「自分たちのことでお金をかけたくない」眞子さん渡米後の秋篠宮家は…紀子さまは落ち着かない悠仁さまに“よおく、考えてみましょうね”

秋篠宮さまが語る“ご家族”…名前を伏せる眞子さんに「あんたどっかで見た顔だね」、紀子さまが私邸の悠仁さまのもとへ“駆けつけた日” から続く

 秋篠宮さまが、11月30日に56歳の誕生日を迎えられます。「文藝春秋」は秋篠宮家の内実を報じてきました。秋篠宮さまと親交の深い江森敬治氏(毎日新聞編集委員)による「秋篠宮が語る悠仁さまの5年」(「文藝春秋」2012年1月号)を特別に全文公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

【写真】家族写真で、お一人だけ“微妙な距離”を置かれた眞子さま(当時)

10月26日、記者会見に臨む小室眞子さん ©JMPA

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

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眞子さまは「厳しくしつけてくれたことに感謝」

 幼い子どもに目を細める宮さまだが、一方で「父」としての大変に厳しい一面も持っているという。

 今年、20歳を迎え成年皇族となった長女・眞子さまは、10月23日の誕生日を前にした記者会見で、「父」についてこう述べた。

「かつてはよく怒る父親でございましたけれども、最近はすっかり丸くなっております」

「昔は全般的によく怒る、本当にもうそれしか言いようがないのですけれども、厳しいこともありました。厳しくしつけてくれたことに感謝しておりますけれども、導火線が少々短いところがあったと申しますか……」

 かつて、宮さまは子育てやしつけには厳しかった。

 しかし、最近は「丸くなった」のか姉の眞子さま佳子さまに比べると、悠仁さまを叱ることが少ない。悠仁さまが悪さをしても怒らないものだから、姉二人は悠仁さまを指して「叱れ、叱れ」と宮さまを促すこともある。

紀子さまは悠仁さまに「よおく、考えてみましょうね」

 私も似たような光景を見たことがある。宮さまとお会いしている時に、紀子さまが悠仁さまを連れて部屋に入って来られた。悠仁さまは元気一杯だった。

 見知らぬ人がいるものだから、余計に照れくさいのかうれしいのか、椅子やテーブルの脇をすり抜け部屋の中を駆け回り、少しもじっとしてはいない。宮さまは走り回る悠仁さまを目で追うだけだ。その目元はゆるみ、楽しんでいるようにも見えた。ついには紀子さまが抱きとめられ悠仁さまを、

「よおく、考えてみましょうね」

 と諭したが、また、その手をすり抜けて悠仁さまは走り出したのだった。

 とはいえ、将来の天皇である悠仁さまに、秋篠宮さまはどのような教育方針を持っているのか。国民の大きな関心事だろう。

 悠仁さまが生まれて2年後の記者会見では、さっそく秋篠宮さまに対し、いわゆる「帝王教育」についての質問があった。

「帝王学」と今後の教育方針についてのお答え

「一部では『帝王学』などという言葉も聞かれるようになりましたが、今後の教育方針については、どのようにお考えですか」との質問に宮さまは、

「幼稚園に行って、それから小学校、だんだん上の学校に行くわけですが、そのような中できちんとした社会生活をできるようになってくれればと思います。またそれと同時に皇族としての自分の立場も追々自覚し、これは前に娘たちのことでお話ししたこともあったかもしれませんけれども(略)これも上の二人の娘と同じことになりますけれども、自分が関心のあることなどを深めていってくれれば良いなと私は思っております」

 と答えている。

 では、宮さま自身はどんな教育を受けてきたのだろうか。

昭和天皇に怒られたことは一度もなかった

 両陛下は子育てやしつけには厳しかった。陛下は算数や漢字の読み書きをはじめ、東宮御所のプールや浜名湖で泳ぎ方まで宮さまに徹底して教え込んだ。小さい頃から動物にも親しんだ。

「ニワトリも兄が先に飼い始めました。父は兄妹分け隔てなく同じように接したと思います」

 と、宮さまは話す。

 宮さまは小さいころから、家族で毎週1回夜に皇居内の吹上御所を訪れ、昭和天皇と香淳皇后と会食していた。この集まりは昭和天皇の晩年まで続いた。午後6時ごろから、1時間半ほど昭和天皇、香淳皇后と食事をし歓談した。食事の際、宮さまの席は昭和天皇の一番近く、よく学校の話などをした。昭和天皇は早口だった。やさしく、宮さまは怒られたことは一度もなかった。

 あるとき昭和天皇が「ヒオウギアヤメ」と、その変種で那須に分布する「ナスヒオウギアヤメ」の関係を知りたい、と宮さまに尋ねたことがあるという。

「ナスヒオウギアヤメの由来や起源を知りたい。あやちゃん(宮さまの称号は礼宮=あやのみや。家族の中では「あやちゃん」と呼ばれていた)何かないかい」

 と会食の席で宮さまは、そう聞かれたという。それで、宮さまが知り合いの研究者に相談し研究を進め、病気が悪化するまで昭和天皇に報告を続けた。また、宮さまの英国留学中は、天皇陛下(当時は皇太子さま)が報告していた。宮さまは平成2(1990)年6月に結婚したが、こうした晩年の昭和天皇との強い思い出もあり、陛下と相談し、紀子さまが自分の持ち物につける「お印」を「ヒオウギアヤメ」にしたのであった。

 祖父母と秋篠宮家の孫たちとの交流は今も活発だ。眞子さま、佳子さま、悠仁さまの三人は、御所を訪れ両陛下と会うことを楽しみにしている。両陛下は絵本やおもちゃを用意し、一緒に遊ぶ。

「運動会や文化祭など学校行事について話したり、戦争など両陛下が体験されたことも話題になります。まさに『世代を超えて交流する場』であり、子どもたちにとっては『安心できる場所』『ほっとするような場所』になっています」

 と宮さまは語る。

「人として立派に成長することを願っています」

 宮さまの悠仁さまへの教育方針は、生まれてから46年に及ぶ皇族としての体験から導き出されたものだ。悠仁さまを甘やかして育てようとは毛頭考えていないはずだ。私が、悠仁さまの教育方針について改めてお聞きしたところ、「私は皇族としてというよりも、まずは一人の人間としてどう育つかを大切にしたい。なによりも人として立派に成長することを願っています。同時に自分の立場を自覚し、自分の個性というものを伸ばしていってほしい。人としての常識を持ち、正直であり誠実である。人への思いやりや感謝の心を忘れないようにしてもらいたい」

 と宮さまは述べた。

 自分の関心事を深める、あるいは個性を伸ばしてほしいとも願っている。

 一昨年の会見で、宮さまはご結婚50年を迎えた両陛下について、「その時代、その時その時の今を生きている人々にとって、皇室というものがどういう存在であるのかということをずっと考えてこられたのではないかなと思います」

 と話し、ご即位20年を迎えた陛下に対して、

「象徴とはどういうふうにあるのが望ましいかということをずっと考えてこられた20年だったのではないかと思います」と答えたことがある。

 そして先日、宮さまは私に、

「両親と一緒に暮らすことで、親の姿を見て自然に自分の立ち位置を学ぶことができ、とても良かったと思います」

 と、しみじみと振り返った。きっと悠仁さまもご両親の仕事に打ち込む姿などから、自然に多くを学ぶに違いない。公私にわたり両陛下と親しくし、ご家族と一緒に暮らすことが、何よりも悠仁さまにとっての大切な皇族教育なのかもしれない。

「自分たちのことでお金をかけたくない」

 宮さまは、近年、不況で国民の生活が苦しいことに加えて、東日本大震災で家族を亡くしたり、自宅などを流されるなど被害にあい多くの人たちが辛い思いをしていることに深く心を痛めている。悠仁さまのお祝いである「着袴の儀」なども当初は、今年4月に予定されたのだが、結局、11月に延期した。

 また、子供が増え、宮内庁から再三、宮邸増築の申し出があるが「自分たちのことでお金をかけたくない。今は、その時期ではない」と、宮さまは断っている。

 20歳の誕生日会見で眞子さまは「(震災復興に)今後何らかの形で携わっていきたい」と答えたが、無事に5歳を迎えた悠仁さまに宮さまは今、こんな気持ちを抱いている。

「この未曾有の大震災について繰り返し繰り返し、悠仁に語り続けたい」

(江森 敬治/文藝春秋 2012年1月号)

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