「まだまだ大変な人がいっぱい」カメラマンが見つめる奥能登 能登半島地震からまもなく4か月

能登半島地震の発生から間もなく4か月。冬から春へと季節が移ろう中、被災地の奥能登に駐在するJNNのカメラマンが地域を見つめてきました。

MRO能登支局 保蔵篤史カメラマン(1月)
「僕の親戚の家です。帰省していたいとこやその子ども4人が生き埋めになって、小学生の子が亡くなりました。年賀状が届いていて、6年生になりますって。まだまだ大変な人がいっぱいいる、その人のことを伝えていきたい」

地震から3か月が過ぎました。穴水町の「のと鉄道能登鹿島駅」。ホームに入ってくる列車と、きれいな桜の映像を届けることも毎年決まった私の仕事です。

MRO能登支局 保蔵篤史カメラマン(今月13日)
「(Q.どうやった?)もう1回。あんまりよくなかった、人が多すぎて」

地震で被害を受けた、のと鉄道。懸命な復旧作業が連日続きました。列車の運行再開、桜の季節に間に合って本当に良かったです。

「変わらない景色でよかったなって」
「すごくきれい」

MRO能登支局 保蔵篤史カメラマン
「前と同じ能登が今年も見られるよ、というのは伝えたいかなって。いつもどおりみたいな感じがして」

震災以来、ずっと気にかけている人がいます。輪島市門前町、山あいの集落に暮らす岡山繁さん(82)と妻の久子さん(77)。2頭の能登牛を飼育していて、ここを離れられません。

地震で自宅は全壊。無事だった米蔵で生活を続けていて、いまだに電気・水道が使えません。

岡山久子さん(1月)
「(Q.ここを出ないのは、なぜですか?)頑固やからやね」
岡山繁さん
「頑固なだけじゃ住めないでしょ。生活させてもらったこの土地から姿を消すってことはできないです。ここに骨をうずめます」

岡山久子さん(今月13日)
「(Q.ご主人は?)体調ひどくなって寝込んでいるんです。朝ごはんも食べないし」

ご主人に代わって牛の飲み水、運ばせていただきます。

岡山久子さん
「私は牛の世話をしたことないんです。じぃじが出てこないから私がやっている。娘は金沢に来いっていうんやけど、わしは絶対動かんて。1人でいても何もしない人や、ラーメン作ることも知らん。この桜、もっといつも満開になるんやけど、地震のせいか、いいのに咲かんね。ここ出て眺めるのが楽しみだったけど、パッとしないね」

MRO能登支局 保蔵篤史カメラマン
「よく耐えてるなって感じですね。まだまだ、そういう人がいっぱいいる」

また、岡山さんに会いにきたいと思います。

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