田舎で一人暮らしの老母が心配、地方出身シングル女子の迷い、実家に戻るか東京に残るか、それが問題だ

写真提供◎photoAC
昨年は、モトザワ自身が、老後の家を買えるのか、体当たりの体験ルポを書きました。その連載がこのほど、『老後の家がありません』(中央公論新社)として発売されました!(パチパチ) 57歳(もう58歳になっちゃいましたが)、フリーランス、夫なし、子なし、低収入、という悪条件でも、マンションが買えるのか? ローンはつきそうだ――という話でしたが、では、ほかの同世代の女性たちはどうしているのでしょう。今まで自分で働いて自分の食い扶持を稼いできた独身女性たちは、定年後の住まいをどう考えているのでしょう。それぞれ個別の事情もあるでしょう。「老後の住まい問題」について、1人ずつ聞き取って、ご紹介していきます。

* * * * * * *

この記事のすべての写真を見る

前回「シングル女性の老後の家問題。フリーライター、両親の介護で「開店休業」に。会社員より離職は簡単で、仕事復帰は困難。介護離職はしちゃいけない」はこちら

会社員で一級建築士の篤子さん

地方出身で東京で働いているシングル女性の場合、定年退職後にどこで暮らすかは、おおいに迷うところでしょう。老親が地方に残っているなら、戻って一緒にいてあげたい。でも、上京して長いと、地元には友だちもいません。娯楽も生活の基盤もある東京の生活を手放すのも惜しい。そもそも何歳まで働くのか。60歳定年より前に退職するのか、定年延長して65歳まで働くか。いま東京の会社を辞めて戻ったとして、地方に働き口はあるのか――会社員で一級建築士の篤子さん(仮名、58)はいま、この迷路を堂々巡りしています。ことに、元日に起きた能登半島地震が、篤子さんの気持ちを、より実家に向けて揺さぶっています。

*****

2024年1月1日午後。北陸地方の実家の居間で、篤子さんは母(86)とちゃぶ台に並んで、のんびりとテレビを見ていました。突然、携帯から、不穏なブザーが鳴り始めました。「緊急地震速報、緊急地震速報」。直後、2人のいた一戸建てを、激しい揺れが襲いました。4時10分頃のことです。

篤子さんはとっさに母をかばいながら、腕を伸ばして食器棚を押さえました。棚は、ちゃぶ台の向かいの壁際にあります。突っ張り棒で固定していなかったため、揺れにつられて扉が開き、ワイングラスなど丈の高いグラスや食器が落ちてきました。食器類が割れて、居間の床に散らばりました。台所では、トースターが棚から飛んで、落ちていました。

「揺れたけれど、でも、東日本大震災の時の東京くらいの揺れでした。ただ、私が側にいられて、母1人で恐い思いをさせずに済んだのは本当に良かった」

篤子さんはちょうど、正月休みで帰省中でした。近くに住む姉(61)の一家は翌日来る予定で、元日は母と2人。どこにも出掛けず、ゆっくりしていました。幸い、自宅は壁に亀裂が入った程度で一部損壊もなく、崖地や盛り土など避難が必要な土地でもありません。電気も水道もガスも壊れず、停電にもならず、避難所への避難勧告も出ませんでした。とても幸運なことに、地震後もふだん通りの生活ができました。

やっぱり母の近くにいてあげたい

けれど、地震は篤子さんの気持ちを変えました。「やっぱり母の近くにいてあげたい」。そう痛感したのです。ことに、昨年、父が89歳で大往生し、病気で入院中だった兄も亡くなると、母はすっかり気弱になりました。ずっと専業主婦として家族の面倒を見てきた母にとって、世話を焼くべき父が他界し、生活に張り合いがなくなったのでしょう。篤子さんがふと「こっちに帰って来ようかな」と漏らしたら、ことのほか喜びました。このゴールデンウィークに帰省した時もそう。近くにいると、母が、東京を引き払って戻ってくるのを心待ちにしていることが、ひしひしと伝わってきました。

「どうしようかなあ、って思って……。あと2年で60歳定年なので、雇用延長せずに実家に帰ろうか。それとも雇用延長で会社に残って65歳まで東京で働くか。でも、今の仕事はあまりに忙しくて、毎晩10時、11時まで働く日々。体がきついから、定年より早いけれど、もう今年、退職しちゃおうか……って、毎日、気持ちが揺れています」

篤子さんは27歳まで親元に住んでいました。高校を卒業後、専門学校を経て、地元の服飾系の会社に就職。でも、インテリアコーディネーターの仕事がしたいとスクールに通い、一念発起。インテリアデザイン関連の仕事をするため、上京しました。以来、約30年、東京で暮らしています。建築事務所勤務などを経て、一級建築士の資格を取得。この約20年は、住宅リフォームの仕事をしています。

昨今のリフォームブームに乗って、需要の多い業界です。でも最近は新規参入も多く、競争は激化。かつ、リフォームは、新築物件に比べて利幅が薄く、手間暇はかかります。全ての案件が、一つずつ条件の違う「オーダーメード」。顧客の元に出向いて要望を聞き、使う部材や工事費なども調べて、予算の範囲でデザインに落とし込み、プランを立てなければいけません。しかも、篤子さんの会社にはノルマもあります。

篤子さんはいま、10件以上の案件を並行して動かしています。毎日、行く現場や仕事の内容も違います。プレゼン段階から工事中まで、それぞれ異なる段階の顧客を同時に相手するので、混乱しがちです。休日や夜にも顧客からはメールや電話が来ます。でも、顧客とのコミュニケーションをおろそかにすると、案件を他社に奪われかねません。ですから、メールを一つ返すにも、内容だけでなく文面にも気を配る必要があります。デザインや仕様でも、顧客の要望を最大限汲むような提案をしないといけません。

年下の男性上司からは仕事が遅いと叱られますが、機械的にこなせる仕事ではありません。時間も気も遣います。むしろ、そうして細かいところまで気を遣った仕事ぶりだからこそ、顧客の信頼が得られるのです。篤子さんは10年ほど前まではトップセールスでした。

問題は、仕事量が多すぎること

問題は、仕事量が多すぎること。持ち帰り仕事も休日出勤も日常茶飯事。就業規則では週休2日の決まりですが、週に1日休めるかどうか。従業員に取らせることが法律で義務づけられている「年5日の年次有給休暇」も、上司に取れと言われますが、実際には休暇期間中も働いています。残業も、労働基準法的には違反ですが、「パソコンの電源を切り忘れた」という言い訳で、法定時間以上、しています。実際の稼働時間は過労死水準を超えているでしょう。あまりの忙しさとノルマのプレッシャーで、この10年ほど、篤子さんは辞めたい、辞めたい、と言い続けています。

写真提供◎photoAC

7、8年前には、篤子さんは思いあまって転職活動をしました。でも、面接に行った会社で、「今の会社の方が条件が良いと思いますよ」と止められました。業界全体が忙しいようです。他社に移っても忙しさは変わらず、むしろ給料は下がるかもしれません。収入は減って仕事が忙しいままなら、今の会社で我慢するほうがいいかと、結局、転職はしませんでした。

数年前までは、更年期障害で大変でした。考えがまとまらずぼーっとしてしまったり、以前はこなせたマルチタスクが出来なくてシングルタスクになったり。体調も悪く、気持ち的にもつらかったです。その後、最悪の状態は脱しましたが、最近は年を取った分、体力的にきついと感じます。

「せめてノルマがない部署なら良いのに。それか、仕事量を減らしてくれるか」。でも業績悪化の折、会社にスタッフを増員する予定はなさそうです。定年延長後に、給料は減っても仕事量を軽くする働き方が選べるならば、65歳まで今の会社で働くことも考えられるのですが。会社は若い社員の育休取得促進には力を入れているのに、彼ら彼女らの抜けた間の人員補充はありません。ベテラン社員には厳しいと感じます。

「でもね、お客さんの図面を描いてる時は楽しいの」と、篤子さんは図面を引く仕草をします。根っから建築が好きなのでしょう。

帰宅は連日23時、24時なので料理はしません。「ちゃんとしたご飯はほとんど食べてない」。最寄り駅近くにある深夜営業のスーパーで、帰宅途中に惣菜を買って来ます。ご飯を作る時間も気力もないのです。

「定年したらどこに住むか」問題

夜は、頭が仕事モードから切り替わらなくて、なかなか眠れません。「頭の中が熱を持ってて、眠くならない」。頭の中のハードディスクが回り続けている状態で、クールダウンできないのです。モトザワにも経験があります。「ワーカホリックあるある」です。結果、篤子さんは睡眠時間も短くて、疲れが取れません。「若いころは良かったんだけど、もう体がつらくって」

設計を担当する同僚には同世代の社員が多く、彼ら彼女らが60歳で退社してしまったら、余計に仕事が回ってきそうです。現状でも忙しいのに、さらに多忙になるのなら、いっそ、定年まで待たずに辞めてしまおうか、という考えもよぎります。篤子さんの60歳定年は約2年後です。最後の3ヵ月くらいは有休消化で出社しないとしても、まだあと1年半もあります。退職金を計算したら、いま辞めると満額の96%しか出ないと分かりました。「でも、そのくらいなら……」。辞めちゃってもいいかもしれません。

そこで迷うのが、「定年したらどこに住むか」問題です。

実家に帰ると母が喜ぶ、というのは正月にもGWにも目の当たりにしました。父母ともに大きな持病もなく、要介護認定も受けず、2人だけで暮らしていました。母は、父の存命中は気丈で、父を病院に送り迎えするのに車を運転していたほどです(さすがに父の死後は、「危ないからやめて」と説得して車を手放させ、運転はやめさせましたが)。父の死後に気弱になった母には要介護認定を受けさせました。要支援2に認定され、家の内外の階段などに手すりを付けるリフォーム工事をしました。

でも、母は今も、誰かの世話を焼く時は、生き生きとします。孫やひ孫が遊びに来ると、母は嬉々として料理を作ります。たくさん作って、帰りには持たせます。そんな母を見るにつけ、「元気なうちに実家に帰って、一緒に過ごしてあげたい。あとどのくらい一緒に過ごせるのか分からないのだから、のちのち後悔したくない」と思います。

その際、一戸建てからマンションへといった、実家の住み替えは、母は望まないでしょう。町内会など、近所の人たちとコミュニティーができあがっています。母が単身で暮らしている今は、近所の目がある分、安心とも言えます。篤子さん自身は、食事中でも勝手に家に上がりこんでくるような、濃密過ぎるご近所さんとの関係性が苦手で、東京に逃げてきた面もあります。母がいなければ実家の土地には未練はなく、売ってしまうかもしれません。

それに、地震を考えると「東京は恐い。絶対、この先、大きな地震が起きるでしょう」と篤子さん。東京で次に来る地震は、南海トラフか東京湾沖か、いずれにせよ大地震に違いありません。地盤の固いところを探して、今の、丘の上のマンションに決めたので、篤子さん自身の命は助かるでしょうが、震災後の生活は大変そうです。東京を今のうちに脱出するほうが安全だと思えます。

東京に住み続けるほうが魅力的

一方で、日々の楽しみでいうと、東京のほうが断然、魅力的です。篤子さんの友だちはほとんどが東京にいます。この数年、篤子さんは絵を習っています。アーティストになるつもりはまったくなく、趣味です。でも、仲間たちと集まる時間が楽しいのです。

娯楽面でも、東京のほうが遥かに楽しめます。好きなバンドのコンサートやライブも、北陸には来ません。美術展も、東京ほどバリエーションも数もありません。自分だけの生活を考えるなら、東京に住み続けるほうが魅力的です。

写真提供◎photoAC

仕事をどうするか、という問題もあります。いまの会社は在宅ワークは認められていないので、Uターンするなら退職するしかありません。「定年退職したら、しばらく失業保険が出ますよね」。失業給付は1年近く出るはずです。それでも、まだ60歳前で一級建築士の資格があっても、地方で転職先を見つけるのは難しいだろう、と篤子さんは予想します。スキルを生かして、CADオペレーターとかのバイトでもいい。建築系で、フルタイムでなくパートタイムで仕事があればいいのに、とも話します。職種や働き方のバリエーションで考えると、やはり東京の方が可能性はありそうです。

なにより、篤子さんの自宅マンションは持ち家なのです。2010年に新築で、「売れ残っていた」部屋を購入しました。東京23区内、山手線の内側、地下鉄駅徒歩3分、10階建ての3階部分、東向き1LDK42平米の物件です。「通勤が楽だから、絶対都心が良い。帰省するのに、羽田空港も東京駅もアクセスが良い」と選びました。

住宅ローンも借りましたが、返済は月6万5000円程度。管理費等を含めても住居費は月々10万円もしません。ローンも、残債はあと1000万円もなく、退職金で完済できるはず。立地が良いので、賃貸に出してもそこそこの金額で貸せるでしょう。売るにしても「今でも、買った時の値段で売れる」ので、手元にまとまったお金が残るでしょう。

もし、いま会社を辞めてUターンするとしたら、この自宅は人に貸すのでしょうか。貸すならリフォームが必要でしょう。でも確定申告が面倒なので、売っちゃうような気もします。逆に、もし会社に定年までいるなら、あと1年半あります。その間に、もしも、母に万一のことがあれば、実家に戻る理由がなくなります。ならば東京に住み続けるでしょう。天井カセット式エアコンや給湯器は15年程度で交換したほうがいいので、自分が住み続ける場合でも、リフォームが必要です。その費用くらいは、ローンを借りなくても預貯金で出せますが。

「お金はあると使っちゃうの。何に使ったか分からない~」と言う割には、篤子さんは、きちんと投資を続け、お金を貯めています。毎月、合計10万円を積立NISAなど、投資に回しています。会社でiDeCoもやっています(選択の余地なく、全社員がやらされているそうですが)。生命保険も入っていて、終身生命保険はすでに払い済みです。老後に受け取れる個人年金も何本か掛けています。個人年金が何歳からいくらもらえるかも把握していないし、投資信託がどのくらいに増えているのかも全然確認していませんが。

あまりに突然

実は、篤子さんは、かつて結婚していました。夫は、篤子さんが42歳の時に他界しました。突然死でした。

新婚生活1年目のことでした。夫は、翌朝早くに出掛けるからと、早めに寝室に引き上げました。2~3時間後、風呂を済ませた篤子さんが、さて寝ようと寝室に行くと、ベッドの中央より篤子さん側に体をはみ出させて夫が横たわっていました。自分が眠るのに「邪魔だなあ」と、どかそうと触った時、篤子さんは夫の体が冷たいことに気付きました。

救急車を呼び、心臓マッサージもしましたが、押すと反発するほど、すでに夫の体は硬直し始めていました。自宅に来た救急隊は、夫を見ても処置しませんでした。手遅れでした。「警察を呼びます」。警察が来て、不審死として夫の遺体は司法解剖に回されました。心筋梗塞でした。心臓に持病があった訳でもなかったのに。

あまりに突然でした。前年に結婚したばかり。ハワイでの挙式では、満面の笑みの父とバージンロードを歩いたものです。不惑を越えても結婚もせず、心配していただろう両親に親孝行できたと思った矢先でした。

夫は篤子さんの仕事を応援してくれていました。「自分が本当にしたい仕事につけている人なんて、そうそういない。辞めたらいけない」。当時、篤子さんはすでに今の会社で働いていました。アドバイス通りに、結婚後も仕事は続けていました。共働きの2人の結婚生活はまだまだこれから。2人で将来したいことも何も実現しないまま、夫は先立ってしまいました。

「もう結婚はこりごり」

夫の死後、篤子さんは、葬儀の主導権を義母に奪われました。夫は田舎の出身で長男でした。親戚や義実家の近所の人たちが勝手に葬儀委員会を作り、仕切ります。夫の死について、「どうして気付かなかった」などと非難も浴びました。「気付きたかったよ」と篤子さんは思いました。自身が最も自らを責めていました。「お金は親にやれよ」などと、夫の生命保険や遺産についても、口出しされました。

田舎ならではの風習だったのかもしれません。でもいくら結婚生活が短かかったとはいえ、そんなふうに他人から土足で踏み荒らされるのは、篤子さんには耐えられませんでした。夫の墓も彼の郷里にありますが、墓参りに行ったことはありません。「お位牌はうちにあるから、いいの」。その後、夫の実家とは没交渉のままです。

そんな結婚生活を経験したせいか、その後、篤子さんは再婚しようとは思いません。「もう結婚はこりごり」。この10年ほど付き合っている男性(66)はいますが、一緒に住む話も再婚話も出ません。最近では、会うのも年に数回くらいになっています。

篤子さん自身のお墓はどうするつもりでしょう。「納骨堂で良いかなと思って」。父の実家は遠方にあったため、ほとんど墓参りにも行かず、篤子さんたち姉妹は場所も分からないほど。父は、自分用の墓を買う代わりに、納骨堂を、近くの寺で購入しました。マンション式の、位牌と遺骨を収納するタイプです。家族も入れるので、母も同じ納骨堂に入ると話しています。篤子さんもそれでいいかと思っています。

理想の老後の生活は?と聞くと、篤子さんは「想像がつかない」と吐露しました。老後は「さすがに仕事はしてないと思うけれど、……何してるだろう」。趣味の絵を描いているのでは?「それはあるかもしれません」。ふだんから「何も考えてない」と言いますが、きっと、それは、仕事が忙しすぎて、先のことなど考える余裕がないからでしょう。これも「ワーカホリックあるある」です。母のために実家に戻ったほうがいいかもと悩むのも、帰省して時間的に余裕がある時です。

「老後の生活設計」の難しさ

「もっと真剣に、老後のこととか考えないといけないよな、と思うんですけどね。まさか自分が、こんな年になってるなんて、実感がなくて……。気付いたら、え!? もう定年!! って。いろんなことを考えなくちゃいけないのに……私、ぼんやりしてるから。もうそこまで老後が迫ってるのに、まだピンときてない。気分はいつまでも若いままで」

「まずは、老後の資金計画をちゃんとしなくちゃ」と篤子さんは言います。ファイナンシャル・プランナーに、将来設計をシミュレーションしてもらうことをモトザワは勧めました。たぶん、篤子さんは、老後の資金ショートは心配しなくて良いでしょう。投資に回している金額がそれなりに大きいのと、積立・運用するばかりで全く手をつけていないためです。資産がけっこうあると安心できれば、篤子さんはもう少し、会社から精神的に自由になれるのではないかと、モトザワは想像します。

*******

篤子さんのように、自分の老後に老親の近くに戻るか、いま自分が住んでいるエリアに住み続けるかで迷う女性は多いのではないでしょうか。親が一人暮らしならば、なおさら心配です。「後悔したくない」と、最後の日々を一緒に過ごしたいと考えるのは人情でしょう。

ただ、親がいつまで生きるかは誰にも分かりません。他界するのは1年後かもしれないし、30年後かもしれません。親元に戻るのは10年後でも間に合うかもしれないのです。先が読める子育てとは違って、いつどうなるかが分からない、将来が計算できない、というのが「老後の生活設計」の難しいところです。

写真提供◎photoAC

しかも、実家が地方ならば、老親と一緒に住むイコール、完全に東京を引き払うことになりかねません。仕事だけでなく、友人など交友関係も、地方で作り直す必要があるでしょう。それを考えると、地方へのUターンは、年齢的には早いほうが、体力的にも精神的にもスムーズにいくかもしれません。

親のことは心配だけれど、友だちもいて生活の基盤もある東京を離れがたい、という篤子さんの迷いは、よく理解できます。しかもシングル女子は単身ゆえに、夫や子どもという東京に残る「口実」がありません。1人で決断して1人で行動出来てしまいます。可能であるがゆえに、そうしない自分は「親不孝なのではないか」と自分で自分を責めてしまうのです。地方出身女子の悩みは深そうです。

ジャンルで探す