『あまちゃん』から5年 日本一長い三セク「三陸鉄道リアス線」の新たなスタート

 8年前、2011年3月11日。東日本大震災のあの巨大な津波が三陸海岸の町々を襲った。人々の暮らしを根こそぎ押し流し、そして生活を支えるインフラも寸断された。三陸海岸に沿って走る鉄道もそのひとつであった。とりわけJR山田線の宮古~釜石間は、ひときわ被害の大きい山田町や大槌町を通る。陸中山田駅は津波とその後の火災で失われ、大槌駅も津波で流失してしまったのである。

【写真】新たなスタートを切る「三陸鉄道」の旅(全12枚)

宮古駅を出発し閉伊川を渡る三陸鉄道

日本一長い三セク「三陸鉄道リアス線」として新たなスタート

 それから8年、ついに山田線の宮古~釜石に鉄道が戻ってくる。そして同時にJR東日本から三陸鉄道に移管され、これまで山田線を挟んで南リアス線(盛~釜石)・北リアス線(宮古~久慈)に分かれていた三陸鉄道がひとつの路線としてつながって「三陸鉄道リアス線」として、3月23日に新たなスタートを切るのである。盛~釜石~宮古~久慈、実に163.0km。日本一長い第三セクター鉄道の誕生。その日を目前に控える、三陸の町を訪ねた。

 三陸鉄道の本社は、岩手県宮古市にある。宮古は漁業の町であり、そして三陸観光の拠点の町だ。海の方に歩けば工事用車両が盛んに行き交って復興の町づくりもまだ途上といった趣であるが、宮古駅前は観光客や学生たちで賑わっている。去年の秋に移転してきたという真新しい宮古市役所も駅の裏にあり、駅前広場から跨線橋で通じている。その一角、三陸鉄道宮古駅の駅舎に入る、三陸鉄道本社の旅客営業副部長・冨手淳さんが話を聞かせてくれた。

「2011年3月11日に震災があって、その5日後から三陸鉄道は少しずつ運転を再開したんです。それで2012年までには北リアス線では久慈から田野畑、宮古から小本(現・岩泉小本)まで運転を再開しました。そして2014年には南リアス線も含めて南北のリアス線で全線再開。そこまではどんどんお客さんも来ていただいていたんです」

 実は、2012年から全線再開までの約2年、特に2013年には訪れる客が一時的に減ると予想していたという。確かに少し待てば全線再開に立ち会えるのだから、そこまで待とうという観光客も多いと思うのも当然である。ところがそこに降って湧いたのが“あまちゃん”フィーバー。北リアス線や久慈駅周辺が舞台となったNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の大ヒットで、三陸鉄道にも大きな注目が集まった。

放送から5年たっても、やっぱり『あまちゃん』

「『あまちゃん』は本当にすごかった。想像以上ですよね。ドラマや映画に出ると人がたくさん来るっていいますけど、それもヒットしないとダメじゃないですか。だからどうかと思っていたんだけど、あそこまで盛り上がるとは」(冨手さん)

 『あまちゃん』放送から5年たった今でも、久慈の町にロケ地巡りとして訪れる人も少なくないという。久慈の人は言う。

「いつまで『あまちゃん』やってんだと思われるかもしれないけど、あんな盛り上がることって後にも先にもないですから。久慈の知名度もあがったし、今も来てくれる人がいるんだからね」

『あまちゃん』フィーバーのあと、乗客が激減したけれど……

 そうして『あまちゃん』フィーバーの冷めやらぬ中の2014年の全線運転再開。右肩上がりで乗客も増えて、三陸鉄道の未来は順風満帆に思えた。ところが、2015年になると一気に客が激減したという。熱しやすく冷めやすい日本人のこと、ブームが去って三陸にも行かなくなったのか……と思いきや、そうではないと冨手さん。

「北陸新幹線の開業なんです。東京から金沢まで2時間半で行けるようになったでしょう。それでお客さんを取られてしまった。想定はしていたけれど、思った以上の落ち込みだったし長引いていますね。まあ……金沢は魅力的な町ですし、新幹線と比べると三陸は遠いから仕方がないとも思うんですが」

 さらに、地域の復興も思うように進まない部分があった。8年経った今でも海沿いの町ではそこかしこで工事が進む。逆に言えば、8年経っても新たな町づくりも完成していないのだ。国や県との調整もあるし、すべての住民の合意を要するが故に工事のスタートが遅れたという事情もあるそうだ。特に山田線区間の宮古~釜石間は鉄道までも失っていて、15~20%も人口が減ってしまった。ただでさえ過疎の町だったところに襲った震災が、人口減をさらに加速させてしまったのである。復興工事の影響でホテルなどの宿泊施設も満室状態、観光客の受け入れもままならない状況も続いていた。そうした中での山田線区間の復旧とリアス線開業だから、とうぜん期待は大きい。

ランチ列車、夜行列車にリアス式海岸……三陸鉄道の魅力

「3月23日にリアス線が開業して、5月くらいまでは注目もされてどっとお客さんが来るだろうと思っています。さらに6~8月には三陸防災復興プロジェクトがあって、ウチでもプレミアムランチ列車とか盛~久慈間の夜行列車とか、いろいろイベント列車を走らせます。秋以降もこたつ列車など観光列車を予定していますし、お客さんにはリアス線を楽しみに来ていただきたいですね」(冨手さん)

 意外と誤解されることが多いのだが、三陸名物の“リアス式海岸”は実は宮古よりも南の海岸線。『あまちゃん』に登場した北リアス線の車窓は海岸段丘でリアス式海岸ではない。とはいえがっかりする必要はなくて、リアス線が開業すれば車窓から遠く太平洋の水平線とその両脇に伸びる岬、手前の静かな湾というリアス式海岸らしい光景を楽しむことができる。

 さらに、釜石駅はJR釜石線とも接続していて三陸海岸へのアクセスは劇的に改善される。釜石線には蒸気機関車の「SL銀河」も走り、まとめて観光するにはぴったりだろう。9月からのラグビーワールドカップでは、“ラグビーの町”釜石でも2試合が予定されている。三陸鉄道と三陸海岸のアピールのチャンスは大きく開かれているのだ。もちろんリアス線に乗って宮古を訪れる人も増えるだろう。町の人もさぞかし期待しているはず。そう思って、宮古駅前の観光案内所を訪れた。ところが……。

 

「観光もそうですけど、私たち地元の人が何より期待している」

「もちろん、観光の問い合わせもたくさんあるんです。でも、観光もそうですけど私たち地元の人が何より期待しているんじゃないかな。鉄道がなくてずっと学生さんたちは不便をしていたし、それに震災までは毎日当たり前に走っていたんですから。それがなくなってもう8年ですからね……。復旧してリアス線が開業すれば、また一歩進むのかなと。そういう気持ちで楽しみにしています」

 観光案内所の女性はこう話してくれた。

 ローカル線の取材をしていると、沿線の人たちからは「なくなったら寂しいけど乗らないからしょうがないよね」などというどこか突き放した言葉を聞くことが多い。けれど、三陸は少し事情が違うようだ。通学途中の高校生は、「僕は卒業しちゃうのでリアス線で通学する機会はないんですけど、でもこれで少しでも町が活気づいたらいいですよね」と笑顔を浮かべる。思えば、2014年4月の南北リアス線全線再開時には、沿線の人たちが夏ばっぱよろしく大漁旗を掲げて運転再開を喜んでいた。

1896年の明治三陸津波以来、鉄道は地域の悲願だった

 こうした三陸の人たちの鉄道への思い。それは、三陸海岸を縦貫する鉄道が長年の地域の悲願だったという歴史に由来するようだ。1896年の明治三陸津波で大きな被害を受けた三陸地方は、鉄道も道路も通じていない“陸の孤島”で援助物資もまともに届かず被災状況の把握すらままならなかったという。それで、何よりも鉄道をという思いで長年陳情を続けてきた。そうして1939年に山田線が全通して盛岡まで結ばれるようになった。さらに戦後になってだいぶ時間はかかったが、廃止や工事の中止という危機も乗り越えて第三セクターとして三陸鉄道の開通も叶ったのである。そうした歴史があるから、三陸の人たちは鉄道にひとしおの思いを抱く。三陸鉄道の冨手さんも、「地域あっての、地域のための鉄道ですからね」。

 三陸鉄道は2011年3月11日のわずか5日後から北リアス線久慈~陸中野田で運転を再開している。それも運賃を取らない運行で、いちはやく復興のシンボルとなった。

「地域のための鉄道ですから、動かせるなら少しでも動かすぞ、と。普通なら絶対やらないですよね。でも我々はやった。すぐに再開しなければどんどん後回しになって、もしかしたら廃止という話になってもおかしくなかったですからね」(冨手さん)

「全区間で4時間半」なのに速達列車がない理由

 新たに再開する山田線区間の宮古~釜石も、特に著名な観光地があるわけでもなくて地域の人たちが主な利用者だった。再開後も、そうした町の人々がリアス線のお客となる。

「山田線区間は、正直ウチの路線よりも乗っていたくらい。大槌町に山田町と、それなりの規模の町がありましたからね。リアス線が開業すれば、そうしたお客さんが戻ってきてくれる。そしてバスを使っていた学生さんたちも乗ってくれるでしょう。そう期待しているんです」(冨手さん)

 すでに発表されているリアス線のダイヤでは、全線を通して盛~久慈を結ぶ列車も走る。さらに特徴的なのは全区間で4時間半という路線なのに快速や急行などの速達列車がないこと。気動車の加減速性能が向上したので各駅に停車しても所要時間があまり変わらないという事情もあるが、快速が通過してしまう駅では列車間隔が大きく開いてしまうことへの懸念があるという。地域の鉄道だから、すべての駅で町の人を乗せて走る――。それが三陸鉄道リアス線なのである。

 地域の活気のために。観光の賑わいをもっと取り戻すために。そうした思いを乗せて、三陸鉄道リアス線は走り出す。もちろん、開業しただけでバラ色の未来が待っているほど甘くはない。沿線人口の減少は重くのしかかるし、いっときはブームになってもそれがずっと続くとは限らない。冨手さんは言う。

「これからどうやってお客さんを確保していくかという課題は間違いなく出てきます。でも、地元のみなさんや、いろんな方から期待されているリアス線ですから、大変だと思いますけど頑張ってやっていきますよ」

 3月23日、9度目の春に走り出す三陸鉄道リアス線。160km4時間半の長旅を楽しんでみてはいかが。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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