阪神・淡路大震災の教訓は能登半島地震に生かされたか? 石川県の被災地で活動した大学病院救急医に聞く 

(夏目みな美アナウンサー)
今回は、この方にお話を伺います。
名古屋大学医学部附属病院の救急科長、山本尚範医師です。
山本さんが医師を目指したきっかけというのが、阪神・淡路大震災だったんですね。

CBC

(山本尚範医師)
はい私が高校1年生の時にこの地震がありまして、非常に強い衝撃を受けて、もう居ても立ってもいられないということで、神戸に伺ってボランティアをさせていただきました。

(夏目)
当時は高校1年生だったということですが、本当にすぐ行動に移されてるんですね。

(山本)
周りの先生方とか友人たちと一緒に「これは何かしなければいけないだろう」ということで、震災で募金を募って皆さんに協力をいただいて震災遺児、親を失った子供たちに配るということ。ボランティア活動を300人ぐらいの組織をつくって、みんなで応援に行ったということです。

CBC

CBC

(夏目)
その後、医師となって今回の能登半島地震ではDMATとして被災地にも行かれています。具体的には、どんな活動をされたんでしょうか?

(山本)
今回は特に高齢者施設を訪ねまして、そこにはインフラがない、人もいない、水もない、お湯もないという状況で暖房もない中で、高齢者の人たちを必死で支えている人たち。その人たちを助け出さなきゃいけないということで、被災地から高齢者を愛知県の県営名古屋空港に搬送するというプロジェクトに関わりました。

阪神・淡路大震災が契機となった「DMAT(災害派遣医療チーム)」

(夏目)
山本医師には被災地に今必要なものや今後の課題などについて伺っていきます。
改めて阪神・淡路大震災を振り返ると、この地震はボランティア元年と言われたり、様々な震災対応が変わるきっかけになったとも言われていますが、どれだけの被害があったのでしょうか。

CBC

(柳沢彩美アナウンサー)
阪神・淡路大震災は今から29年前の1995年の1月17日午前5時46分に発生しました。この地震の規模を示すマグニチュード7.3、震源地は淡路島北部でした。
亡くなった方が6434人、負傷者が4万3792人ということでした。

(夏目)
山本医師が能登半島で活動されたDMAT(災害派遣医療チーム)も阪神・淡路大震災がきっかけでつくられたものなんですね。

(山本)
はい、これは阪神・淡路大震災で救える命を救えなかったっていう反省から、DMAT災害医療という分野が生まれてきたんです。

CBC

(夏目)
具体的には、どのような状態で医療が被災地に届かなかったんでしょうか?

(山本)
例えば、この時は神戸大学は意外と大丈夫だったんですが、そこに患者さんはあまり来ない状況で、逆に被災地の病院に集中してしまうとか、あるいは倒壊した建物に挟まれてしまって「クラッシュ症候群」と言いますが、筋肉が溶けてしまい、そこから腎不全になって心肺停止に陥るという患者さんがたくさんいらっしゃいました。
そういう助けられる命を外に搬送する仕組みもありませんでしたし、当時は自衛隊との連携、警察や消防との連携ということもできないという状態でした。

(夏目)
この阪神・淡路大震災は大石さんも現地で取材されたんですね。

阪神・淡路大震災の教訓は生かされたか?

CBC

(大石邦彦アンカーマン)
そうですね、私は入社1年目だったんですけれども。地震発生から10日ぐらい経って現地に入って1週間ほど取材を重ねてきました。現地に行って驚いたのは、もうとにかく怪獣のようなものがやってきて街を破壊したんじゃないかと思うぐらい目茶苦茶だったんですね。
阪神高速道路が倒壊してバスが落下寸前で止まっていたり、こういう状況が至るところに広がっていました。古い木造住宅は地震にもろいというのは知っていたんですけれども、コンクリートには安全神話があったんですね。
ところが、コンクリートの建物がもろくも崩れていた。
そして、コンクリートの中にある鉄筋が、むき出しになっているのを見て、本当に驚きました。やはりコンクリートでも耐震をしなければいけないんだということを改めて痛感した、そんな取材でしたね。

(夏目)
大石さん、私達は阪神・淡路大震災から多くの教訓を学びました。その教訓というのは現在活かされているんでしょうか?

CBC

(大石)
そうですね、そのあたりを見ていきたいんですけれども、あれから29年が経ちました。
まず避難所から見ていきましょう。阪神・淡路大震災の避難所にも行きましたけれども、間仕切りなどはなくてプライバシーは保たれていませんでした。
今は、間仕切りなどは段ボールでできています。場所によっては、テントなども使われています。

そして物資なんですが、当時は義援物資という言い方をしていました。これが全国から集まったんですが、集まり過ぎました。中には使えないものもあったり、賞味期限切れの食料もあったりしたんです。この物資があまりにも多かったので、仕分けに多くの人手が必要だったため混乱していました。
今はどうかというと「物資は個人で送るのはやめてください」と呼びかけたりして、物資のコントロールがある程度可能になっている。このあたりがだいぶ違うなと思います。

(夏目)
山本さん、そのあたりは現地で避難所をご覧になっていかがでしたか?

CBC

(山本)
確かに大石さんが言われたように、そういった改善が30年前よりはあるという一方、今回「チャント!」でも報道していただいていますけれど、道路が悪かったということで対応が少し後手に回ってるところがあるんですね。
ですので例えば、民間のヘリコプターが先に食料の配達ができているけれども、なかなか公のものが届かないとかですね、それから段ボールベッドみたいなものも今はあるんですが、それの搬入も1週間ぐらい遅れているというようなことがあります。
新しい災害、過疎地・山間部での災害に対して、まだ弱いところがあるなということを今回感じました。

(夏目)
避難所で言いますと、災害関連死を防ぐという意識も当時と今では、だいぶ変わったのかなと思うんですがいかがでしょうか?

CBC

(山本)
そうですね、一つ大きな違いは阪神・淡路大震災の頃に比べると、かなり日本の高齢化が進んでいるわけですね。ですから避難所でも弱い方が増えているんです。私が行った福祉施設も放っておけば1週間で次々と人が死んでしまうのではないかというような状況だったんですね。そういう意味では、超高齢化社会における災害というものに、我々がどう立ち向かっていくのかという新しい課題、これが今突きつけられていると思います

(夏目)
避難所では感染症対策も課題となっています。そのあたりはどうでしたか。

(山本)
これは残念ながら新型コロナやインフルエンザというのは流行ってしまっていて、あっという間にやはり広がっていくんですね。
今は少しずつ前よりは良くなってきていますが、これも水がないという状況だと手洗いが十分にできなかったりして、ノロウイルスなども極めて流行っている状況です。
ですので、改善はされているんですけれど、まだ見直さなければいけないところが色々とあるのではないかなと思います。

124時間ぶりの「奇跡の救出劇」で生かされた教訓

CBC

(夏目)
大石さん、避難所以外で教訓というのは生かされているんでしょうか?

(大石)
そうですね、やはり耐震化だと思うんですね。あれから29年で進んだのかどうかなんですが、阪神・淡路大震災の死因は「建物の倒壊などによる窒息・圧死」が全体の8割近くあったんです。では能登半島地震はどうかということですが、死因が公表されている42人のうち38人は家屋倒壊によって亡くなっている。これは9割近い数字です。
ちなみに、石川県珠洲市の耐震化率は51%(2018年度)、やはり耐震化がいかに大事かというのを物語っている数値かと思います。

(夏目)
山本さん、建物の倒壊だと命を救うのも難しくなってくるということですね。

CBC

(山本)
珠洲市や輪島市の方は木造住宅が多くて、非常に激しく潰れているところがあります。そういった所ではなかなか救命が難しかった。

ただ一方で、我々が行った珠洲市でも124時間ぶりに90代の女性が瓦礫の下から運び出されて助かったという事例がありました。
この時は我々医師団も、いわゆる「クラッシュ症候群」筋肉が溶け出して心停止に陥るということを知っていましたので、瓦礫の下にいる時点から点滴を大量に行って腎不全にならないようにしていたと。
そういったところでは少し改善は見られたということだと思います。

(CBCテレビ「チャント!」 1月17日放送)

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