桜木紫乃「60歳前後の夫婦には、次々と問題が降りかかってくる。これまで知らなかった夫の側面と向き合うことも」
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原点回帰でリベンジを
今回のヒロイン・赤城ミワの背中には、アイヌ紋様の刺青が鮮やかに広がっています。実は、単行本デビューする前からずっと書きたいと思っていて、何度か挑戦していたんです。作中、娘を守るため、父親が娘の背中に彫り物を入れています。我が子に意志を背負わせる、という象徴的な意味でもあります。でも、何度書いてもボツでした。当時の私の力量では、筆が追いつかなかったんですね。
そのヒロイン像がずっと頭の中に残っていて、今回、当時の担当だった編集とのタッグということもあり、頼み込みました。「原点回帰でがんばりますので、もう1回書かせてください」って。今回の表紙カバーに使われた作品を作って下さった、アイヌ紋様デザイナーである貝澤珠美さんと知り合えたことも大きかったです。
一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりしているうちに、忘れられない言葉も聞くことができました。彼女いわく「シサム(和人)にもいろんな人がいるでしょう? アイヌにもいろんな人がいるんです」。ああ、と思いました。これ、書かなくちゃって。それで、20年前の自分に問う気持ちも生まれて『谷から来た女』を書きました。
ヒロインの背中の彫り物はエゴであり愛であり、自分を知る手掛かりでもある。背中は、自分で眺めることの出来ない場所でもあります。その解釈は読んでくださった方それぞれの胸に委ねますが、30代の頃よりは上手く書けたんじゃないかと思います。若いときは、とかく恋愛の話にまぶしがちでしたけど、還暦を目前に、この年齢ならではの1行が入ったような気がします。長年の思いが1冊にまとまって誰かの手に届くなら、こんなに嬉しいことはありません。
書くことが辛い時期を乗り越えて
今回の本もそうですが、今は小説を書くことがとても楽しいです。正直な話、48歳のときに『ホテルローヤル』で直木賞を受賞してからの数年間はちょっと辛かった。直木賞をいただいた後、「今後はよりエンタメ要素を強くして書いていかないと、プロとして3年持ちませんよ」という言葉も聞こえてきて、ドキドキしているうちに書くことが苦しくなっちゃって。
「書きたい」という私はいったいどこに行っちゃったんだろう?って。表現したいことと腕とオーダーがぜんぶバラバラだった時期でした。デビュー前よりずっとつらかった。
頭が締め付けられるような日々が続いて、あるとき、「いいですもう、わたしずっと素人で!」って思ったんですよね。不思議ですねえ、腹をくくるってああいうことを言うのかも。長いトンネルを抜けた瞬間は、窓の外の景色がとてもきれいに見えたのを覚えています。
同郷のカルーセル麻紀さんをモデルにした『緋の河』を書くときに、「好きなものを書いてください」と編集者に言ってもらえたこともあり、少しずつ自分の筆が戻ってきました。どんな逆境にも負けず、きちんと自分を持って生きている麻紀さんの生き方に励まされたのかもしれません。
麻紀さんの人生に少しでも近づきたいと、両手の指に真っ赤なマニキュアを塗って『緋の河』を書いているうちにどんどん元気になってきて。マニキュアって、いいものですね。いつも目に入る部分に、元気の象徴があるって大事だなあって思う。今回の『谷から来た女』のヒロインも常に赤い色を身につけている設定にしたのは、赤は主張のあるいい色だと思うから。鮮やかな赤が似合う人は自分をきちんと持っている気がする。私はやっぱり、そういう人が好きなんでしょうね。
服と髪型を変えて、気分も明るく
54歳で『緋の河』を出版した翌年あたりに、着る服や髪の色がずいぶん変わりましたね、と言われることが多くなりました。編集者に呆れられるほど服装のセンスが悪かったらしいんですけれど、自分にとってはあれが精いっぱい。人前に出るときも、とりあえずよそ行きのジーンズにシャツかセーターを着て行けば大丈夫だろうと思っていました。
でも、あるとき、北海道で活躍する劇団主催者と対談した際に、「その年齢で、その恰好はどうかと思います」と言われたんです。「その服装では、相手に失礼ですよ」と、暗に教えてくださったのだと思います。それで、その方が紹介してくれたスタイリストさんを訪ねたところ、「まず、その髪型がダメ!」と。
札幌の大通にあるヘアサロンに行って、縛れて便利だった中途半端なセミロングをジャキッとやりました。白髪も増えていたので金で脱色してまぶしてみたら、気分もすっかり晴れやかに。今は明るい色じゃないと、なんだか落ち着かないくらいです。
髪の色とスタイルを変えたことで、これまで着られなかった鮮やかなグリーンやブルーなどの色の服も着られるようになりました。ちょうど更年期を抜けたあたりで明るい洋服を着るようになったおかげか、精神的にもスッキリ。
仕事のほうも、編集者から提案されたお題であっても、自分の好きな方向に回転させて、思う角度で書けるようになってきたので、書くことがますます好きになっているのだと思います。編集者に言われたことは、1回は飲み込むんですけれど、その上で自分の欲する「答え」を出せる視点を見つけられるようになったと思います。勘しかないんですけれど、勘っていいですよ、なにひとつ他人のせいじゃない。
夫婦の関係も変化して
もうひとつ、変わったことと言えば家族環境ですね。デビュー当時は幼かった子どもたちも成人しました。今は夫との2人暮らしです。夫婦2人きりの暮らしに慣れるまでには数年かかりましたね。で、ふたりきりでいられることが楽しかったのは、ほんの数ヵ月。彼も私のことを「だらしない、なんて手のかかる女だ」と思っているかもしれませんけど、夫の機嫌とつきあいながら仕事をするのはちょっとしんどかった。
「リビングで仕事をするのはやめてほしい」と言うので、家の横にちっちゃい仕事場を増築しました。夫が出勤した後に居間のテーブルで原稿を書いていた頃とは変わり、朝ご飯を食べ終えたら、私がパッと仕事場に入り、顔も洗わずに午後2時くらいまで原稿を書くという毎日です。
でもね、これが意外に快適です。いくら好きで結婚した相手でも、1日じゅう2人で顔を突き合わせて過ごしていたらお互いに気づまり。追いかけてようやく結婚してもらった彼なんですけどね。もちろん、夫のことは今でもすごく好きですが、60歳前後の夫婦って、色々な問題が次々と降りかかってくる。
お互いの親の問題もそのひとつ。老親に対する彼のふるまいを目にする度に、これまで知らなかった夫の側面と向き合うことになる。年々状況は変化するし、新しい人と暮らしているように思えるときもあって新鮮と言えば新鮮ですけど、それが私にとっては楽しく思えることばかりとは限らない。
「10年前とは言ってることが違うじゃん」ってモヤモヤすることもありますが、最近は「トシをとって、この人も心が揺れているんだな」と受け入れられるようになりました。長くつきあってみれば、これはこれで私に向いてたかもしれないって思うんです。
でも実は、私も同じなんですよね。「長女なんだから家業を継げ」「将来は親の面倒をみろ」と言い続けてきた両親に対して、「ここで啖呵を切れば、親子の関係を終わりにできる」という時期もありました。けれど、最近、父親のことを描いた小説を書き終えた後、「ネタにしちゃったから」と、両親を温泉に連れて行ったんです。
以前の私だったらかなり勇気の要る親孝行の真似事をやったりして。還暦にリーチがかかる年齢になったことで、頑なだった心が少しだけ和らいで、両親が歩いてきた道のりも肯定できるようになったのかもしれません。すべて、書きながら出した答えなんですけれど。
作家として、笑って死にたい
ここ数年、週刊誌の連載が3本続いています。来年、還暦を迎えても元気に原稿を書いている予定です。体が健康じゃないと、不健康な話も書けませんからね。
健康を意識するようになってからお酒の量も減りました。「飲まないと、翌朝、こんなに体がラクなのか~」ということに気がついちゃって(笑)。長時間机に向かっていると背中と腰を痛めてしまうので、『裸の華』執筆の際に知り合ったバレエの先生に教えてもらい、股関節のストレッチもしています。意外と真面目なので、毎日休まず続けていたら、いつのまにか前後開脚ができるようになって、我ながらびっくり。
最近は、お風呂の後に『シティーハンター』を見ながらストレッチをするのが日課に。いやぁ~、冴羽リョウ役の鈴木亮平さん、めちゃくちゃいいですね。何度見ても飽きません。実写版を観るまで、『シティーハンター』そのものに触れたことがなかったんですよ。鈴木さんの作品は、『HK/変態仮面』から見直してます。
ありがたいことにまだ、書きたいものや克服したい課題があるんです。今日、地元の空港までエアポートライナーに乗っているとき、長編のストーリーをひとつ思いつきました。42歳で単行本デビューだった私は、かなりスタートが遅かったんです。
でも、以前、伊集院静さんに「作家は晩年」というお話を伺ったんです。「晩年にいいものを残した作家は笑って死ねる。あなたは大丈夫だから」って。その言葉は一生忘れません。60代になっても、いくつになっても、常に全力を注いでいれば、私も笑って死ねるんじゃないかと思うんです。そうなりたいな、って。
07/17 12:30
婦人公論.jp