メニコン創業者の田中恭一さん(92)が死去 日本で初めて角膜コンタクトレンズを開発 

メニコン創業者で、日本で初めて角膜コンタクトレンズを開発した田中恭一さんが亡くなりました。92歳でした。

田中さんは愛知県出身で、15歳で名古屋市内の老舗眼鏡店に就職。コンタクトレンズの研究に没頭しました。

CBC

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(田中恭一さん・1986年)
「(日本に)なかったから、アメリカでできるなら自分でも作れるんじゃないかと。その頃(1951年ごろ)でも金額にして(アメリカでは)10万円くらいと言っていた」

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自分の目を使って研究を重ねた田中さんは、1951年に日本で初めて黒目だけを覆う角膜コンタクトレンズの開発に成功しました。

その後、1957年にメニコンの前身となる「日本コンタクトレンズ」を設立し、1995年には長年にわたる業界への貢献により藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章しました。

提供:メニコン

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メニコンによりますと田中さんは3月10日、名古屋市内の自宅で老衰により亡くなったということです。92歳でした。

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