日航機墜落33年:今も向き合う生と死 元遺族対応係

担当した遺族から届いた手紙を読む錦織さん。今も交流を続けているという=東京都内の錦織さんの自宅で2018年7月24日午後3時43分、西銘研志郎撮影

 520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は12日で33年を迎える。当時、日航社員として遺族の世話係だった錦織葆(にしごり・ほう)さん(79)は、事故をきっかけに「人の生と死」について学び、ホスピスのボランティアをしてきた。定年退職し、喜寿を過ぎた今もホスピス病棟で命と向き合っている。

 33年前の8月、錦織さんは、事故で犠牲となった関西地方の30歳の男性の遺族対応のため、遺体安置所が置かれた群馬県藤岡市にいた。「どんな言葉をかけられてもよい」。そう覚悟を決めていたが、男性の母親と兄は落ち着いた様子で事実を淡々と受け入れているように見えた。

 だが数日後、男性の身元確認のために遺体安置所へ向かうタクシーの車中。「悔しい」。男性の母親が漏らした一言が忘れられない。それまで取り乱すことも、何の不満をぶつけることもなかったが、一瞬だけ感情をあらわにした瞬間だった。

 その後、新聞などで、事故の遺族らが、海外の女子学生のために奨学金を創設したり、事故の体験談をまとめた本を出版したりする姿を見聞きし、感銘を受けた。「大きな悲しみの中、立ち直り、社会に貢献されているご遺族がいる。私にも何かできることがあるのではないか」

 事故から3年後の88年にホスピスのボランティア養成講座を受講し、90年からホスピス病棟で食事の配膳やマッサージなどのボランティアを始めた。定年退職後は大学院で死生学を学んだ。今は週に1度、自宅近くの日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区)で末期がんの患者やその家族に寄り添う。

 墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)には何度も登っているが、多くの遺族が慰霊登山する事故当日の8月12日に登ったことはない。「われわれは加害企業側ですから、ご遺族と一緒というわけにはいきません」。その代わり、自宅近くにある犠牲者の一人、歌手の坂本九さんの墓前で、犠牲者全員の冥福を祈ってきた。今年もそっと手を合わせるつもりだ。【西銘研志郎】

 【ことば】日航ジャンボ機墜落事故

 1985年8月12日夕、乗員・乗客524人を乗せた羽田発大阪行きの日本航空123便が、群馬県上野村の山中に墜落。520人が死亡し、4人が重傷を負った。単独機の事故では航空史上最悪の死者数。運輸省航空事故調査委員会(当時)は、ボーイング社の修理ミスで機体後部の圧力隔壁が破壊されたことが原因と結論づけた。

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