「人間の脳が薬になるから、取ってきてほしい」埼玉の火葬場職員が、遺体から脳を盗んで転売…日本各地の火葬場で“脳みそ盗み”が起きていた過去

「雑木林から200体以上の死体が見つかった」火葬場職員が遺体から脳を取り出し、高額で転売…群馬で“日本を揺るがす大事件”が起きてしまったワケ〉から続く

 故人のご遺体を火葬し、その人生を締めくくる場所「火葬場」。今でこそクリーンな運営をしている場所が多いが、かつては火葬場で陰惨な事件が起きていたこともある。

【衝撃画像】火葬場職員が、遺体から脳を盗んで転売…日本で起きた“脳みそ盗み事件”を画像で見る

 1933年に起きた「桐生火葬場事件」もそのひとつだ。群馬県桐生市で火葬場職員が、火葬場に運ばれてきた遺体から脳漿(脳のまわりを満たしている液)を盗み、高額で売りさばいていたとして、当時、日本中で話題になった。

「桐生火葬場事件」以外にも、日本各地で同様の事件が起こっていたという。いったい、どんな事件だったのか——。ここでは、元火葬場職員・下駄華緒氏が、火葬場で起きた事件を徹底調査してまとめた書籍『火葬場事件簿 一級火葬技士が語る忘れ去られた黒歴史』(竹書房)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く

写真はイメージ ©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

◆◆◆

「火葬場職員が脳しょうを盗む」事件が次々と発覚

 桐生火葬場事件は世間を大いに震撼させたが、それと時を同じくして、ほかの火葬場で同様の事件が起きたことが次々に発覚している。

 現在の埼玉県越谷市一帯では、もともと火葬場職員が脳しょうを取っているという噂が流れていたらしい。

 はじめはそんな話は怪聞だとあまり取りあわなかったようだが、桐生火葬場事件を受けて、職員が脳しょうを取ることがにわかに現実味を帯びてきた。

 そこで越谷署が昭和8年(1933)11月、怪しいと地元で噂が立っていた44歳の火葬場職員を検挙し取り調べたところ、クロだと発覚した。

 この人物は、人間の脳しょうが肺病の薬になるから取ってきてほしいと、とある人物から依頼を受けた。

 そこで一度は火葬をはじめたところで中断し、半焼けになった遺体をこっそり竈(かまど)から引き出して脳しょうを摘出。それを持ち去って依頼者に渡していた。

 その代わりに謝礼を受け取っていたらしい。取り調べの結果、どうやら昭和6年(1931)以来、数回にわたって脳しょう盗みを働いていたとのことだった。

22歳の息子にも“脳みそ盗み”が発覚して…

 事件はそれだけで終わらなかった。

 じつはこの職員には22歳の息子がいて、ちょうどそのとき軍隊にいて朝鮮半島へ駐屯していた。その息子も怪しいという話があったのだ。

 そこで取り調べたところ、こちらもビンゴだった。息子もじつは、前年の11月から軍隊入りする6月までの約半年のあいだ、父の代理として火葬場で働いていた。

 1月某日、越谷のとある男性の火葬を依頼された際に、遺体から脳しょうを取りだし、これを大澤町(現・越谷市大沢)の男へ渡し、謝礼を受け取っていたことが判明したのである。そのほかにもう一件、同様の“副業”を自白し、事件は幕を下ろした。

 このときの新聞報道では、取りだされた脳しょうを「カルメラ焼の様になった脳しょう」と表現されている。

 現代では考えられないようなことが過去に起こっていた。時代といえばそうかもしれないが、この状態からよく現代のような洗練された状態になったものだとつくづく思う。おそらく現役の火葬場職員でさえ意外と知らないので、にわかに信じがたく感じるだろう。

火葬中の脳のなんとも言い難いニオイ

 ちなみに脳は火葬する際も気をつけるべき部分でもある。

 たとえば、検死されたご遺体の場合は開頭手術後なので、火葬中にパカっと頭が開くことがある。そのときに脳が露わになることがあり、たまたまそのタイミングでデレキ(金属の長い棒)で作業していて脳に当ててしまうこともある。

 このときのなんとも言い難いニオイは非常に辛いものがある。ついた部分をバーナーでデレキが赤くなるまで加熱するのだが、それでもニオイは残ってしまう。

 人体のなかでも非常に脆く、薄ピンク色のつるんとしたその部分を、こういった事件のように破壊するなど、働いていた身としても到底考えられないことである。

「3年間で、500体の遺体の脳を売りさばいていた」三重の火葬場で“とんでもない事実”が明るみに…昭和に起きた“脳みそ盗み”事件の一部始終〉へ続く

(下駄 華緒/Webオリジナル(外部転載))

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