『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』を観て思う事。昭和の価値観をアップデートするという難しさ

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貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第61回は「品定め、もの扱いが嫌」です。

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なんでもかんでも恋人の有無に結びつけるのはよくない

『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』、通称おっパン(東海テレビ・フジテレビ系、練馬ジム原作)の主人公・沖田誠(原田泰造)は、男なんだから、女なんだがらと昭和の価値観を振りかざし、部下や家族に煙たがられるザ・昭和おやじ。高校生の息子・翔(城桧吏)に対しても、男らしくするよう言い聞かせてきた。翔は学校に行けず、部屋に引きこもる生活をしていた。

ある日、翔の友達で、ゲイでもある大学生の大地(中島颯太)が翔の部屋に遊びに来ていることを知った誠は、部屋に飛び込み、大地に対して差別的な発言をする。さらに、マニキュアを塗っていた翔に、「爪なんか塗って気持ち悪い」と言い放つ。誠は、翔に「出てってよ。顔、見るのも嫌だ」「僕はお父さんみたいな人には絶対なりたくない!」と言われてしまう。その出来事がきっかけで、誠は“アップデート”していくことを決意する。

誠はその後、再び大地と出会い、謝罪したのちに友達になる。誠は大地との対話を通して、徐々に自らに固着した偏った考え、色のついた見方を自覚し、翔たち家族や同僚のために、変わりたい、と強く願う。真摯に内省する誠は、スポンジのように新たな価値観を吸収。みるみる成長していく、その変化は目覚ましい。

例えば、職場で部下同士が、彼女の存在を勘ぐるような発言をしたのを聞いた時、誠は

「彼女とは限らない。彼氏でもいい。第一、誰とどんな関係であるかも、それを職場で話すのも話さないのも、本人の自由だ」と言うのだ。「特別な人=異性の恋人」みたいな先入観は、時に同性愛者や、恋をしない人を追い詰める。だから、恋人=異性と決めつけたり、なんでもかんでも恋人の有無に結びつけるのはよくない、という視点はとても大切だと思う。

芸能人へのインタビューでも、女性に対してなら「理想の彼氏は?」「結婚するなら相手の男性に求めることは?」、男性に対してなら「どんな人を彼女にしたい?」「結婚したら奥さんに作って欲しい手料理は?」なんて聞いたりするマスコミをいまだに見るが、その度にヒヤッとする。本人が公表していないだけで、恋愛対象は同性かもしれないし、そもそもアロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)かもしれない。

人は常にアップデートしていく必要がある

そんな風に、昭和の価値観をアップデートするという設定の中で、初歩的な部分だけでなく、かなり踏み込んだところを描いている。このドラマでは、誠が常に内省し、アップデートして部下や家族が喜んでくれたと思ったら、また失敗をして誰かを傷つけてしまう。そしてまた自らを奮い立たせ、アップデートしていく。その繰り返し。

1回アップデートしたからって、一件落着、とはならず、誠は周囲から結構スパルタなしごき方をされる。それを見ながら、なかなか手厳しいな、と最初は思ったが、現実でも、人はやはり常にアップデートしていく必要がある。古い価値観を捨てなければ、傷つけてしまう人がいることを思うと、これくらいで十分、なんてことはなくて、その旅に終わりはないのだ。

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そんな非常に誠実なドラマ、おっパンの中でも、印象的だったのが第7話「コンプラって何」。学校に行けない日々が続いていた翔が、公園で同級生の男子、ファミレスで女子とそれぞれ談笑しているのを見かけた誠が、もしかしたらどちらかが翔の思い人なのではないか、と考えるようになる。同性が好きな人への偏見をなくす努力をした誠は、翔にどんな人を好きなったっていいんだぞ、と伝える。

それに対して、翔は言うのだ。

「どうして、どうして誰かと仲良くしてると、すぐに好きとか、付き合ってるのか考えるの。そういうふうに決めつけられると、苦しくなる。僕は、ただ一緒にいたい人と一緒にいて、話をしたり、いろんなことを教えてもらったりしたいだけなのに」

誰かと一対一で親しくすること=恋愛ではない

「嫌いなんだよ。誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか。誰かのことをものみたいに言うの。そういうこと言う人って、きっと僕のこと……。そんなの窮屈すぎる。もう放っておいてよ」

このシーンが、とても胸に来た。翔の言葉には、ふたつのものすごく重要な観点がある。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

1つ目は、誰かと1対1で親しくすること=恋愛ではない、ということ。「男女の友情は成立するか論争」に代表されるように、この社会ではふたりで親しい人は恋愛関係にあるという決めつけが強固に存在する。

しかし親密な関係には色んな種類がある。恋愛至上主義は、なんでもかんでも恋愛にはめこみ、恋愛以外の関係は恋愛以下だ、と決めつける。その決めつけが本当に息苦しいと感じる。誠は息子を思うばかり、翔に思い人ができたのだと、勇み足になってしまった。それが結果的に翔を苦しめてしまったのだ。

そして、もうひとつは、人を“もの扱い”することへの嫌悪感を表明していることだ。翔の「嫌いなんだよ。誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか。誰かのことをものみたいに言うの」という発言には伏線がある。翔が家の外に出ようとした時、学校でのあるシーンがフラッシュバックする。男子が黒板に「A組女子ランキング」と書き、この子は顔がいい、胸がないなどと笑いながら話しているのだ。ほかにも、誰が好み?タイプ?という質問をされた記憶も蘇る。

人を“条件で見る”ことには抵抗感

翔が公園で一緒にいた男子は、同じ野球部の長谷川(坂上翔麻)なのだが、長谷川は、野球部内で「陸上部の誰が好みか」を言い合う流れになった時、思ってもいないのに「一番左の子」と答えたことを翔に話す。

彼は、「俺ああいう話から下ネタになる流れが苦手でさ、でもみんなに合わせないとかなって思っちゃって」と言う。翔が「男であることはいい、男っぽく振る舞うとか、乱暴なのが嫌い」と言うシーンもあって、翔も長谷川も、“ホモソノリ”(ホモソーシャルのノリ)が苦手なのだ。

私は、「好きなタイプは?」というお決まりの質問に、いつもうまく答えられなかった。好きなタイプってなんだろう。そもそもタイプで人を好きになるもの?好きになった人がタイプなんじゃないの?もちろん、好きになった人を振り返ると、なんとなくこういう感じというのが共通していたり、付き合う上で譲れない条件があって、それを考慮してこういうタイプが好き、と言っているのかもしれない。

ただ、人を“条件で見る”ことには、やはりどこか抵抗感がある。人は、学歴・年収・顔・職業みたいな条件が歩いているんじゃなくて、それぞれまったく違う存在で、その人にしかない個性や価値がある。それなのに、条件でその人を語るって、まるで棚に並んだ商品を、パッケージはどうだ、値段はどうだ、と値踏みするみたい。商品棚に整列された人間の個体差や核となる人格には目もくれず、その規格だけが見られる。

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以前、恋愛ドラマを見ていたら、こんなシーンがあった。年収や職業といった条件がいい人にロックオンし、アタックした後、相手の(よくない意味で)意外な一面が見えたり、条件が思ったよりよくないことがわかると、一瞬で態度を豹変させ、鞍替えするのだ。その様子を見て、本当に相手を、自分の価値を高めてくれるかという条件でしか見ていないんだなと思った。条件で人を見て、人を「記号化」することって、人をもの扱いすることと地続きな気がする。

「女性がお茶をいれたほうがおいしい」

翔が言うように、「誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか」物色する行為は、人をもの扱いしている感じがする。でも、この感覚を話しても、共感してもらえたことはなかった。人を記号化することの罪深さや、条件で見る/見られる居心地の悪さを共有できることなんてなかった。だから、ドラマの登場人物から、「誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか」が「人をものみたいに言う」ことだというセリフが出たのが、本当に新鮮で、驚き、そして心から感動したのだ。

誠は、アップデートする前、女性の部下に対し、「女性がお茶をいれたほうがおいしい」、「謝罪の場で女性がお茶を出して同席した方が雰囲気が柔らかくなる」と言ってしまうような人だった。こうした女性への扱いも、記号化やもの扱いに通じる部分があると感じるところがある。

例えば、男性だけの飲み会で、華やかさが足りないから、と女性を呼ぶ、という行為。私自身、以前勤めていた職場で、上司にとある飲み会に誘われたことがある。他の部署の中年男性が、男ばかりの部署でつまらないから、他の部署の若い女性を集めてきて欲しいと私の上司に頼んだのだと言う。その誘いを受けた時、正直、言い表せない嫌悪感を感じた。「場をにぎやかすためだけの存在」として扱われること。女性として振舞うという「機能」が求められること。それは、男性の機嫌を取る「道具」になれと言われているようなもの。そこで私は、「女性」という記号になる。

昨今世間を騒がせている一部の芸人であったとされる、大物芸人に後輩芸人たちが女性たちを“あてがう”ような飲み会もそうだろう。女性を“アテンド”したとされる後輩芸人の一人は、「女性をもののように扱っているとか、上納しているとか絶対ない」と言及した。この件では、性行為の強要があったかどうかはまだ事実が明らかになっていない。

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しかし、今明らかになっている情報だけでも、女性たちを集める飲み会自体はあったという見方が強い。性的な行為やその強要の有無に限らず、先輩の機嫌取りのために女性たちを集める時点で、十分女性をもの扱いしているのではないか。「もの扱い」の捉え方そのものに、大きな溝があることを突きつけられるような出来事だった。

前回「ヒオカ「20代、出会いがない、同世代の友達が欲しい、と思っていたが、持っているものに目を向けるのを忘れてた」」はこちら

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