「40年はあまりに長い」 曽我ひとみさん、拉致被害者の帰国訴え

残る拉致被害者の帰国早期実現を訴える曽我ひとみさん=福井県小浜市の市文化会館で、高橋隆輔撮影

残る拉致被害者の帰国早期実現を訴える曽我ひとみさん=福井県小浜市の市文化会館で、高橋隆輔撮影

 福井県小浜市に暮らす地村保志さん(67)、富貴恵さん(67)夫妻ら、北朝鮮による拉致被害者5人の帰国から10月15日で20年となるのを前に、同市文化会館で問題の早期全面解決を願う講演会が開かれた。講師は地村夫妻と一緒に帰国した曽我ひとみさん(63)=新潟県佐渡市。拉致被害者でもあり、また母ミヨシさん(行方不明時46歳)の帰国を待つ被害者家族でもある両方の立場から思いを伝えた。

 曽我さんは1978年8月12日、ミヨシさんと買い物からの帰宅途中、自宅付近で拉致された。24年後に帰国を果たしたが、ミヨシさんについて北朝鮮は「未入境」としており、安否は今も分かっていない。

 講演では、北朝鮮で8カ月一緒に暮らし、今も帰国できていない横田めぐみさん(行方不明時13歳)との思い出を紹介。監視員の目を盗んで小声で日本語で会話したり、日本の歌を一緒に歌ったりしたことを話した。

 北朝鮮での生活は困窮を極めた。バスが渡れるほど厚い氷が川に張る厳寒の冬でも1日に何度も停電し、セーターや靴下を重ね着した状態で家族身を寄せ合って暖を取った。物資は最低限しか与えられず、配給される米も小石や虫を取り除いて食べていたという。

 また、北朝鮮には「朝鮮語を習得したら」「結婚したら」「子どもが生まれたら」と帰国の条件を次々と変えてだまされ続け、日本の政治家が何人訪朝しても救出してもらえず、「自分の家族以外は誰も信用できなかった」と心境を説明。2002年9月の日朝首脳会談後、被害者の帰国に向けての日本の調査団が来訪すると聞かされたときも、帰国が実現するまで半信半疑だったことを明かした。

 曽我さんは「個人の意思を無視されて強制的にそこで生きていく環境では、40年はあまりに長すぎる。助けてくれることを願いつつ、過酷な環境で耐える時間は無限とも思える」と訴え、被害者全員の帰国が実現するまで問題に関心を持ち続け、署名などに協力するよう呼びかけた。【高橋隆輔】

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