「気持悪~って思いましたね」ゆたぼん(15)がSNSでの苛烈なバッシングを無視しつづけられた“シンプルな理由”とは
小学校3年生から不登校になり、「不登校YouTuber」や「少年革命家」という肩書で、不登校は不幸ではないとSNSで様々な発信をし続けてきたゆたぼんさん(15=本名・中村逞珂)。時には「父親の操り人形」などの厳しいバッシングも受けてきた。
だが、中学3年の2学期から登校を再開し、「学校へ行って人生は勉強や!」と心境の変化。そこに何があったのか。YouTube「たかまつななのSocial Action!」で、心境の変化を聞きました。(たかまつなな/笑下村塾)
「こいつらホンマにただの先生のロボットやんか」
たかまつ そもそも小学校3年で不登校になったのはなぜだったのでしょう。
ゆたぼん 2年生までは学校が楽しかった。でも3年生の2学期に宿題をやらなかったら、先生に怒られたんです。それで、なんで宿題をやらなきゃならないのか聞いたら「そんな疑問はいらんから、さっさとやれ」と。クラスのみんなは先生の指示通りやっているので、ロボットのように見えたんです。
僕は先生の言うとおりの人間にはなりたくなかったので、宿題はやらないと決めました。そしたら先生に教室に残され、叩かれました。
その後、親との3者面談があり、先生は僕を叩いたのに親の前では叩いてはいないと。叩いた叩いてないの水掛け論になり、最終的に先生は「手が当たっただけ」と言っていました。
たかまつ それはショックですね。
ゆたぼん そんな学校には行きたくないと思いました。親も行きたいときに行けばいいと言ってくれて、先生も給食の時間だけ来ればいいという感じだったので、給食だけ食べに行って昼休みに校庭で遊んでいると、同級生たちが「お前、宿題やったんか」とか、「教室に戻って勉強やれ」と引き戻されたり、しまいには先生に言われて俺の見張り役をしてくるクラスメートもいて、こいつらホンマにただの先生のロボットやんか、と思った。それ以来、僕は不登校になると決めたんです。
「僕のSNSは大バッシングされましたけど…」
たかまつ ご両親は納得したんですか。
ゆたぼん その時も、学校には嫌な思いをしてまで行くことないって言ってくれました。親のその言葉にホント救われました。
たかまつ 当時、「先生に従う同級生がロボットにみえた」という発言は炎上していましたよね。
ゆたぼん 沖縄の新聞の取材で、不登校になった理由を語ったんです。その時は小学校5年生。まだ語彙力もなかったから、同級生をロボットだと言ったように捉えられてしまいましたけど、実はそういう事情があったんですよ。
僕のSNSは大バッシングされましたけど、記事のおかげでバズったことも事実。だから凄く感謝しています。
たかまつ 不登校になったのは大阪にいた頃で、今は沖縄在住ですよね。
ゆたぼん そうです。不登校になってすぐ、沖縄サドベリースクールというフリースクールの見学がてら、家族全員で沖縄旅行に行きました。そこは宿題もないし、時間割も自分で決める学校で自分にぴったりだった。それで家族会議で話し合って、沖縄に移住することに決まりました。僕が小4の時ですね。
たかまつ そのフリースクールには、通っていたんですか?
ゆたぼん 結局、行きませんでした。ホームスクーリングも出来たので、家で勉強しても同じだと思って。地元の小学校には、時々給食の時間だけ行っていました。
たかまつ 地元の小学校は、不登校の事情を理解してくれていたんですか。
ゆたぼん 沖縄に引っ越してくるときに、大阪でこういうことがあったと話してあったんで、そこは理解してくれていたと思います。友達もできました。近所の公園で遊んでいたら、声をかけてきた子が同じ学年だと分かって、それから時々一緒に遊ぶようになりました。
「普通に学校に行っていたらゆたぼんは存在しないと思うし」
たかまつ 「少年革命家」と名乗ったのは沖縄にいた小学校5年の時ですよね。
ゆたぼん 不登校でも活躍できるのを見せたかった。ボクシングやったり、日本一周したり、ロボット発言で炎上したせいでメディアにもたくさん取り上げられ、注目されるようにもなったし。
たかまつ それはもしかすると学校ではできない経験かもしれないですね。
ゆたぼん そう。普通に学校に行っていたらゆたぼんは存在しないと思うし、有名人とのYouTubeコラボとかもできなかっただろうし、不登校は全然後悔していないです。むしろ良かったと思っています。
たかまつ ゆたぼんさんがSNSで発信するたびに「学校へ行け」という批判はかなり届いたと思います。親が不登校を推奨していると捉えて、児童虐待じゃないかというバッシングもありました。そんな批判に対しどう思われていましたか。
ゆたぼん 気持悪~って思いましたね。僕は親の言うことばかり聞いてきたわけじゃないし、自分なりに信念を持って発信してきたつもりだし、そもそも親の言うことばかり聞いて行動していたら、ここまでは来ていないです。
炎上が一番大きかったのは初めて琉球新報に掲載された時で、学校に行けという同調圧力が凄かったけど、ダルビッシュ有さんや茂木健一郎先生に「批判はスルーしていい」って励ましていただいて凄く嬉しかったですね。それが縁で、茂木先生はYouTubeにも出てくれました。
たかまつ 他にも印象的な出会いはありましたか。
ゆたぼん 亀田興毅さんにはテレビの企画でお目にかかってボクシングを始めるきっかけになったし、YouTuberのスカイピースさん、格闘家の朝倉未来さん、参議院議員(当時)の立花孝志さん、青汁王子の三崎優太さんたちとYouTubeでコラボしました。
学校では絶対に学べないことをいっぱい教えてもらいましたね。特に三崎さんには、学校では絶対に教えてくれないお金の稼ぎ方を教わりました。
たかまつ 不登校であっても、早くから大人と交わることで大きな学びがあったんですね。
ゆたぼん そうなんです。まずは漢字ですよね。皆さんメールやLINEで難しい漢字をいっぱい使うので、なんやねんこの字はと漢字の勉強をする必要がありました。
何より大きかったのは、コミュニケーション能力が磨かれたことです。大人の人と会話したり、YouTubeでコラボするときに彼らの説得力がある語り口がとても参考になりました。このスキルが、不登校を卒業して学校に通いはじめたときも役立ちましたね。
「極楽とんぼの加藤浩次さんに『1回は学校に行ってみたら』と言われて…」
たかまつ 中3の2学期から登校を再開したということですが、どんな心境の変化があったんでしょう。
ゆたぼん 中学に入ったころにはボクシングをやったり、クラウドファンディングで資金を募って不登校児と会う日本一周の旅をやったりしていたので、まだ学校に行きたいとは思ってなかったんです。
ただあるテレビ番組で極楽とんぼの加藤浩次さんに「1回は学校に行ってみたら」と言われて、「自分が行きたくなったら行きます」と答えたことがありました。親にも同じ時期に登校を勧められて、タイミングを探るようになっていました。それが夏休み明けの2学期になった、ということです。
たかまつ 何年も学校に行っていないのに、初登校の時は怖くなかったですか。
ゆたぼん 怖いというよりは楽しみでした。どんな奴がいるんだろうって緊張はもちろんしましたけど、YouTubeコラボやボクシングの試合で緊張する経験はいっぱいしてきたので、それよりは全然普通でした。
それに小学校の時に公園で遊んでた友達も何人かいたので、クラスの友達と喋るのが楽しかったし、それまでに培ったコミュニケーション能力でクラス全員と仲良くなりました。それで学校がすっかり楽しくなって……。
たかまつ 勉強にはついていけましたか。
ゆたぼん 不登校時代もフリースクールで勉強したり、家ではスタディサプリを使っていたし、YouTubeでも興味のある勉強はしていたのでそれほど苦ではなかったです。
たかまつ 学校での一番の思い出はなんですか?
ゆたぼん 合唱コンクールかな。合唱コンクールって、みんなで団結してやるじゃないですか。だから練習がめっちゃ楽しかった。
たかまつ その頃にXで「俺は自分の意志で生きてますのやで!これまでも!これからも! 人生は勉強や」という一文と共に、お父様のアカウントをブロックしたスクリーンショットを投稿しています。あの意図は何だったんでしょう。
ゆたぼん 中学生になっても僕のことを父親の言うとおりに動くロボットだという人がいたので、違うと宣言したかった。別に父親と仲が悪くなったとか反抗期とかじゃないですよ。父親は今でもボクシングの練習に付き合ってくれるし、何かとサポートをしてくれて心から感謝してるんですけど、自分の行動は自分で判断していると訴えたくて。
たかまつ 中学卒業時には公立高校の受験もされたんですよね。
ゆたぼん 不合格でしたけどね。ただその高校に合格した友達と自己採点で点数を比べたら、僕の方が倍近く点数を取っていたはずなんですよ。でも3年の1学期まで不登校だったので、内申書が良くなかったみたいです。
たかまつ 今年8月に高校卒業程度認定試験(高認)を受けることにしたのはそれが理由ですか?
ゆたぼん 公立高校の受験に失敗して、日本航空高等学校通信制課程メタバース工学科に入学はしたんですけど、前から高認の制度を知っていたので受けてみようと。
受験した「公共」「国語」「英語」「数学」「科学と人間生活」「地理」「歴史」「生物基礎」の8科目のうち、自己採点では英語以外の7科目は合格したはずです。英語はまったく勉強してこなかったので、英語以外の7科目は絶対に合格するって宣言しました。でも、英語は高校でイチからやり直しますよ。大学に進学するかどうかは別にして、高認は取るつもりです(取材後に7科目の合格が確定)。
「僕、6年生の時に髪の毛を染めて学校に行ったんですよ」
たかまつ ご自身の経験を踏まえて、国に変えてほしいと思う制度や、「このルールおかしいんじゃないかな」って感じていることって、何かありますか?
ゆたぼん そうですね、やっぱり学校の校則とかが浮かびますね。僕、6年生の時に髪の毛を染めて学校に行ったんですよ。そしたら先生とケンカになって「なんでダメなんですか?」って聞いたら、「いや、ルールだから」って言われたんですよ。「いやいや、なんでそのルールがあるんですか?」って聞いたんですけど、「ルールはルールだから」みたいに言われて。
結局、髪は染め続けてたんで卒業式にも出られなくなっちゃって。高校でも、靴下は白じゃなきゃダメとか、髪型は女の子はポニーテールがダメとか、いろいろあるじゃないですか。そういうのも、なんかおかしいなって思いますよね。なんでそういうルールがあるのかちゃんと説明してくれれば納得できることもあると思うんですけど。
たかまつ ヨーロッパでは「学校内民主主義」という考え方が浸透していて、生徒自身が学校運営に関わるんです。例えば、校則を変えたいという声が上がると、生徒たちが話し合って決める。最終的な意思決定の会議には、校長先生や保護者だけでなく、生徒も一緒に参加して議論に加わります。
ゆたぼん それは本当にいいと思います。変化を恐れず楽しむことが大事だと思うので、いろいろなことに挑戦して、どんどん試していけばいいんじゃないかなと思います。
「そうですね、内申点とか本当に意味がわからないです」
たかまつ 他にも変えて欲しいルールはありますか?
ゆたぼん そうですね、内申点とか本当に意味がわからないです。なんで必要なのか疑問ですよね。もしかしたら急に高校に行きたくなる人もいるかもしれないし、内申点制度はやめて、受験で決めるようにしてほしいです。
たかまつ 内申点があるせいで、親も無理やり子供に「学校に行きなさい」と言わざるを得なくなりますよね。休んだ子や病気で通えない子が不利になるのは、私もおかしいと思います。
ゆたぼん 学校に行きたくない子は無理に行かなくてもいい、そういう環境を国がもっと整えてほしいなと思います。
たかまつ 今後どんな活動をされますか。
ゆたぼん ボクシングは大好きなので続けたいですし、高校にもずっと通うつもりです。
たかまつ 不登校を経て、勉強の面白さにも目覚めたようですが、現在の不登校の子供たちに伝えたいことはありますか。
ゆたぼん 僕は学校も勉強も否定しているわけじゃないけど、不登校になるって様々な理由があるんですよ。いじめにあっている子もいれば、先生と合わない子、あるいは理由が分からず学校に行きたくない子、そして僕のように自由登校を願う子もいる。それが、現在30万人いると言われる不登校の実態だと思います。
そういう学校に行けない子たちが苦しんでいるんだったら、その場所から逃げてもいいと思う。勉強は家でも出来るし、フリースクールもある。一番よくないのは苦しみながら無理に学校に行って、追い詰められてしまうこと。そうならないためにも親や周りの大人は、子供の気持ちを尊重してあげて欲しいです。
国や行政には、不登校の子たちが自由に学べるフリースクールやオンラインの学校などをもっと整備して欲しいですね。
取材の模様はYouTubeでもご覧頂けます
(たかまつ なな)
10/26 11:20
文春オンライン