「結婚して一番変わったのは酒量」眞子さんを送り出された秋篠宮さまは56歳に 家族が明かした“紀子は宮さまのたくましいところに惹かれた”

 秋篠宮さまが、11月30日に56歳の誕生日を迎えられ、誕生日を前にした記者会見で、10月26日の朝に長女・眞子さんを送り出された父親としてのお気持ちについて、「元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね。そういうことを最後に言ったつもりなんですけれども、ヘリコプターの音で全てかき消されてですね。向こうも何か言ったのですが、結局、何も聞こえずに終わりました」と述べられました。

【写真】紀子さまだけがご不在…現在の秋篠宮ご一家の家族写真

「文藝春秋」は秋篠宮家の内実を報じてきました。秋篠宮さまと親交の深い江森敬治氏(毎日新聞編集委員)による「秋篠宮が私に語った『次男の覚悟』」(「文藝春秋」2010年4月号)を特別に全文公開します。(全3回の1回目/#2#3に続く)

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

◆ ◆ ◆

近年重みを増す秋篠宮さまの立場

 平成21年は、天皇、皇后両陛下の即位20年と結婚50年という二重の喜びに包まれた年だった。秋には祝賀行事も催され、皇室は華やかな祝賀ムードにあふれた。

 今年、天皇陛下は77歳、皇后さまは76歳になる。両陛下の年齢を考慮しながら、次世代に向けた動きもまた、着実に進行している。昨年11月初めの記者会見で、陛下は「将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います」と語った。

 陛下は、皇室の将来を決めるうえにおいて、皇太子さまだけでなく、秋篠宮さまの考えも重要だと公の場で初めて明言した。だが、次の天皇となる皇太子さまの意見や考えが尊重されることは理解できるものの、次男である秋篠宮さまにまで言及したことに、首をかしげた国民も少なからずいるかもしれない。

 例えば、天皇陛下と2歳違いの弟、常陸宮さまは幼少期から、別々の場所で生活した。皇室では長男と次男は歴然と区別されて育てられる。かつて昭和天皇が皇室の将来を決めるうえで、常陸宮さまの考えも尊重するべきだとの期待を会見等で表明したことがあっただろうか。こう考えてみると、陛下の発言は異例のことかもしれない。

 しかし、秋篠宮さまの立場が近年、重みを増していることも事実なのだ。

 宮さまの長男で今年、4歳となる悠仁さまは皇太子さま、秋篠宮さまに次いで皇位継承順位3位。「皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する」と定めた現行の皇室典範の下では、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまにはその資格がなく、このままいけば将来、悠仁さまが天皇となる可能性は大きい。加えて――いや、こちらの方が、あるいは重要なのかもしれないが――病気療養中の雅子さまを支える皇太子さまに比べ、秋篠宮さまの方が家族で両陛下と接する機会も多く、両陛下との関係はより濃密なのだ。高齢となり、体調も心配される両陛下にとっては、心強く頼りとなるのは、いつも近くにいてくれる秋篠宮さまとその家族ということになるだろう。心情的には秋篠宮さまを、皇太子さまより「かわいい」と思っているかもしれない。

 昨年11月末に行われた44歳の誕生日会見で、秋篠宮さまは今後の皇室のあり方については、「将来その当事者になる皇太子ほかの意見を聞くという過程も私は必要なのではないかと思っております」と答えた。

 また、今年2月に行われた50歳の誕生日会見で皇太子さまは「天皇陛下のおっしゃっておられることを真剣に受け止めております。秋篠宮とは様々な事柄について話し合う機会がありますし、今後ともそのような機会を持つことになると思います」と答えた。

 陛下の発言を真摯に受け止め、一緒にしっかり考えようとする二人の生真面目な姿勢が伝わってきた。

宮さまと私の出会い

 今年6月に結婚20年を迎える秋篠宮さまは、将来の皇室を担うキーマンの一人に成長した。そんな宮さまと私との交際は20年近くに及ぶ。初めて、宮さまと会ったのは、宮さまが紀子さまと結婚した翌年の平成3年2月のことだった。そのとき、夫妻は京都を訪問していた。当時、京都に勤務していた私は、妻と一緒に宮さま夫妻が泊まっていた格式ある旅館を訪れた。妻は結婚前、学習院大学で紀子さまの父、川嶋辰彦教授の手伝いをする副手を務めていたこともあり、以前から紀子さまと面識があった。こうした個人的な縁で私と宮さまとの交際は始まり、現在まで続いている。

 このとき、4人で撮らせていただいた写真を見ると、新婚の初々しい二人がいる。宮さまはグレーのスーツにえんじ色のネクタイ、胸ポケットに同じ色のチーフをのぞかせていた。右手首に金のブレスレット。指輪をはめ、ロ髭をたくわえ今よりも少しほっそりしていた。紀子さまは紺のスーツ姿。ロングヘアーで満面に笑みをたたえていた。

結婚で「一番、変わったことは酒量」

 宮さまは、「結婚して変わったことですか? 一番、変わったことは酒量がだいぶ減ったことですかね」などと答えた。紀子さまも「お酒とタバコに気をつけてくださいね」とほほ笑みながら宮さまに話した。宮さまは初対面の私たちに、飾ることなく素直に近況を語ってくれた。懇談は1時間ほどで終わった。私は、宮さまは物静かで繊細な方だなと感じた。と同時に、話しぶりから両陛下や兄妹、それに自分の置かれた環境に対してよい意味で少し距離をとって見ているのでは、との第一印象も強く併せ持った。距離を置くというのは、置かれた立場から逃げているとか、関心を示さないということではない。皇族としての自分を冷静かつ、客観的に見つめている、大人びた姿勢を指すのだ。

 あれから約20年がたち、宮さまはどう変化したのだろうか。

宮さまは元来「たくましい人」

 宮さまは、結婚後、国内はもとより外国への公式訪問も増え、結婚当初とは比べものにならないほど皇族としての立場が重みを増した。紀子さまと二人だけの生活から、眞子さま、佳子さまの誕生。そして、皇室にとっては41年ぶりの男子、悠仁さまが生まれ、三人の父親として私的な部分も大きく変わった。それらが影響されてか、随分とたくましくなったと私は感じている。

眞子さま(当時) ©JMPA

 ところで今、たくましくなったと書いたが、それは私が気がつかなかっただけで、宮さまは元来、「たくましい人」だったようだ。

 実は結婚直後、紀子さまの家族が「紀子は宮さまが胸まで川の水につかって魚を取る、そうしたたくましいところに惹かれたのよ」と、語ったことがあった。たしかに紀子さまも平成元年9月、皇室会議でご婚約が正式に決まった後の記者会見で、「生物、例えば御所内で飼っていらっしゃいますナマズやアヒルなどをかわいがっておられるお姿とか魚類の研究を熱心になさっているお姿に強く惹かれました」と答えている。

 20歳のころから、アジアの僻遠の地に進んで出かけ、魚類研究に没頭されてきた宮さま。宮さまは結婚前から、研究への情熱やたくましさというものは十分に持ち合わせていたのだ。初対面の私は、表面的に見て、その魅力に気がつかなかった。

 20年前に私が感じた自らの立場や家族に対して距離を置いてみる、宮さまの冷静、沈着な姿勢、あるいはバランス感覚のよさというものは、年を追うごとにより洗練されてきている。

 例えばこんなことがあった。悠仁さまが生まれる前のことだったと思う。天皇陛下が「皇室の伝統は武ではなく、文にある」と発言されたことを受けて私が「やはり皇室は歴代、文化や学問など『文』を尊重され『武』を遠ざけてこられたのですか」と伺った。すると、宮さまは「さあどうでしょうか」と、しばし考え始めた。宮さまは、「いちがいにそうは決めつけられないのではないか。もう一度、精査して歴史を見つめる必要があるのではないのか」と、おっしゃりたいのだな、とその時、私は感じた。天皇陛下の発言でさえも鵜呑みにせず、もう一度、自分で考えてから結論を導き出そうとする姿勢に、私は良い意味で少なからず驚かされた。

#2に続く)

上皇ご夫妻から「キコちゃん」と呼ばれ…秋篠宮さまが“学生時代に結婚相手を見つけないと難しい”と語った理由《眞子さんと佳子さまへの教え》 へ続く

(江森 敬治/文藝春秋 2010年4月号)

ジャンルで探す