二十四節気「霜降」 この時期に降る「八入の雨」の読み方は?

10月24日(火)から、二十四節気の「霜降(そうこう)」に入ります。

霜降は文字どおり「霜(しも)が降(お)りるようになるころ」の意味で、北海道や山間部などでは、実際に霜が降り始めるころです。

霜降の次は「立冬」。暦の上では冬に入ります。冬を間近に控えた霜降の時季を幾つかのキーワードをもとに見ていきましょう。

「柿くへば」何を思う? 10月26日は「柿の日」

〜柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺〜

これは俳人で歌人の正岡子規が明治時代に詠んだ一句です。

子規は1895(明治28)年10月26日に奈良へと旅立ちました。その旅先で、この句を詠んだといわれます。

この俳句にちなみ、2005年、全国果樹研究連合会カキ部会が10月26日を「柿の日」に制定しました。

日本での柿の歴史は古く、柿は奈良時代にはすでに食べられていたといわれます。

日本人になじみ深く、栄養が豊富な柿。その柿には、ビタミンCや、β-クリプトキサンチンやリコピンといったカロテノイドなどがたくさん含まれています。

ビタミンCは風邪の予防や免疫力アップ、美肌の育成・維持などに重要な働きをする栄養素で、カロテノイドは動脈硬化の予防や老化防止などに効果的であるといわれます。

子規の大好物でもあった柿。子規のように柿を食べて、一句ひねってみるのも乙なものです。

「八入(やしお)の雨」とはどんな雨?

一雨(ひとあめ)ごとに木の葉を色濃く染めていく雨を「八入(やしお)の雨」といいます。

「感慨も一入(ひとしお)である」とか「今年の夏の暑さは一入だった」などということがありますね。

「ひときわ」「いっそう」といった意味のこの「一入」は、布を染めるとき、染料に一回浸すことです。

そして、何回も浸すことを八入(やしお)といいます。この「八」は「多いこと」を意味します。

地域などによりますが、霜降は山々や公園などで美しい紅葉(こうよう)を楽しめる時季でもあります。それまでに、何度も八入の雨が降って染められたのでしょう。

美しい「紅葉」の和歌や俳句はいかが?

古来、春の桜と並び称されてきたのが、秋の紅葉(もみじ)です。

「もみじ」は、「紅葉」と書きますが、本来は木の葉が赤や黄色などに色づくことで、「黄葉」とも書きました。

『古今和歌集』と『小倉百人一首』には、三十六歌仙の一人、猿丸太夫(さるまるたいふ/さるまるだゆう)による次の歌が収められています。

〜奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき〜

「奥深い山でもみじを踏み分けながら鳴く鹿の声を聞くとき、秋はひときわ物悲しく感じられる」といった意味です。

もみじを踏み分けているのは人(作者)、鹿、その両方とする、3つの説があります。一面に降り積もったもみじと物悲しく響く鹿の鳴き声。作者同様に、そこに秋の悲しさや寂しさを感じる人もいるでしょう。

俳句も一句、紹介しましょう。

〜裏を見せ表を見せて散る紅葉(もみじ)〜

これは江戸時代後期の禅僧、良寛が臨終の際に、彼をみとった弟子の貞心尼(ていしんに)に言い残した句です。貞心尼は、この句は良寛自身の作ではないものの、師の心にかなうもので、大変尊いものだ、と書き記しています。

物事にも人間にも、裏があり表がある。そのことを認め、さらけ出して生きて散ってよいではないか。良寛さんは、そう言っているのでしょうか。

晩秋は「冬隣(ふゆどなり)」

冬がすぐ近くまで来ているように感じられる晩秋のころを、「冬隣」といいます。

冬隣があるなら、春にも夏にも秋にも「隣」が付く言葉はあるの? と思う人もいるでしょう。

確かに、四季のどの言葉にも、それぞれ「春隣(はるとなり)」「夏隣(なつどなり)」「秋隣(あきどなり)」という言葉があります。春隣は晩冬、夏隣は晩春、秋隣は晩夏のことです。

これらの時季は、来るべき季節を意識しながら、過ごしていたのでしょう。

〜くらがりへ人の消えゆく冬隣〜

これは、角川書店の創立者で俳人でもあった角川源義(かどかわげんよし)氏の一句です。

この「くらがり」が具体的にどういうところかはわかりませんが、寂しく厳しい冬がまもなく訪れることが感じられる句です。


近年の夏は酷暑の日が多く、暑い日が長く続く傾向があります。その分、秋を短く感じる人もいるでしょう。

貴重な晩秋の日々を、食べ物、スポーツ、散策、旅行、読書などで、心残りのないように満喫したいですね。

監修/山下景子
作家。『二十四節気と七十二候の季節手帖』(成美堂出版)や『日本美人の七十二候』(PHP研究所)など、和暦などから日本語や言葉の美しさをテーマとした著書が多数ある。

写真:ウェザーリポート(ウェザーニュースアプリからの投稿)

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