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精気を失い、仙人のように…「北九州監禁連続殺人事件」松永太に騙された男の末路

「背後には暴力団が…」後の7人殺害にもつながる松永太の“支配の構図”とは から続く

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 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第42回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

◆ ◆ ◆

10年近く行方不明だった岩見国男さん(仮名)を訪ねて

 そこは山村にある街道沿いの、廃屋かと見まがう木造家屋だった――。

 某所に岩見国男さん(仮名)が住んでいるらしいとの情報を得たのは、2002年6月のこと。彼は1989年に福岡県山門郡に『有限会社M企画(仮名)』を設立し、後に松永太と緒方純子を取締役に据えている。妻子とも別れ、会社を破綻させた岩見さんは、10年近く行方不明とされていた。

 その岩見さんについて、「××という集落にいるとの話を聞いた」との情報をもとに、現地で聞き込みを重ねたところ、この家屋に移り住んだ人物がそうではないか、との有力情報にたどり着いたのである。

 引き戸をノックしたところ、返事をして姿を見せたのは、白髪のヒゲを長く伸ばした、仙人かと見まがうような初老の男性だった。

「ようこんなところまで来ましたね」

 そう口にしながらも拒絶する様子はなく、家の中に入るように促された。そして訥々と語り始める。

「会社の資金繰りに困ってる話を知り合いの女性に話したとき、松永を紹介されたんです。(福岡県柳川市)矢加部にあるビル(ワールド本社ビル)に行って松永に会ったんですが、ソフトな口ぶりで、やり手の実業家という印象でした。事前に聞いていた話では、金貸しだということだったんですけど、カネは貸してもらえず、その場ではアドバイスを受けるだけで終わりました」

高圧的だった緒方

 そこで松永から、会社を立て直すために、実務的なことは彼女の言う通りにしてくれと言われ、緒方を紹介されたのだという。

「緒方は松永のことを所長と呼んでいたのですが、彼女はなにかにつれ、『所長はあんたのことを考えて一生懸命動いてるんだ』と言って恩を着せてきたうえで、私にあれやこれやと言いつけていました。

 ある時など、会社(ワールド本社)の一番奥の机に電話帳を置かれ、『片っ端から電話して借りれるだけカネを借りな』と言われ、一日中消費者金融に電話をかけさせられたこともあります。それで私がカネを借り、店の外で待っている緒方に現金を渡すのです。彼女はいつも高圧的で、そのときもカネを受け取るのが当たり前だという態度で受け取っていました。緒方は言葉遣いも乱暴で、私が別の用で会社に行ったときなど、どこかの金融機関の人と電話で喧嘩をしていて、『てめぇー、ただじゃおかんぞ』と大声で叫んでいました」

 すでにその時期、緒方は松永の影響下で変貌を遂げていたのである。松永への印象を尋ねたところ、岩見さんは次のように話す。

「途中から怖い存在だと思うようになりました。松永が話してたんですけど、彼が尊敬してるのは織田信長とキリストと2・26事件の首謀者だそうです。『キリストは人を殺しているから偉い』と口にしていました」

意識朦朧とする中で会社の手形帳を……

 岩見さんは松永と初めて会ってから半年後、交通事故に遭遇して入院してしまうのだが、そこで大きな失敗を犯してしまう。

「入院中、私の頭が朦朧としていたのが悪かったんですが、松永がやってきて、私の会社のやりくりのために、『街金から追いかけられているので、カネを渡さないといけない』と言われたんですね。それで従業員に頼んで、うちの会社の手形帳と社印を渡してしまったんです」

 松永が自己資金を確保するために、その手形を乱発したことは言うまでもない。当然ながら岩見さんの会社は破綻に追い込まれた。

「いよいよおカネが回らなくなり、家と会社を捨てると松永に言ったんです。そうしたら彼と緒方が私にアパートを用意してくれて、そこに匿われました。そのときは2日に1回くらいの割合で、カップラーメンなどの差し入れを持ってきていました。やがて、その生活に耐えられなくなって、知り合いがいる石川県に逃げることにしたんですけど、そのときは松永が旅費を出してくれています。まあ、それまでいっぱいカネを引っ張っとるからやないですか……」

 他人事のように話すが、そうした“隙”を持った人物を見つけ出しては、徹底的に付け込むのが松永の手段だった。

「人柄はだらしないけど、お人よし」

「結果的に私の名前で多額の借金をされていました。あと、私が知っている重要人物、つまり商売的に太い顧客ですね。そういう人を何人も紹介したんですけど、そこからもカネを騙し取ったようです。私が一度こっちに戻ったとたん、街金が取り立てに来ました。それでもう地元に居られなくなったんです」

 かつて柳川市周辺で取材した際に得た情報では、岩見さんは20代の頃は、電機メーカー勤務を経て福岡県大川市の郵便局に勤め、その後、佐賀県佐賀市で電気店をやり、続いて同市で喫茶店を経営するも潰している。それからは柳川市で焼き物の店を開いており、同時に大川市で画廊も開いていたことがわかっている。逃走する前には知り合いや画廊の顧客など、いたるところに借金を申し込んでおり、金策に走り回っていたようだ。

 その取材の折に、岩見さんを昔から知るという知人から聞いていた人物評は、画廊を開いている時代は「あっちの女、こっちの女と渡り歩いて、離婚した妻や兄弟には散々迷惑をかけていた。そういう点で人柄はだらしないけど、お人よし」というものである。だが、私が隠遁先で目にした彼は、すっかり精気を失った、抜け殻のような状態だった。

「妻がワールドを職場として見つけてきた」という中谷弘之さん(仮名)

 ワールド時代の松永のターゲットにされ、生活を奪われたという人物は少なくない。行方を捜せなかったため、直接本人に取材することは叶わなかったが、福岡地裁小倉支部で開かれた公判のなかで、そうした人物の存在が取り上げられている。検察側の論告書をもとに、その状況を振り返る。

 1990年の後半、実家が福岡県三潴郡城島町(現:久留米市城島町)で農家を営む中谷弘之さん(仮名)の新しい職場として、ワールドを見つけてきたのは、妻の美咲さん(仮名)だった。ワールドで働き始めた中谷さんは、すぐに同社で暴力の洗礼を受けることになる。論告書には次のようにある(〈 〉内は以下同)。

〈松永自身が暴力を振るうことはまれで、ほとんどは松永が他の従業員に命じて暴力を振るわせていた。

 松永は、中谷に命じて、親戚や知人から、名義貸しの方法で金を借りさせた。中谷は、20~30人から、合計2000万~3000万円を借りたと思うし、自己名義でも1000万円ほどの借金をし、それをすべて松永に渡していた〉

妻・美咲(仮名)さんの家族まで引きずり込まれて

 やがて松永は、中谷さんの妻の美咲さんをもワールドに引き込んでいた。

〈松永は、美咲に対し、当時の夫であった中谷の借金は妻の借金でもあるなどと申し向けて、中谷の借金の連帯保証人としての念書を作成させ、以後、この念書を突き付けては、美咲にワールドのために働くように強要した。そればかりか松永は、美咲がワールドに住み込みで働くようになると、同人に対し、食費、生活費、滞在費として更に金が掛かっているなどと申し向けて次々と借用書を作成させ、これらをも用いて美咲にただ働きを継続するよう要求した。その結果、美咲の松永に対する借金は増え続けるばかりであった〉

 さらに松永は、美咲さんの妹や父親に対しても、家族の責任だとして念書を書かせ、暴行を加えている。そのうえで、美咲さんの父親が所有していた3カ所の農地を、実際には(松永がでっち上げた)借金との相殺にもかかわらず、1991年9月に松永が購入したとのかたちで、名義変更が行われていた。また、この時点で美咲さん、さらには彼女の妹および父親が巻き上げられた現金は、少なくとも合計1476万円以上になる。

まともに歩けなくなる暴力、生活面での虐待

〈美咲は、松永からの借金返済要求に応えるため、親戚や知人から名義を借りて金融機関から借金した。松永から要求された時期に返済ができなければ、松永は他の従業員に命じて美咲に暴力を振るわせ、虐待した。その暴力の内容とは、正座させて太ももを踏み付ける、拳骨で後頭部を殴る、喉を空手チョップのようにして殴る、股間を蹴り上げる。4の字固めを掛けるなどだった〉

 ちなみにこの4の字固めは、松永から命じられた夫の中谷さんがやっており、まともに歩けなくなった彼女は、約2カ月半にわたって入院している。そうした日常的な虐待は、生活面においても行われていた。

〈食事は1日1食だけで、しかも、その内容は、丼一杯のご飯と、チキンラーメンかマルタイの棒ラーメンだけで、まれに生卵が一つ付いた。食事時間の制限も、時々は行われた。他方、美咲の父は、3日間くらい断食させられたこともあった。美咲は、喉を殴られる暴行を受けたために食べ物が喉を通らなかった時期があり、やむなく1日1食だけの食事をも残したところ、松永から、制裁と称してその残り物をミキサーにかけて無理矢理飲まされたため、意識を失ったこともある。また、入浴は週2~3回程度しか許されず、水風呂に入ることを強制されることもあった〉

 まさに後に松永と緒方が起こした、数多の事件と同じ手口での虐待が、すでにここでも起きていたのである。また、彼らが逃げられなかった理由についても論告書は触れている。

従業員同士で相互に監視させ

〈美咲は、夫や他の従業員と打ち合わせて、一緒に逃げようかと考えたこともあったが、ワールドの従業員は、互いに疑心暗鬼になるように仕向けられており、実行は不可能だった。松永は、従業員に命じて、いつも相互に暴力を振るわせていたし、従業員相互に互いの落ち度等を密告させたりもしており、その結果、自分たちは、相互に監視しているような状態になっていたからである。それは、当時の夫であった中谷との間でさえも同じだった〉

 美咲さんが松永の元から逃げ出したのは、1992年6月のこと。同時に、財産を奪われた彼女の家族も地元から忽然と姿を消し、親類との繋がりを絶っていた。

 それから10年後の2002年に松永と緒方が逮捕されたことで、捜査機関によって消息を突き止められ、当時の事情を聴かれた美咲さんについて、論告書は次のように報告する。

〈今でも、事件のことを思い出すと、吐き気を催したり、涙が止まらなくなり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されて通院を繰り返している。新聞報道で知った(松永と緒方が起訴された事件についての)冒頭陳述の内容は、正に、自分たち家族が被害に遭った状況と同じだった〉

(小野 一光)

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