《上皇さまと約束の地へ》美智子さま、寝たきり危機から奇跡の再起 胸中にあるのは38年前に成し遂げられなかった「韓国訪問」へのお気持ちか
わずか1か月半前に手術を受けられた美智子さまが、立ち上がって、自らの足で歩かれる姿は驚きをもって受け止められた。つらいリハビリに励まれ、驚異的な快復を見せられた美智子さまの胸中には、かつて訪問が果たせなかった「約束の地」へのお気持ちがあった。
日本と韓国の間で「基本関係に関する条約」が結ばれて国交が正常化したのは、1965年のこと。それから60年の節目を来年に控え、いまでは両国を年間900万人以上が往来している。だが、飛行機でわずか2時間足らずの“いちばん近い隣国”は、美智子さまと上皇さまにとっては途方もなく遠い地だった──。
美智子さまは11月16日、薨去された三笠宮妃百合子さまの弔問のため、上皇さまとご一緒に三笠宮邸を訪ねられた。同じ赤坂御用地内とはいえ、ご移動には車を利用。車寄せで車を降りた美智子さまは、黒い杖をつきながら、自らの足で歩かれた。
「もちろん、決して軽い足取りではありませんでしたし、上皇さまの助けを借りていらっしゃいました。ただ、手術から1か月半しか経っていないなかで、車椅子を使用されていなかったことにはとても驚かされました」(皇室記者)
美智子さまがお住まいの仙洞御所で転倒され、右大腿骨を骨折されたのは10月6日だった。翌日東大病院に入院し、転倒から2日後の8日早朝に大腿骨の骨接合術を受けられた。
「手術もリハビリも早いに越したことはありません。高齢での脚の骨折は、その後の生活に大きな影響を与えます。痛みがあるからと寝ているとすぐに筋力が低下し、そのままでは“寝たきり危機”にさらされます」(整形外科医)
一説には、1日ベッドの上で安静にしているだけで、1~3%筋力が低下するとされる。海外のデータでは、大腿骨骨折から1年後には、6割が移動や食事、排泄といった日常動作のどれかができなくなっていたという。
「そういった予後の実態をご存じだった美智子さまは、手術翌日にはリハビリを開始されました。朝夕2回のリハビリ時、上皇さまから励ましの言葉をかけられることもあったそうです。早くもご自身の足で力強く歩かれているのは奇跡的な再起と言える。美智子さまが壮絶なリハビリを乗り越えられた結果なのでしょう」(前出・皇室記者)
「公式訪問」はできない
当面の美智子さまの目標は、毎年1月2日に皇居・宮殿で行われる新年一般参賀に、車椅子なしで参加されることだとされていた。だが、美智子さまはその先に、壮大な目標を見据えられているのかもしれない。
来年、日本は外交上ひとつの節目を迎える。日韓国交正常化60周年だ。芸能を中心に韓流文化は日本で受け入れられており、韓国旅行をする人も少なくない。ところが、美智子さまはこれまで一度も、韓国を訪問されたことはない。
上皇さまは在位中から、美智子さまとご一緒に、先の大戦の「慰霊の旅」に心を砕かれてきた。国内では長崎、広島、沖縄。海外では戦後60年の2005年にサイパン、戦後70年の2015年にパラオ、その翌年にフィリピンを巡られてきた。その旅の「空白地点」が韓国だった。実は即位前の1986年、ご夫妻の韓国訪問が予定されたことがある。だが、直前に美智子さまが子宮筋腫の手術をするため入院を余儀なくされ、取りやめになった。
「上皇さまのお気持ちに寄り添われていた美智子さまは、ご自身の手術のために訪韓が取りやめになったことを心苦しくお感じでした」(宮内庁関係者)
上皇さまの学習院時代のご学友で、元共同通信記者の橋本明氏は生前、本誌・女性セブンの取材に「(訪問が取りやめになってからというもの)両陛下は韓国訪問への思いを日増しに強くお持ちでした」と明かしていた。幻の訪韓計画の3年後、昭和天皇が崩御し、平成の世が始まった。美智子さまは皇后となられ、訪韓への壁は一気に高くなった。
「象徴として韓国を訪問したいというお気持ちでも、長らく続く対日、対皇室感情は複雑で、時の天皇と皇后の訪韓は実現できるものではありませんでした」(前出・宮内庁関係者)
月日が経ち、ご夫妻は上皇と上皇后になられた。公務の第一線から退かれた一方で、38年前に成し遂げられなかった約束の地へのお気持ちが、日々増していてもおかしくはない。
「日韓関係はここ数年で大きく改善しています。9月に岸田文雄前首相が韓国を訪問した際には、ユン・ソンニョル大統領と、国交正常化60年を契機に関係の改善を両国の国民が実感できるようにするという認識で一致しました」(全国紙政治部記者)
その盛り上がりが、ご夫妻の訪韓を現実的にする。それでも一筋縄ではいかない。
「国交樹立の周年行事となれば、公的な性質を帯びます。すでに公務に一線を引かれている上皇ご夫妻が、『公式訪問』するわけにはいきません。ただ、私的な訪問であれば可能性はあります」(別の宮内庁関係者)
鍵を握るのは、美智子さまの母校だ。美智子さまは聖心女子学院の中高、そして聖心女子大学で学ばれた。大学卒業翌年の1958年に、「聖心世界同窓会第1回世界会議」の日本代表としてベルギーを訪問されたこともあるほどの“聖心っ子”だ。
そもそも聖心女子は「聖心会」というカトリック女子修道会が母体。世界42か国に200校以上の教育機関を構えており、その1つが、韓国・ソウルにある「聖心女子高校」だ。美智子さまが卒業された聖心女子学院とは姉妹校で、毎年、生徒が互いに訪問して交流を図っている。その交流の延長上に、美智子さまが立たれたこともある。
「1999年の夏に日本で開催された聖心の同窓会に、ソウル聖心女子高校のOGが参加しました。美智子さまはその場で、“日本にはいついらっしゃいましたか、もう慣れましたか?”と、積極的に交流を図られていたといいます」(聖心関係者)
公的な訪問はできなくても、聖心のOGとして私的に足を運ばれる道は、まだ閉ざされていないのだ。
「韓国は人口の3割がキリスト教徒といわれており、ソウルの聖心女子は立派な聖堂を持つ韓国でも有名なミッションスクールの1つです。皇后という立場を離れた美智子さまが、ミッションスクールの卒業生としてその姉妹校を訪問するのであれば、韓国側の受け止め方も違う。“母校”を訪れるという名目で、ご自身の足で約束の地である韓国に──もちろん、そのお隣には上皇さまのお姿があるでしょう。
退位以降、ご夫妻は常にご一緒に行動されています。美智子さまのご用事だったとしても、訪韓に上皇さまが同行されることへのハードルは下がる。そうすれば、ご夫妻の悲願は達成されるのです」(前出・別の宮内庁関係者)
日本と韓国の“距離”が縮まる1年が近づいている。
※女性セブン2024年12月5日号
11/21 11:15
NEWSポストセブン