雅子さま 昭和天皇、上皇さまも臨まれた“晩餐会スピーチ”の試練…天皇陛下と編む「平和へのメッセージ」

「天皇陛下と雅子さまは、能登半島地震の被災地へ3度目となる訪問を検討されているそうですが、7月以降になるようです。現状では、全国植樹祭などの行事に臨まれながら、英国ご訪問に向けた準備に全力を注がれています」

こう語るのは宮内庁関係者だ。6月22日から6月29日までの日程で、天皇陛下と雅子さまはイギリスを国賓として訪問される。日々のおつとめに加え、ご準備で多忙な日々を過ごされているのだ。

陛下が即位された2019年、エリザベス女王から招待を受けていたが、コロナ禍のために延期に。両陛下を歓迎することがかなわないまま、女王はこの世を去った。王位を継いだチャールズ国王はこの招待を引き継ぎ、ようやく実現する運びとなったが……。

「今年2月にチャールズ国王が、3月にキャサリン皇太子妃ががんを患っていることが相次いで公表され、一時は実現への不安感が宮内庁内に漂ったのです。

しかし4月下旬、日本と英国の双方で正式に、両陛下の公式訪問が発表されました。闘病中の身を押して歓迎する意向を示したチャールズ国王に、両陛下も“日英関係をいっそう深められる訪問に”とご覚悟を固められています」(皇室担当記者)

外交関係が樹立して以来166年続く皇室と英王室の親密な交流は、日英関係に大きな貢献を果たしてきた。前出の皇室担当記者は、

「昭和天皇、上皇さま、そして陛下。三代続けて国賓として天皇が公式訪問する国は英国だけです。今回の両陛下のご訪問には、戦後三代にわたる皇室と英王室が深めた交流の“総仕上げ”ともいうべき側面があるといえるでしょう」

昭和天皇、上皇さまも国賓として訪英されたのは一度だけ。この一世一代の訪英に臨まれるにあたり、陛下と雅子さまはどのような準備をされているのか。

「両陛下は公式晩餐会でのスピーチに、“どういったメッセージを込めるべきか”と思案することにエネルギーを注がれています。能登半島地震が発生した直後も、睡眠時間を削って被災地に心を寄せ、情報を集められていたように、両陛下は懸案事項に対しては昼夜を問わず向き合われています。

なかでも、先の大戦についてどのように言及し、日英の将来への展望をどう打ち出されるのか、真剣に向き合われているというのです」(前出・宮内庁関係者)

■昭和から続く日英の“負の記憶”

第二次世界大戦で、日本と英国は枢軸国側と連合国側に分かれて戦った。とくに戦時下の日本軍による英軍捕虜への虐待については、英国民の一部に日本への強い憎悪の感情を抱かせていた。

1971年、昭和天皇と香淳皇后が国賓として英国を訪れた際、抗議行動を起こす英国民もいた。エリザベス女王が出迎え、馬車に同乗してバッキンガム宮殿までパレードが行われた沿道で、人混みから車列に男がコートを投げつける事件が起きた。さらに、滞在中に植樹した杉が翌日に切り倒されるという出来事もあったのだ。

「戦前の日本では、天皇は帝国陸海軍大元帥。平和を望む意思とは反対に、結果的に戦争が自身の名で始められてしまったことに、昭和天皇は忸怩たる思いを抱いていました。また戦後しばらくは多くの当事者が存命であり、天皇の戦争責任を巡って国内外でさまざまな議論があった時代です。

歓迎の晩餐会でエリザベス女王が『両国民の関係は常に平和と友好であったと偽ることはできません』とスピーチしましたが、こうした時代背景もあり、昭和天皇は戦争のことには言及できず、日英両国で批判の声が上がってしまったのです」(前出・皇室担当記者)

近現代史と皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、帰国後に昭和天皇が述べたおことばに注目している。

「帰国した昭和天皇は空港で、“国際平和に寄与するためには、なお一層の努力を要する”ということを述べました。厳しい抗議の声から目を背けずに、現実を受け止めて努力を重ねていくという姿勢を示したものといえます。そしてこうした姿勢は、上皇さまに受け継がれていったのです」

上皇さまと美智子さまは1998年、国賓として英国に招かれているが、このときの歓迎パレードでも、元戦争捕虜が車列に背を向けて抗議の意思を示すなど、厳しい視線を向ける人々がいた。こうしたなか、公式晩餐会で上皇さまが行われたスピーチでは、昭和天皇がジョージ5世に直接薫陶を受けたことにふれながら、

《戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えますが、この度の訪問に当たっても、私どもはこうしたことを心にとどめ、滞在の日々を過ごしたいと思っています》

などと、戦争への強い反省のお気持ちを示されたのだ。

「晩餐会でのスピーチや現地で元捕虜と日本との和解に向けた活動を行う日本人との面会などにより、英国内の世論も変化していきました。ご帰国時には、“今の天皇には責任はない”と、大衆紙を含めてメディアの論調も変わっていたほどだったのです。

こうした日英両国の歴史もあるために、終戦から80年近くたってもなお、天皇陛下が晩餐会などの場で“負の記憶”について何らかの言及をせざるをえないのです」(前出・皇室担当記者)

■尊敬する“父の後輩”がブレーンに着任

昭和、平成、令和にわたって続く“反省と和解”への道のり。前出の小田部さんは、期待感を込めてこう語る。

「戦争の放棄を掲げる憲法の下、その象徴としての天皇陛下と雅子さまには、国際社会のなかで大きな役割があるように思います。不安定な国際情勢のなかで、日英が協力し、世界が再び不幸な歴史を繰り返さないための努力がなされるようなメッセージが、天皇陛下のスピーチに込められることを願っています」

そして訪英に向けて、心強い“ブレーン”が陛下と雅子さまのお傍に現れていた。5月8日付で、宮内庁御用掛に長嶺安政元最高裁判事が着任したのだ。霞が関の事情に詳しい「インサイドライン」編集長の歳川隆雄さんは、この人事の背景を明かす。

「宮内庁御用掛は、天皇皇后両陛下からご相談を受け、助言を行う立場にあります。慣例では宮内庁長官・侍従長の経験者、法曹界、外交官、言論界の4つから選ばれることになっています。

長嶺氏は外務省で駐英大使など各国大使を歴任したほか、国際法局長を務めており、皇后陛下の父・小和田恆氏の“直系の後輩”にあたります。省内には“秀才中の秀才”との評価があるほどで、政治家ともバランスよく付き合ってきました。まさに御用掛には適任といえる人材でしょう」

ほかにも、雅子さまが長嶺氏に信頼を寄せられる理由があった。

「雅子さまから見て長嶺さんは、外務省職員としても10期ほど上の先輩にあたります。さらには、2013年に駐オランダ大使として、ウィレム=アレクサンダー国王の即位式に出席された両陛下をアテンドしています。

当時、雅子さまはご体調がとくに優れず、行事への出席もままならないことがありました。こうした苦しいときに支えてくれた一人として、両陛下は長嶺さんに信頼を寄せていらっしゃるようにお見受けしています。

長嶺さんの豊かな知見も頼りにされながら、いまも両陛下は晩餐会でのスピーチ原稿を、丹念に推敲されていることでしょう」(前出・宮内庁関係者)

戦後の日英両国に横たわってきた、負の歴史を乗り越えていくという試練。天皇陛下と雅子さまは、バッキンガム宮殿での晩餐会でのスピーチで、平和と友愛の尊さを訴えられるだろう。

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