《重い病気を持った子を授かった夫婦の軌跡》医師は「助からないので、治療はしない」と絶望的な言葉、それでも夫婦は諦めなかった

2018年9月、医師の説明に疑問を抱いた笑さん・航さん夫婦は、割り切れない気持ちでいっぱいになった

「18トリソミーの子は、体が弱いので手術に耐えられません」「うちの病院では手術はしません」──検査を終えて診察室に移動した夫婦に、医師はそう言い放った。妻は絶望的な気持ちになったが、同時に医師の冷たい言葉に反発を覚えた。そして、夫婦はいくつもの山を乗り越えていくこととなる。小児外科医で作家の松永正訓さん(62才)は、この夫婦の物語を『ドキュメント 奇跡の子』(新潮新書)としてまとめた。夫婦の歩んだ軌跡を通して、“我が子に対する家族の愛情”について考えてみたい。【前後編の前編】

【写真】いくつもの山を乗り越えてきた笑さん・航さん夫婦、そして希ちゃん。ベビーカーに乗った姿

「女性の名は、笑さん。笑さんはSNSに我が子のことを綴っていました。愛情あふれるその言葉は、読み手を優しい気持ちにさせるものでした。私はこのご夫婦から話を聞き、家族の結びつきについて考えてみたいと思いました」

 そう語るのは、小児外科医で作家の松永正訓さんだ。

 松永さんは大学病院の医局で19年間、開業医として17年間、子どもたちの治療を行ってきた。その間、先天異常を持って生まれた赤ちゃんや小児がんの子どもたちの手術も数多く行ってきた。単に医療を施すだけでなく、その家族の進む道を支え、深いかかわりを持ってきた。

 診療の傍ら、「障害児の受容」をテーマに執筆活動を行ってきた松永さんは、笑さん夫婦から話を聞き、それを『ドキュメント 奇跡の子』(新潮新書)という一冊にまとめた。

「病気を持った子どもを授かったときに、家族はどう生きるかを問われることになります。重い病気の子を生まれる前に諦める家族もいます。生まれた後に病気の重さに心が耐えられなくなって我が子の命を諦める親や、病気を受容できない家族もあります。

 高齢出産が進み、授かることができる子どもの数が少なくなっていますが、その数少ない我が子に病気や障害があっても、その命を大事にしようとする夫婦が以前に比べて増えている気がします。

 今回、笑さん家族を通して、“我が子に対する家族の愛情”を信じてみたくなりました。ご家族はある意味で『特別』かもしれませんが、その『特別』の中に、何か『普遍的』なものが含まれているように思うのです」(松永さん・以下同)

 長時間のインタビューを通じて語られた夫婦の軌跡を、松永さんの解説を交えながら辿ってみたい。

(以下、《 》内は『ドキュメント 奇跡の子』からの引用)

「妊娠を継続しますか?」

《「これが超音波の写真です。ここが赤ちゃんの胸の中。ぐちゃぐちゃした塊りがありますね。これは腸です。お腹の中の腸が左の胸の中に入り込んでいる横隔膜ヘルニアの状態です。横隔膜に孔が開いているため、こうなっているわけです」

「……」

 笑たちは説明の続きを待った。

(中略)

「両腕の肘から先が短く、曲がっています。また脈絡叢囊胞といって、脳の一部に少し水が溜まっています。こういうときに考える疾患は18トリソミーです。つまり染色体異常です」

 笑は胸が重くなった。

「このあと、どうなるのでしょうか?」

 思わず聞き返すと、医師は硬い表情のまま続けた。

「18トリソミーの子は、体が弱いので手術に耐えられません。それどころか、生まれてすぐに呼吸ができなくて命が果てるかもしれません。よってうちの病院では手術はしません」

(中略)

「では……では、死ぬために生まれてくるようなものですね?」

 医師は答えなかった。その代わり、質問を返してきた。

「妊娠を継続しますか?」

 胎児は20週になったところだった。21週6日までなら中絶が可能だ。

「中絶した方がいいのでしょうか?」

 問い返すと医師は、「それは家族で決めることでしょ?」と淡々と言った。》

 トリソミーには3種類あり【*】、笑さんが授かったのは18トリソミーの子どもだった。医師の一連の対応について松永さんはこう語る。

「妊婦さんに過剰な期待を持たせてはいけない。そう思って、あえて厳しい言い方をする医師もいます。この医師もそうだったのだと思います。

 また、子どもが13トリソミーあるいは18トリソミーの場合、手術を一切しない、という方針の医療施設が多いのも事実です。

 こうした“従来型”の医師や医療施設の姿勢に心くじけてしまう人が少なくありません。ところが、笑さんは違いました。絶望的な気持ちを奮い立たせたのです。

『予後(病気や手術の後、どの程度回復するかの見通し)が悪い』とか『亡くなる可能性が高い』というのは医者側のロジックであって、自分には納得できない。病気を持って生まれてくる赤ちゃんに対して、何も治療しない方針なんてあり得るのだろうか。なんとかしたい、と強く思ったのです」

【「トリソミー」とは先天性の染色体疾患で、「13トリソミー」「18トリソミー」「21トリソミー」がある。「18トリソミー」は18番目の染色体が3本ある状態で、3500~8500人に1人の割合で生まれる。18トリソミーの受精卵は着床しても94%が流産・死産になり、生まれてくる確率は6%といわれている。生まれながらの合併奇形は脳や心臓だけに留まらず、多数の臓器に及ぶ】

 自営でオフィスを構えていた笑さんは、勉強好きで普段から調べ物をするのが得意だった。そこで、「18トリソミー」の情報を自ら集めることにした。

 しかし、調べれば調べるほど、「積極的な治療はしない」「看取りだけを行う」といった言葉が目についた。医療から見放された病気であると思った。

 が、それでも笑さんは先に進み続けた。

「笑さんは『ネガティブな感情を口にしたり向き合うのは、時間のムダで意味のないこと』と言って、愚痴をこぼすことはありませんでした。そうした笑さんを支えたのが、夫の航さんです。航さんは飄々とした性格で、なんでも受け入れる人でした。笑さんをフォローし、包み込むような感じです。

 おふたりの話を聞いて実感したのは、困難が次々と現れても、夫婦の意見がズレたことは一度もなかったということです。この夫婦だから頑張れたんだと思いました」

《18トリソミーで横隔膜ヘルニア。こうした赤ちゃんを治療してくれる病院はないだろうか。笑は必死で検索した。18トリソミーの子を育てた親のブログがけっこう見つかる。体験談は心強い。淡泊な医師の説明よりも、はるかに心に響く。必死になって我が子を育てている同じような境遇の親がいることが、それだけで心の支えになった。》

 笑さんはあるブログと出会う。「さくらちゃんのママ」が書いたものだ。さくらちゃんは18トリソミーで横隔膜ヘルニアで、「手術を受けた」と書いてある。

《そのブログには病院名が書かれていなかった。笑は過去に遡ってどんどんブログを読み進めた。深夜になっていた。

(中略)

「○○病院」としか書かれていない。病院の中にはタリーズコーヒーがあるとの記述があった。しかしそれでは探しようがない。一体どこだろう?》

 笑さんはわずかなヒントをたぐり寄せながら、結局、その病院の特定に至るのだが、一連の行程は、松永さんの著書のタイトルにある通り「ドキュメント」だ。

「妊娠は継続します」

 その後、笑さんは先に述べた病院で羊水検査を受けた。診察室で硬い表情の医師から説明を受けた。

《「診断は18トリソミーです。これで確定です」

「……」

 笑は何も言えなかった。しかし、別にショックはなかった。そんなことは前回の超音波検査ですでに分かっている。今さら確定と言われても動じなかった。

(それがどうした)

 笑は冷静だった。18トリソミーであろうがなかろうが、私たち夫婦の可愛い赤ちゃんには変わりがない。20週になってもお腹の中で生きているなんてすごいじゃないか。なんて強い子なの。笑は、親として子どもにできる限りのことをしてあげたいと心の中で声を上げた。

 医師はそれ以上、何も説明しなかった。そして質問を浴びせてきた。

「どうしますか? 妊娠は継続しますか?」

「継続します」

 笑がそう言うと、医師は電子カルテのPCに向かって文字をカタカタと打ち込んだ。「妊娠継続を希望」と書いているのが見えた。》

 そして今度は、医師の態度を冷めた目で見ていた笑さんが「転院」を切り出した。

 転院という言葉を出すと、医師は「え、うちで生まないの?」と軽く身を乗り出してきた。笑さんは、これで医師は気が楽になったのだろうと思ったという。

「医師にもよりますが、経験を積んだ医師ほど“先が見えてしまう”ということがあります。だから、これ以上、妊婦さんを苦しませるよりは……と思ってしまうことがある。

 その点、若い医師ほど懸命に命を助けようとする。若い医師は純粋なので、医師の義務範囲を超えて、それ以上の力を出そうとする。

 どんな医師や医療施設を選ぶかはとても大切です。笑さんご夫婦は自ら病院を選び直し、転院先でそうした医師団に出会えたのです」

 その翌週、夫婦は新たな病院に向かった。診察室に入ると、カラッと明るい雰囲気の女性医師が待っていた。

《「前の病院では(中略)治療をしても助からないので、治療はしないという説明でした。私たちは納得がいかないんです」

 女医はすぐに軽やかな声で返事をした。

「18トリソミーに関係なく、普通のお子さんと変わらず、その子に最もふさわしい治療を行います。それでよろしいですね?」

 笑の心はパッと明るくなった。心の中で(えー!)と叫んでいた。

「ご存知かもしれませんが18トリソミーは、治療しないと1年生存率が10%です。でも、治療をすれば30%になります。さらにうちで治療をすれば50%になります」

 今度は(えええーーー!!)と叫んでいた。

 病院によってここまで対応も、治療成績も違うのだ。笑には衝撃的だった。お腹の子が生存の方の50%に入るかどうかは分からない。だけど、少しだけ希望を持つことができる。最大限の治療を受けて、できる限りのことをやってもらったら……もし命が果てたときに受け入れられる……かもしれない。

 笑と航は医師に「これからよろしくお願いします」と頭を下げた。》

後編につづく)

【「障害」という表記については多くの議論がある。「害」という字を含まない「障がい」という表記や、「障碍」(「個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること」デジタル大辞泉より)という表記もある。本記事では、「障害とは、人と社会の接点で生まれるものであり、障害の原因は社会の側にあるのであるから、言葉をぼかす必要はない」という松永さんの考えに沿って「障害」と表記する】

【プロフィール】
松永正訓さん/小児外科医・作家。1961(昭和36)年、東京都生まれ。『運命の子 トリソミー』(第20回小学館ノンフィクション大賞)、『患者が知らない開業医の本音』(新潮新書)ほか著書多数。

※女性セブン2024年5月2日号

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