは誰か?

 お待たせしました、森喜朗さんです!

 このくだりは『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』(田原総一朗との共著/講談社)に書かれている。

都知事選出馬さえも渋る石原に、森は……

 当時の森は日本体育協会の会長だったが、さらに頭の痛いことが起こる。石原が五輪招致断念だけでなく2011年の東京都知事選にも出馬しないと言いだしたのだ。

「そうなると、オリンピックどころではなく、自民党の政治問題になるわけだ。」(森喜朗)

 必死で説得する森。

 石原は再三の説得に「わかった。やりゃ、いいんだろう」と受け入れた。ある条件と共に。

「その代わり、伸晃のことを頼む」

 石原家の悲願である首相の座。息子の石原伸晃への協力を、オヤジは森に託したのだ。

東京五輪はの主役は石原一家だった

 このあと森喜朗はどういう行動に出たか。2012年の自民党総裁選、森がいた派閥(清和会)からは町村信孝と安倍晋三が出馬したが「オレはどちらも応援しない」と言って森は石原伸晃を支持した。オヤジが都知事選に出馬してくれたお返しのために。

 森喜朗は自慢げに語る。

「すべて東京オリンピック招致のためだったんだ。」

 ああ…東京五輪は復興五輪でも何でもなく石原一家が主役だったのだ。

 慎太郎の個人的なリベンジ(対アメリカ)から始まり、一度はあきらめたが、息子を自民党総裁にするために都知事選にしぶしぶ出馬して招致活動を再開した。復興五輪という理念は役人の後付け。

 そこまでしてもらった息子・伸晃はどうなったか。翌年におこなわれた自民党総裁選の本命とも言われたが失言などが影響して惨敗。安倍晋三が当選し、年末に第二次安倍政権が誕生した。

 私は常々「この10年間の政界は石原伸晃を中心にまわっている説」を唱えている。安倍晋三の復活だけでなく小池百合子や山本太郎の“ブレイク”にも伸晃が大きな役割を果たしている。

 そして遂に石原伸晃は五輪まで招致してしまったのである(※ただし、すべて本人の意図していないところで)。

五輪報道の潮目が変わった

 東京五輪はここまで政治と密接にからんでいた。

 そりゃ菅首相が五輪開催にこだわり、国民を感動させた勢いで衆議院解散という戦略にとらわれても不思議はない。石原慎太郎が五輪開催に求めた「国威発揚」と「総裁選」のどちらも菅首相の解散戦略に入っているではないか。五輪の私的利用は権力者のお約束なのである。

 ただ、ここ1週間ぐらいで五輪報道の潮目が変わったようにみえる。

 東京新聞は演出家の宮本亞門の「罪悪感」を載せた。

《2013年の招致決定当初、「世界一お金がかからない五輪」や「復興五輪」といった発言を信じようとした。これだけ政府が断言するのだから、と。17年には大会の公式イベントの演出を引き受けた。

 しかし大会経費は倍以上に膨れ上がり、福島第一原発事故の後処理も進まない、全て誘致のための架空のものだった。悲惨な現実を見て「何ということに加担してしまったんだ」と罪悪感にさいなまれました。》(5月8日)

 朝日新聞の「天声人語」はここにきて踏み込んできた。

《みなに慎重な行動を促す一方で、東京五輪は開くと言い続けるなら、政府みずから緊張感を緩めているようなものだ。五輪の中止を判断することが、いまや行動変容の必要条件ではないか。》(5月7日)

 なにか世の中が騒然としてきたが、私はまず「東京五輪は石原一家の気まぐれが原点」という拍子抜けの共有を提案したいと思います。

 開催の理念なんて最初から無かったのですから。

(プチ鹿島)

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