いまだ日本に残るきょうだいの男女格差。母と姉の面倒を見るリアル・シンデレラ、実家を相続できても固定資産税が払えない?

写真提供◎photoAC
昨年は、モトザワ自身が、老後の家を買えるのか、体当たりの体験ルポを書きました。その連載がこのほど、『老後の家がありません』(中央公論新社)として発売されました!(パチパチ) 57歳(もう58歳になっちゃいましたが)、フリーランス、夫なし、子なし、低収入、という悪条件でも、マンションが買えるのか? ローンはつきそうだ――という話でしたが、では、ほかの同世代の女性たちはどうしているのでしょう。今まで自分で働いて自分の食い扶持を稼いできた独身女性たちは、定年後の住まいをどう考えているのでしょう。それぞれ個別の事情もあるでしょう。「老後の住まい問題」について、1人ずつ聞き取って、ご紹介していきます。

* * * * * * *

この記事のすべての写真を見る

前回「シングル女性経営者、会社が倒産、自宅も失い、還暦の年にゼロになる。がんも乗り越え、公的年金と人脈に救われた」はこちら

フリーランサーの藤堂真紀子さん

老後の家を考えた時、実家に住んでいれば安心と考えがちです。兄弟姉妹がいても、戦後の民法では、きょうだい間では対等に遺産を相続します。家をもらうか、またはお金にして分け前をもらうか、いずれにせよ、老後に住む家は確保できそうです。

ところが、いまだ地域によっては、長男相続が当たり前。世代的にも、いまアラ還の女性たちの親世代は、戦前生まれ。相続では息子に多くを遺す親も少なくありません。そのくせ、親の面倒を見る役割は、娘が期待されるのです。首都圏郊外に住むフリーランサーの藤堂真紀子さん(仮名、58歳)はそんな一人です。実家で母(91)と姉(61)と同居し、彼女たちの面倒を見る日々。まるでシンデレラです。そのうえ、老後の家として実家を相続できたとしても、自分の年金では固定資産税が払えないのではと、危惧しています。

**********

真紀子さんが独り暮らしを畳んで、郊外の実家に戻ってきたのは2009年、43歳の時でした。直接の契機は父の病気です。肺がんで、2年ほど闘病を続けていました。いよいよ余命が長くないと悟った父から、「帰ってこいよ」と言われて決意。「父といられるのも残り少ないと思ったんです」

実はその前年、真紀子さんは10年以上務めていたイベント会社を退社していました。管理職として、あまりに多忙で、不眠症に。このままでは心身ともに壊れてしまうと思ったのです。ただ、退職後もフリーランサーとして、元の会社から業務委託で仕事を請け負っていました。とはいえ社員に比べれば給料も少なく、家賃が負担になっていました。

真紀子さんは英語遣いです。20代で4年ほど、英語圏の国で働いていたこともあります。もちろん当地では独り暮らし。帰国後、いったん実家に戻りましたが、30代後半から横浜市内で再び独り暮らしを始めました。駅徒歩5分、オートロック、バストイレ別、33平米のワンルームで家賃は8万円。条件的にも良い物件でしたが、収入減と父のことが重なって、引き払いました。

「でも、またすぐに独り暮らしをするつもりだったんです。なので、独り暮らしの時に使っていた家財道具や引っ越し荷物は、段ボールに入れたまま。実家の物置部屋に置きっぱなしで、荷ほどきもしていません。フリーの生活が軌道に乗ったら、出て行くつもりだったんですけどね……」。真紀子さんにとって実家は、あくまでも「お父さんとお母さんの家」であって、自分の家ではないからです。結果的に今まで実家暮らしですが、自分の家という感覚には、いまだなれないそうです。

藤堂家の男女格差

実家は、JRの駅からバスで15分ほど。車がないと不便な立地です。ただ、藤堂家は、先祖が農家だったため、周辺に広く土地を持っている代々の土地持ち。実家の建つ土地も広く、父は賃貸アパートや借家などの大家業もしていました。その父は、真紀子さんが実家に帰った年の夏、他界しました。80歳でした。長命の家系なので、もっと長生きすると思っていたのに、意外にも、あっけない別れでした。

父の死後、土地や現金などの遺産は、母と長兄(68)が税理士と相談して、相続割合を決めました。実家は藤堂家の本家で、家屋敷や墓も含めて、財産は曾祖父―祖父―父―長兄と、長子が相続し、適切に運営して次世代に継承することになっています。家のことは父が1人で、責任を持って決めていました。「次兄も姉も私も、口は出しません」。長兄は父から、家を守り継承する役割を引き継ぎました。

相続でも、藤堂家の財産である主な土地は長兄が受け継ぎました。母は、父が管理していた借家を相続し、次兄(65)にも土地が分配されました。次兄は、相続した先祖代々の土地をあっさり売って他に買い換えたため、親族らを唖然とさせました。いっぽう真紀子さんと姉は、ほとんど財産らしい財産をもらえませんでした。

写真提供◎photoAC

「均等じゃないんです。藤堂家には男女格差があって。姉と私は、二人で一つというか、一人前にみなされてないんです。女の子には分けなくてもいい、っていう考えなんです」。戦後の民法では、親から相続する財産は、配偶者が半分、残りの半分は子どもが頭数で割って、平等に分配する権利があります。けれど藤堂家では、家の資産を守るために、主に男子が相続します。「母と姉と3人で住んでいる実家は、いまは母の名義です。ここをいずれ、姉と私が共同名義で相続することになるんでしょうけれど……」

とはいえ、藤堂家は土地持ちです。例えば、母が相続した借家に、真紀子さんが老後に住めば良いのでは? 「いまは人に貸していますけど、借家は老朽化してて、もうボロボロ。母が管理できなくなった時には潰します。だから私は住めません」

年金だけでは固定資産税は賄えない

でも実家があります。姉と、老後までここに住み続けられるのでは? 「実家は実は二世帯住宅なんです。だから難しいんです」。30年ほど前に、実家の敷地に、長兄が連棟式の二世帯住宅を建てました。実家と兄一家と、中は完全に分離した別世帯ですが、いつでも行き来ができるよう、一階の内扉でつながっています。

おそらく土地は、母の相続した実家部分と、長兄の相続した兄家族部分とで分筆してあるのでしょう。でも、二つの家は建物も庭もつながっているので、気軽に実家側だけを処分することはできません。もし将来、姉と一緒に実家を相続できたとしても、こちら側だけ小さく建て替えるダウンサイジングは出来ないでしょう。ここを売って老人ホームの入居金に充てる訳にもいかないでしょう。

さらに、資産があっても、維持するのは大変なのだと、真紀子さんは説明します。「固定資産税が大変なんです」。固定資産税は、土地や建物の評価額に比例します。地価の高い場所や広大な土地に、延べ床面積の広い建物を持っていると、年間で払う税金も高くなります。

「藤堂家が所有する土地や建物は何ヵ所もあって、その固定資産税はいま母が払っています。母いわく、借家とか自宅を合わせると、税金だけで年に150万くらいかかるそうです。年齢を重ねて思うのは、単に家があるからいい、では済まないってこと。不動産は所有していると、固定資産税がかかる。だから、もし実家をもらったとしても、そんな多額の固定資産税なんて、私の年金からじゃ払えません」

母のように、年金のほかに借家の賃料など収入があれば、自宅の固定資産税も払えるでしょう。でも実家だけもらっても、収入が年金しかないなら税金が賄えません。税金が払えないから維持できず、結局売る羽目に陥るかもしれません。資産(ストック)があっても収入(フロー)がなければ維持できない、とは。資産価値があるゆえの苦労に目ウロコです。

真紀子さんの公的年金は、おそらく月8万円くらいだと言います。勤め人向けの厚生年金には、15年くらいしか加入しておらず、残りの期間はフリーランサーなので自営業者、つまり国民年金です。その分、生保会社の個人年金は入っています。65歳から10年間受け取れる確定年金です。

ただ、iDeCoも株も投資信託もやっていません。手堅く債券だけは持っていて、これからNISAを始めようと思っているところ。でも、堅実な真紀子さんは、「老後にこの程度は必要」とされるくらいの現金は、すでに貯蓄したそうです。

写真提供◎photoAC

現在は在宅ワーク。70歳まででも働きたい

では、真紀子さんは何歳まで働くつもりでしょう。「いまの仕事が続くなら、70歳まででも働きたい。今ぐらいのペースなら働けると思う」。ただ、独り暮らしをするほどの報酬はもらえません。「もう諦めました。この収入じゃ、家賃を払うのは無理です」。では何のために働くのかといえば、「お金をもらうことと、細々とでも社会と関わること」のためです。

実は真紀子さん、父亡き後の2010年から、本格的にフリーランサーとしての仕事を再開。元の会社からの受託で、大きな仕事を請け負いました。これが、どんどん多忙になりました。会社員だった時と同じように働き、管理職でもないのに責任も負いました。なんのために退社してフリーになったのか。東日本大震災の年には、あまりに大変で、「燃え尽きました。もう、やりきった!って思って。これからは、自分の好きなことをしたい、実入りが少なくても良いから、したいことをしたい、って。バーンアウト症候群ですよね」。45歳でした。

その後、バイトを探していて、もともと好きだったアートに関わる仕事の求人広告を見つけ、時給900円から働き始めました。ところが「能ある鷹」の爪には気付く人がいるものです。バイト先の会社の親会社に、真紀子さんの英語力を生かせる仕事があり、親会社から引き抜かれました。業務委託の契約労働で、事務職です。それが、今まで続いている仕事です。コロナ時期に在宅ワークになり、コロナ後も基本的には在宅勤務で、出社は週に1日程度です。

「いま、在宅ワークだから働き続けられますけど、これで通勤しなくちゃいけなかったら、無理です。生活が回りません」

というのも、姉と母との3人暮らしが、なかなかストレスが溜まるからです。結局は一番年若い真紀子さんが、なんだかんだと2人の面倒を見る羽目に陥っています。

『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

何をしてあげても感謝すらしない姉

母の食事の世話は、姉と半分ずつ負担しています。かつては家事全般を担い、料理もしていた母ですが、さすがに最近は作りません。もし、真紀子さんが都心まで通勤すると、片道1時間半はかかります。帰宅は早くても7時半~8時半になるでしょう。となると、母の食事の支度を、姉1人に負担させることになります。姉の職場は実家から車で30分程度と近いですが、毎日、仕事から帰った姉に食事を作らせるのは酷でしょう。なので真紀子さんは出社が必要な働き方は無理です。もし今の会社で出社日を増やせと言われたら、困ってしまいます。

ずっと独身の姉は、実家を出たことも、独り暮らしをしたこともありません。専業主婦だった母が元気だったうちは、家事を含め、姉の面倒はすべて母がしていたようです。「姉は脳天気というか。人にやってもらうことに慣れていて。モノは出しっぱなし、片付けられない。以前は母が片付けてたのが、母も年を取ってきてやらなくなったら、姉の私物が居間に出たままなんです。自分の部屋にすら持って行かない。ゴミも捨てない。その面倒を見るのは私なんです」と、真紀子さんはぼやきます。

例えば、夜に居間でお茶を飲んだ後。真紀子さんは寝る前に、自分のコップを洗ってから寝室に引き上げます。姉のコップも、以前は一緒に洗ってあげたのですが、ありがとうの一言もありませんでした。そもそも、自分が使った食器を洗ってもらったことにすら、姉は気付いていないようでした。

それなら放っておこうと、最近は、あえて手を出さないようにしています。すると翌朝、姉から嫌味を言われます。「ほんと意地悪ね。どうせ自分のを洗うんなら、ついでにやってくれたらいのに」と。逆に、姉が真紀子さんの食器やコップを洗ってくれることは皆無なのに。いつもいつも、姉はやりっぱなし、使いっぱなし。誰かに片付けてもらっても気付かないし、それが当たり前と感謝もしません。そういう姉の性質に、真紀子さんはイライラさせられっぱなしです。自分は姉の面倒を見るための要員じゃないのに、と思ってしまいます。

すぐ文句を言う母、長兄とその妻にも不満

母も頭痛の種です。すぐに真紀子さんを頼るくせに、何をしても文句を言います。

母は3年前、庭仕事中に、ほんの1、2センチの段差につまずいたらしく、倒れました。それで足の甲を骨折。要支援1に認定され、階段には手すりをつけました。かつては地域の体操教室やカラオケなどによく出掛けていた母ですが、思うように歩けなくなって以来、外出をおっくうがるように。週に1度のデイケアに行く程度です。以前は2階の寝室で寝ていましたが、骨折後は階段を上がるのが難しくなり、1階の部屋で寝るようになりました。でも、真紀子さんと姉が遅くまで起きてテレビを見たりする生活音がうるさくて、なかなか寝付けない、と母は文句を言っています。

1階で休む母の寝室にと、以前の祖父母の部屋をリフォームする予定です。その工事も、母がうんと言わないせいで進みません。いまは物置状態で、長兄からは早く荷物をどけろと言われますが、まだリフォームのめどすらついていないのです。リフォームは、汚れた壁紙を貼り替えて、畳をフローリングにするもの。真紀子さんが業者を探して見積もりを取りました。でも母は「高い」と文句を言って、そのまま放置しています。

庭木の手入れもです。長年頼んでいた庭師さんが最近亡くなりました。母から誰か探して、と言われ、真紀子さんが業者を探しました。見積もりを取ったら、やはり母は「高い」と文句を言います。もともとやってくれていた庭師さんが安すぎたのに、母が納得しないため、そのままです。母は、都合の悪いこと、気にくわないことは、無視します。「お兄ちゃんが言えば、お母さんは言うことを聞くかもしれないけど」と、真紀子さんは怒り半分、諦め半分です。

写真提供◎photoAC

本当は、真紀子さんが一番頭にきているのは、隣に住んでいる長兄とその妻(68)の、母への関わり方かもしれません。隣にいるのだから、もっと、こっちの家にも顔を出してくれてもいいのに、と真紀子さんは本音では思います。すでに兄も退職し、兄夫婦の子も就職して家を出ています。母に関わるだけの時間的、精神的な余裕は、彼らにもありそうです。

でも、兄嫁は実家のことにはノータッチ。全然、母の面倒をみてくれません。もし今後、母が寝たきりにでもなったらどうするのかと思います。そうなったら、さすがに兄嫁も無視できずに、面倒をみてくれるようになるのでしょうか。

時々は、兄夫婦は母と一緒に旅行に行っているようですし、母の病院への車での送迎は兄がしています。でも、日常的には、同居の娘2人だけに、母の世話係は担わされています。「兄嫁が、もう少し母のことを見てくれてもいいのに」。真紀子さんたちの家に食事に来たりしないんですか?「来ませんね。あっちに母が行くことはあっても、兄嫁がこっちに来ることはない。母の食事の世話も手伝ってはくれません。だから、どれだけ大変なのかも、きっと全然分かってないでしょう」

受益と負担のアンバランス

本当は、真紀子さんはもう少し仕事を増やしたいとも思っていました。通勤するなら仕事の口はありそうです。もし兄嫁が、母の食事の世話を一緒に見てくれるなら、真紀子さんも都心まで出勤する仕事も選べるのに。口には出しませんが、真紀子さんは兄嫁への不満が募っているようです。「いっそ、毎日出勤しなくちゃいけないオフィスワークになったほうが、協力的になってくれるかしら?」と思ったりもします。

「でも結局、母はなにかあると、同居してる娘たちに頼む。負担は全部、こっちに来る。母は、兄のことはかわいくて仕方ないんですよね。兄にはいい顔をするし、兄嫁には言いにくいんでしょう。しょうがないとは思いつつも、どうして、こんなに私ばっかり、って思っちゃいます」。真紀子さんは大きく溜め息をつきます。

写真提供◎photoAC

***************

真紀子さんの抱える長兄夫婦へのモヤモヤはきっと、受益と負担がアンバランスだから、でしょう。長兄夫婦は、財産分与という「受益」面では、戦前的な家父長制的価値観で優遇されました。本家を守っていくのは大変だとは思いますが、母の面倒を見るという「負担」面では、戦後的な価値観で、兄嫁は「長男の嫁」役割を免れています。真紀子さんら娘たちが役割を担わされています。――言語化すれば、真紀子さんの不満はこういうことではないでしょうか。

他に兄弟がいたとしても、女親は結局、実の娘を一番頼りにする、特に同居する娘が一番気安い、とはよく聞きます。息子は異性だし、息子の妻たちには遠慮がある。でも娘ならわがままも言える。中でも、同居していて、もっとも言いやすい1人にばかり甘えてしまう。でも、頼られる側の真紀子さんにしたら、たまったもんじゃありません。他のきょうだいにも等分に負担して欲しい、と思って当然でしょう。「もらうものだけもらっておいて、義務は果たさないなんて、ずるい」というわけです。

しかも真紀子さんの場合、母だけでなく姉の生活の面倒も見ています。シンデレラは継母と継姉でしたが、真紀子さんの場合は実の母と姉です。実の母と姉なのに、仕えなくちゃいけないなんて、不満も溜まるはず。なのに、老後に住む家の問題も解消されないなんて、不公平です。もし長兄が、姉と真紀子さんの老後の家や、経済的な面倒まで全部みてくれるというなら、もちろん話は違ってきますが。実家が土地持ちでも娘の老後が安泰とならないとは、令和の現代でもイエを継ぐ意識が、女性の人生に影を落としている、と言えるのではないでしょうか。

ジャンルで探す