警視庁「オウムのテロ」主張 28年の壁高く未解決 長官狙撃事件とは

国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃された現場=東京都荒川区南千住で、長谷川直亮撮影

国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃された現場=東京都荒川区南千住で、長谷川直亮撮影

 1995年3月30日午前8時半ごろ、国松孝次・警察庁長官(当時)が、出勤時に拳銃で撃たれた。小雨が降る中、東京都荒川区南千住6の自宅マンション「アクロシティ」Eポートの通用口から出て、秘書官と一緒に公用車に向かって歩き出した直後のことだった。

 狙撃犯は20メートル以上離れた場所から4発を発射し、国松長官の背中や大腿(だいたい)部などに3発を命中させ、現場から自転車で逃走。長官は搬送先の病院で約10リットルの輸血を受けるなど、一時は重篤な状態となったが、約2カ月半後に職務に復帰した。

 警視庁は南千住署に公安部長を本部長とする捜査本部を設置。犯行に使われた拳銃は、米コルト社の回転式拳銃「パイソン」と推定され、使用された弾は、体内に入ると先端がマッシュルーム状に広がって致命傷を与える「ホローポイント弾」という極めて特殊なものだった。

 96年10月、オウム信者の警視庁巡査長(96年11月に懲戒免職)が約5カ月前に「長官を狙撃した」と「自白」していたことがマスコミ報道で発覚。その後、「拳銃を捨てた」とする巡査長の供述に基づき、千代田区のJR水道橋駅近くの神田川の捜索が行われた。しゅんせつ船や大型磁石まで投入した捜索は54日間行われたが、拳銃は発見できなかった。東京地検は97年6月、供述内容に変遷があり、裏付けも取れないことから「信用性に重大な疑問を抱かざるを得ない」と判断し、元巡査長の立件を見送った。

 オウムの犯行との見立てを維持する捜査本部は2002年3月から元巡査長の取り調べを再開。元巡査長が自身の役割を「実行役」から「支援役」に変え、供述が安定したとして、04年7月に実行役を特定しないまま元オウム幹部2人とともに殺人未遂容疑で逮捕した。しかし、逮捕後、元巡査長の供述は「自分が撃った」と96年当時に逆戻りし、元オウム幹部2人も関与を否定。東京地検は、全員を容疑不十分で不起訴処分とした。

 警視庁公安部長は10年3月の時効成立時に記者会見し、「オウム真理教による組織的・計画的テロ」とする捜査結果概要を公表。事件が未解決となったにもかかわらず、犯人を名指しする異例の会見だった。

 教団主流派で構成する後継団体「アレフ」はこの内容が名誉毀損(きそん)に当たるとして11年5月、東京都(警視庁側)と当時の警視総監に計5000万円の損害賠償と警視庁玄関での謝罪文掲示を求めて、東京地裁に提訴した。

 1審・東京地裁判決(13年1月)は「無罪推定の原則に反するばかりでなく、刑事司法制度の基本原則を根底からゆるがす」と批判し、都に100万円の賠償とアレフへの謝罪文交付を命じた。2審・東京高裁判決(同11月)は、謝罪文の交付は取り消したものの、名誉毀損を認めた1審と同様に100万円の賠償を命じ、最高裁で確定(14年4月)した。

 警視庁公安部は11年2月、初動捜査に不備があったとする捜査検証報告書を公表。報告書によると、防犯カメラ映像を回収して調査したのは、元オウム幹部に似た男が自転車で疾走したという目撃情報があった方角(現場から南東方向)だけだった。【遠藤浩二】

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