ナチスと結託し、ユダヤ人への人体実験を繰り返した“狂気の科学者”――敗戦後はどんな人生を歩んだ?

「重い病気や障害のある人が増えるのは国の負担」と考え、“字が読めない女性”の中絶を指導…人類の進歩に囚われた「普通じゃない科学者」の正体〉から続く

「優生学」に囚われた、ドイツの科学者のオトマール・フォン・フェアシュアー。第2次世界大戦中は、ナチス協力のもと、ユダヤ人への人体実験や殺害を実行。では、この狂気の科学者は戦後どんな人生を歩んだのか? フリーライターの沢辺有司氏の新刊『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む

【悪魔の顔を見る】ナチスと結託し、ユダヤ人への人体実験を繰り返した“狂気の科学者”

“狂気の科学者”オトマール・フォン・フェアシュアー ©getty

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研究のための人体試料を調達

 1935年、ナチスはユダヤ人から市民権を奪う「帝国市民法」と、ドイツ人とユダヤ人の婚姻・性的関係を禁じる「血統保護法」を制定した。ドイツ民族を「人種のなかの最上位であるアーリア人種の末裔」と考え、ユダヤ人の血と混じることを阻止しようとしたのである。

 このナチスの政策を熱烈に支持したフェアシュアーは、1936年、ユダヤ人問題を検討するナチス傘下の研究機関である帝国新ドイツ史研究所の委員会の顧問となり、ユダヤ人を科学的に特定する方法を研究した。身長や目、鼻の形、体臭、かかりやすい病気などからユダヤ人を特定しようと試み、この過程で「ユダヤ人は他の民族よりも糖尿病などを発症しやすく、聾や難聴などの障害が起きやすい」などとし、「ユダヤ人を完全に隔離すべき」と主張した。

 1939年、第2次世界大戦がはじまるとドイツ国内では医師不足により断種法にもとづく不妊手術は中止された。そのかわりヒトラーの「安楽死計画」が実行にうつされた。施設や医療機関に収容されている障害者や精神疾患の患者、結核患者らがドイツの医者たちの手によって計画的に殺された。なかには孤児院や青少年療養施設に入る子どもたちも判定の対象となり、殺された。殺し方は施設によってさまざまだが、公式の安楽死計画では一酸化炭素ガスが使われた。この安楽死計画により、20万人以上のドイツ人が犠牲になったといわれる。

 一方、1942年にカイザー・ヴィルヘルム協会の人類学・人類遺伝学・優生学研究所の所長に就任したフェアシュアーは、こんどは血液テストによってユダヤ人を特定する方法を確立しようとした。人種によって血液中のたんぱく質に違いがあるのではないかと考えたのだ。

 フェアシュアーは、アウシュビッツ強制収容所で活動するヨーゼフ・メンゲレ医師に命令し、収容者たちの血液サンプルを集めさせた。

 フェアシュアーの弟子にあたるメンゲレは、師の指示に忠実にしたがい、収容者たちから血液を集めた。ひとりから1日に何度も採血し、血液がなくなるまで採血されることもあった。

 集めた血液のサンプルには人種や年齢、性別が記され、フェアシュアーのもとに送られた。さらにメンゲレはフェアシュアーが喜ぶのではないかと思い、殺害した収容者の人体から眼球や内臓、骨格などのサンプルを集めた。フェアシュアーとメンゲレによって、アウシュビッツはおぞましい人体実験場となっていたのだ。 

 フェアシュアーは、血液テストによってユダヤ人を特定する試みは成果があったと報告しているが、人種というあいまいな概念を科学的に解き明かすことはそもそも無理がある。もはや彼の研究には意味はなく、ナチスの殺戮行為を正当化する根拠をあたえていただけだ。

課されたのは罰金刑のみ

 戦後、ユダヤ人の大量虐殺に加担した人物たちの多くは、連合国による軍事法廷で戦犯として裁かれたが、その中枢にいたフェアシュアーは結局、人体実験に関与していた証拠がなく、罰金のみで釈放された。優生政策を推し進めていたアメリカは、フェアシュアーの罪を問いにくかった側面もあるだろう。

 フェアシュアーは、なにごともなかったかのようにドイツ人類学協会の会長を務めるなどして科学界に君臨し、1969年に亡くなった。

 問題が顕在化したのは1985年以降のことだ。カイザー・ヴィルヘルム協会の後継機関マックス・プランク協会は調査を進め、フェアシュアーがアウシュビッツの収容者虐殺に深く関与していたことがようやく明らかになってきたのである。

(沢辺 有司/Webオリジナル(外部転載))

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