95歳、頑固な父が認知症になった。老々介護の日々を綴った本に「自分のことのようだ」などさまざまな感想をいただいた

イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、95歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

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【写真】95歳のバースデー、ピンク眼鏡でピースのお父さん

本を読んだ方々の共感と不安

婦人公論.jpに昨夏までに連載した「オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく」を、加筆修正して中央公論新社から上梓してから2ヵ月が経ち、多くの感想の声をいただいた。お声を寄せてくださったみなさん、ありがとうございます。

中には〈親が突然怒り出すとか、徘徊するとか様子が変化し始め、親をどう受け止めていいかわからずに悩んでいたので、『オーマイ・ダッド!』を読んで、認知症の前兆かもしれないと認識することができた〉という声もあった。

多くの方が同じような思いをされていて、介護の辛さに共感する感想がほとんどだった。それを読ませていただき、「みんなが頑張っているんだから、私もベストをつくそう」と励まされた気持ちになってくる。

<いずれは自分も経験するかもしれないと、肌で感じる作品だ>。SNSで寄せられた男性の感想には、具体的にご家庭の状況が書かれていた。

〈実はわが家も92歳の認知症の母を72歳の息子夫婦で介護しています。中々頑固な母で、自分のやったことを認めない。というより、すぐ忘れるのは作中の森さんの父上と似ているところがあります。オーマイ・ダット!ならぬ、オーマイ・ゴッド!と言いたくなることがよくあります。いずれ自分も行く道であり、認知症への向き合い方も頭ではわかっているつもりだけれど、しまいには腹立ち紛れに声が大きくなってしまう。だから作者の気持ちもよくわかり、身につまされる作品だと感じました〉

ご自分が親御さんを介護していた時を思い出し、後悔なさっている方の感想もあった。

〈お父様がユーモアがあって面白くて、読むのが止まらなかったです。とても読みやすい本でした。私は介護を終わらせてきましたが、森さんの様な言い回しを父母にしてあげればよかったなぁと思う場面がいくつも出てきました。介護は本当に大変ですよね〉

高齢の父親を介護している女性は、〈「親の介護は娘がするのは当たり前」と思っている父親への憤りと、介護を押し付けられている辛さが本の内容とリンクして、「うちと同じだ」ということに安心感と心強さをもらいました〉と言ってくださった。

『婦人公論.jp』 の連載をまとめた『オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく』が、2月21日に刊行された。電子版とAmazonPODのほか、北海道内の紀伊國屋書店でペーパーバック版として発売中

自分のダメなところに気づいたという高齢男性

この本は電子書籍として出版され、アマゾンPODでも販売されているが、私が札幌在住であることから、北海道の紀伊國屋書店が単行本として店頭で販売してくれている。本の発刊記念のトークショーを、3月の上旬に札幌本店で開催した。

花束を手に

マイクテストをしていると、まだ開始の1時間前なのに最前列の真ん中に座っている高齢の男性がいた。聞けば男性は日頃、本を買いに町の中心部に出かけるのを楽しみにしているそうだ。

もうすでに「オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく」をお読みになり、著者の私に聞きたいことがいくつかあったらしく、本には付箋がついていた。

3月上旬の札幌はまだ冷え込む日が多い。歩道の雪は凍ってツルツルで、年齢に限らず、滑って転んで骨折する人もいる。その男性は80歳で、スキーのストックと同じ形状の杖を両手に持って、転ばぬように注意しながら歩いてきたという。彼はトークショーの最後に、心のうちを話してくれた。

「まるで、自分のことを言われているようで、本を読んでショックを受けました。自分が何気なく言っていることや、年寄りの考え方が、家族に負担をかけているとは思っていなかったので、大いに反省しました。自分が変わらなければならない。本を読んでこれほど自分のこととして捉えたのは、初めての経験でした」

トークショーをしたおかげで、我が身を振り返りながら読書する人に出会え、大変ありがたい経験をした。私はその男性に最後に言った。

「ご自分をそれだけ冷静に見つめられるのは、素晴らしいことだと思います。私のほうこそ勉強になりました。ありがとうございます」

トークショーで

紀伊國屋書店販売初日

父、奇跡の復活

 前回の連載と、それをまとめた書籍「オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく」は、ほとんど物が食べられなくなっただけでなく、体が右に曲がり、寄り添って一緒に歩かなければ家の中の移動も困難になっていた父が入院したところで終わっている。今回から書く続編は、その後の父の様子と私の関わり方を書いていきたい。

入院初日に渡された計画書には、老衰、廃用症候群、高血圧症、食欲低下などと、現状が記入されていて、それにどう向き合うかを私と父、医師とスタッフが集まって話し合った。正直なところ、「老衰」という文字を見た瞬間、私は父の死を覚悟した。

ところが、入院した父は、病院の手厚い看護のもと、食欲が徐々に戻ってきた。歩行の訓練をリハビリのスタッフに促され、毎日コツコツとやり続けたおかげで、父はゆっくりだが体をまっすぐにして歩けるようになってきたのだ。

残念なことに、入院中に院内でコロナの罹患者が出て、父に会えない日が続いた。私の家からその病院までは結構遠い。でも、会えなくても病院に行ってスタッフから様子をうかがいたかった。

父に「いつも思っているよ」と伝えるために、新聞のテレビ欄に父が好きそうな番組に赤のマジックで印を付け、替えの下着と一緒に袋に入れて、週に2回は病院に向かった。

面会制限で父に会えないのはわかっていても、病院に行くだけは行って、玄関を入ってすぐのところにある受付に、簡単なメモを添えた下着や新聞を渡す。そして受付の人にお願いしてみる。

「病室の中では携帯の電源を切っているようで、父と話せていません。担当の看護師さんに、父に携帯電話の電源をONにしてもらうように頼んでいただけませんか」

受付の人はすぐに対応してくれて、間もなく父から電話がかっかってきた。

「パパ、今病院の1階にいるのだけれど、会えないから声だけでも聞こうと思ってね」

「あぁ、すまないな。俺は元気だ。コロナだから会えないのは仕方ない。今度来たら、また電話をくれ」

「うん、また来るね。元気そうな声でほっとしたよ」

すると父は、いつも私と口喧嘩していた時と同じくらいはっきりとした口調で言った。

「人間、誰だって1度は死ぬ。だけど、俺はまだその時期が来ていない。大丈夫だ。心配するな」

父の声に張りがあることに安心した私は、帰りに車を運転しながら、幼稚園に入った子どもが、泣かずに遊んでいるか心配したのを思い出した。介護をしているうちに、親子の立場が逆転してしまっていることに苦笑いした。

お赤飯が出たと喜ぶ父

コロナの面会制限が解除されるまでに2ヵ月近くかかったため、7月下旬の誕生日にも会えなかった。しかし下着とメロディー付きバースデーカード、新聞などを届け、病院の1階から、4階にいる父と電話で話した。

「パパ、誕生日おめでとう!」

「95歳になった……あと5年で100歳だ。まあ、めでたいよな。そういえば、誕生日だから、昼に赤飯が出て、うまかった」

「それは良かったね」

「看護師さんたちがハッピーバースデーを歌ってくれて、照れくさかったけどな」

病院のスタッフが誕生日のポスターを病室の壁に貼ってくれたそうで、それを父は私に見せたいと看護師さんに頼んだらしい。父としゃべっている間に、4階の看護師さんが誕生日のポスターを剥がして持って来てくれた。

楽しそうに笑っている父の写真も貼ってあり、病院生活にすっかり慣れているようだった。

「今ポスター見ているけど、楽しい誕生日になって良かったね。今年は暑くて私は夏負けしているよ」

「そうか、大変だな。病院の中は冷房が効いているので、俺は調子がいいよ」

父は前年までは一人で家に居る時、夏でもヒートテックの肌着を着ると言い張ったり、水分を摂るのを拒んだりして脱水状態になり、その度に病院に連れて行かなければならなかった。父が熱中症になるのでは、という恐怖から数年ぶりに解放されて、実は私もほっとしていた。

(つづく)

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