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「7階のベランダで体を押さえ、片手で110番通報」アルコール依存症を再発した46歳の妻と朝日新聞記者の夫が過ごした“壮絶な断酒生活”

摂食障害に苦しむ34歳の妻が性被害を告白…精神科病院で彼女の身に起こった“衝撃的な異変”「テーブルの周りを10分ほど走り回り…」 から続く

 摂食障害、アルコール依存症に苦しむ妻を20年近く介護し続けてきた、朝日新聞記者の永田豊隆氏。その体験を克明に綴った朝日新聞デジタルの連載は100万PV超の大きな反響を呼び、2022年4月に『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)として書籍化された。

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 ここでは同書から一部を抜粋し、アルコール依存症を再発してしまう妻(当時46歳)に対して、永田氏がどのように向き合っていたのかを紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く

この写真はイメージです ©iStock.com

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アルコール依存症に苦しむ妻

 アルコール依存症の治療は完全に酒をやめる「断酒」が原則とされる。最近では酒量を控える「節酒」を軽症者向けの目標にするケースもあるそうだが、断酒よりも険しい道のような気がする。酒量をコントロールする脳の機能が壊れるのがこの病気だからだ。

 そんなことを思い知らされたのは、退院から間もなく妻が飲酒を再開してからの日々だった。

 はじめは休肝日をつくり、節酒に努めていた。しだいに飲まない日がなくなって酒量が増え、1年もたつと頻繁に酔いつぶれるようになった。約9年にわたり診てくれた精神科病院の主治医は「同じ精神科でも、アルコール依存症は専門性が高いから」と専門的な治療を勧めた。

 2018年9月、依存症専門の医療機関に通院先を変更した。4年前に通った専門病院とは別のところだが、専門医の診察、院内の治療プログラムと院外の自助グループへの参加が柱であることは変わらない。

 妻は専門医になかなか心を開かなかった。

 今はどれぐらい飲んでいますか?

「覚えていません」

 最近はいつ飲みましたか?

「覚えていません」

 せめて酒量をノートにつけてみませんか?

「……」

 プログラムにも、自助グループにも、たまにしか参加しない。いつも酔っているため、参加しようにもできなかった。

 ただ、「飲む」と「やめる」の間で揺れているのはわかった。自宅に来たヘルパーに「お酒をやめたい」と涙を流し、12月には「もう一生飲まない」と言って専門病棟に入院した。しかし、今回も1泊で退院を強行した。3度目だ。

 こんなときこそ彼女が本当の気持ちを吐き出せる場がほしい。でも、頼りにしてきたカウンセリングはすでに前年7月、臨床心理士側の事情もあって終了していた。その役割を担うはずの自助グループはまだ、彼女にとってハードルが高そうだった。

 けがによる救急搬送。失禁。夜中の叫び声。路上での酔いつぶれ。数年前と変わらぬ日々が戻った。

「死んで、あなたを楽にしてあげる」と言ってベランダのフェンスに…

 2019年6月には、危険な行為が始まった。

 深夜、彼女がベランダへ出てフェンスに足をかけ、飛び降りようとする。「死んで、あなたを楽にしてあげる」。わが家はマンションの7階だ。力ずくで引き戻すが、目を離すとまたベランダに出る。行きつ戻りつ、気がつくと未明だった。

 もっとも、私に気づかれるようにやっているのが明らかで、演技的な面も感じられた。だからといって安心はできない。アルコールは衝動性を高め、しらふなら超えない一線を超えさせる。専門医からは「必ず止めてください。警察を呼ぶこともちゅうちょしないで」と助言された。

 7月14日、ベランダで妻の体を押さえながら、片手で110番通報した。彼女は警察官2人に両脇から抱えられ、翌朝まで警察署で保護された。医療保護入院につなぐことも提案されたが、候補先の精神科病院があまりに遠方だったため断った。

 アルコール依存症という病気は家族向けのテキストがいくつも出版され、医療機関では家族教室も開かれている。それだけ家族しだいで予後が左右される病気なのだ。

 何かに救いを求めるように、私も妻への向き合い方を必死で勉強した。しかし、期待通りに酒をやめさせるには至らなかった。

 例えば、すべてのテキストで必須とされているのが、イネイブリング(世話焼き行為)をやめることである。

 酔って床で寝込んだ妻。散らかった食器。たまった洗濯物。この状態をあえて放置して、飲酒の結果を本人に自覚させる。それが教科書通りのやり方だ。だから、片づけたくなるのを我慢して放っておいた。

 しかし、翌朝、妻は床から起き上がると淡々と洗い物と洗濯をこなし、再び飲み始めた。1カ月たっても、1年たっても変化は見られなかった。薬物療法などと違って、イネイブリングをやめる効果が表れるには時間がかかるのだろう。そのうち何をやっても無駄な気がしてしまった。

「わたし」を主語にして話す、というのも複数のテキストでポイントにあげられている。

「(あなたは)いつまで飲んでるんだ」などと、家族は意識せずに「あなた」を主語にしてものを言っている。この話法は「上から目線」になりがちだ。

 一方、「わたし」を主語にすれば、自分の感情や気持ちを伝えることができる。「飲み過ぎて体を壊すんじゃないかと、わたしは心配だ」。この方が相手も受け入れやすい。

 そう心がけてみた。妻に伝わっているという実感が持てるときもあった。しかし、続かない。気がつくと感情を抑えられなくなり、「いい加減にしろ!」と怒鳴っていた。

 本人がしらふのときに自助グループなどを勧める、というのも鉄則だ。だが、朝昼晩と飲み続け、しらふの時間がなかった。

アルコール依存症という“モンスター”と家族が戦うためには

 まず家族が変わることで本人に変化がもたらされる。多くのテキストでは、そんな理想的な実例が紹介されている。それは希望になったが、「わかる」ことと「できる」ことは別物だということも思い知らされた。

 家族が冷静さを維持するのは難しい。職業としての支援者と違って、24時間、その立場を降りられないのだ。寝ていればたたき起こされ、車を運転していても助手席から暴言を吐かれる。

 それでも、家族としてやるべきこと、やってはならないことを学んだことは、本人を支えるための「基礎体力」になった。それがなければ暗闇のなか、武器を持たずにモンスターと戦うことになり、倒れていただろう。念のためだが、モンスターは本人でなく病気だ。

 教わった通りにできるかどうかは別にして、家族教室や家族の自助グループに通い続けること自体がエネルギーになる。仲間のなかで元気を取り戻すことができる。

 私が倒れずにすんだ理由としてもう1つ、わが家が密室でなくなっていたことも大きかった。2015年4~7月にとった介護休業とそれに続く妻の長期入院の間、様々な公的サービスを準備していた。それによって私が仕事に出ている間、ヘルパーや訪問看護師ら誰かが必ず家に来てくれる。すべてを1人で抱え込まなくてよくなった。

 2018年9月から、私は読者投稿欄「声」の編集チームで勤務した。大阪本社だけで年間2万通を超える投稿に目を通し、選定し、紙面を編集する。休憩すらままならぬ忙しさなのに、妻の様子が気になって仕事が手につかない日もあった。

 2019年5月15日もそうだった。午後、「インターホンに応答がありません」とヘルパーから電話があった。おそらく妻が泥酔してオートロックを開けられないのだろう。合鍵で入ってもらった。

 まもなくショートメールが届いた。〈奥さまが部屋中に嘔吐して、倒れていました〉

 ため息が出る。目の前にある投稿の文面が頭に入らない。仕事を早めに切り上げて帰宅した。

なぜ妻は苦しむとわかっていて酒を飲むのか

 妻はベッドで昏々と眠っていた。ヘルパーは2人がかりで大量の嘔吐物を片づけ、彼女をベッドに運んでくれていた。

 4日前からひどい酔い方が続いていた。きっかけは、抗酒剤といわれる処方薬だった。

 抗酒剤は体内のアルコール分解酵素の働きを阻害する作用がある。そこに酒が加われば、動悸、頭痛、息苦しさなど悪酔いと同じ状態になるため、服用することで飲酒の歯止めにできる。

 それまで治療プログラム、自助グループ、専門病棟への入院など定石とされる治療法がいずれも功を奏さなかった妻にとって、この薬は断酒の切り札だった。彼女は専門医の説明に納得したうえで、朝一番で服用した。私は「これで酒が止まる」と期待した。

 だが、あっさり裏切られた。彼女はふだん通りに飲んだ。当然ながら頭痛やめまいを起こし、激しく嘔吐した。専門医は「抗酒剤とアルコールを一緒に飲むことは危険」として服用中止を言い渡した。

 万策尽きた。

 一方で、疑問も浮かんだ。苦しむとわかっていて、なぜ飲むのか。

 本人に理由をただすが、「わからない」と言うばかりだ。患者が抗酒剤を嫌がるケースは聞くことがあるが、妻のように服用後にあえて飲酒を繰り返すケースなんてあるのだろうか。

 気になったのは、彼女のもの忘れがひどくなっていることだった。

 さっき見たばかりのドラマの内容を覚えていない。すでに家にあるみそやマヨネーズをいくつも買ってしまう。近所の歯科に行こうとして道に迷う。今日が何日か、何曜日かもわからない。

 依存症の本を読むと、アルコール性認知症という疾患があるらしい。もしかすると彼女はこのタイプの認知症になっていて、抗酒剤を服用したことを忘れて飲酒したのではないか。

 ただ、もの忘れは単なる酩酊によっても起きうる。まさか46歳で認知症なんて、とも思う。その可能性について、専門医は否定的だった。

 この年、妻の身体合併症はいっそう重篤になっていた。

 4月、内科の入院で肝硬変と診断された。「酒をやめないと、大量吐血や肝臓がんで命を落とすおそれがある」。内科医は厳しい口調で諭した。

 6月には、大腿骨の上部(骨頭)が壊死する国指定難病「大腿骨頭壊死症」が判明した。前年暮れから妻は左足付け根の激しい痛みを訴え、しだいに歩くことすら難しくなっていたが、これが原因だった。やはり飲酒の影響とみられる。晩年の美空ひばりが苦しんでいたことで知られる病気だ。

 ほかにも吐血、下痢、腹痛、酔ったふらつきによる火傷には日常的に見舞われた。

 もはや断酒に一刻の猶予も許されない。でも、彼女は飲み続ける。私はただ焦りだけが募った。

 こんな生活から早く解放されたかった。寝不足が続いて体が重く、頭もぼんやりしている。「このまま肝硬変が悪化して死んでくれないか」と願ってしまう自分もいた。

 転機は思わぬかたちで訪れた。

(永田 豊隆)

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