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田村正和さん 妻と2人で…晩年に目撃された意外な変化【上半期ベストスクープ】

繰り返される緊急事態宣言、コロナ禍終息の兆しが見えないなか開催に突き進む東京オリンピックなど、未だ混迷を極める2021年上半期。並行して芸能界でも数々の“事件”が――。本誌が目撃した“スクープ”から特に反響の大きかったものを今一度お届けしたい。

今年4月に亡くなっていたことが発表された田村正和さん。多くを語らなかった田村さんだが、本誌は数少ない逝去数年前の肉声をキャッチし、散歩姿を目撃していた。そして、その散歩に今年に入ってからある変化が――(以下、2021年6月8日号掲載記事)※年齢は掲載当時のママ

東京都世田谷区の閑静な住宅街からほど近くにある公園。数々の草木のなかでも目を引くのが、このエリアの名木で、日本を代表する名優がでたヒマラヤスギだ。初夏、静かにそびえ立つその姿はまるで、 “相棒”の喪に服しているようだった――。

「マネージャーが今年2月に田村さんと電話した際は、『コロナが落ち着いたら一緒に食事をしよう』と元気に話していたそうです。しかし、その直後に風邪をこじらせて緊急入院。コロナ禍で、妻の和枝さんも面会を制限されており、死去の報せもごく一部の関係者にしか知らされませんでした」(スポーツ紙記者)

4月3日に心不全のため、都内の病院で亡くなった田村正和さん(享年77)。『パパはニュースキャスター』(TBS系)や『古畑任三郎』(フジテレビ系)などの演技で世代を超えて愛された大スターだ。

死去から1カ月半後に届いた訃報には、日本中が深い喪失感に包まれた。かつて田村さんと共演した木村拓哉(48)はこう悼んだ。

《ユーモアがあって、あったかい想い出しかありません。ご自身に厳しくされてきた分、ゆっくりと休んでください》

訃報の翌日、田村さんが’88年に建てた墓を訪ねると、線香をあげるファンと思しき男女の姿が。そして、墓石の横に生前は朱で塗られていた「正和」の文字は、黒く塗りつぶされていた――。

■田村さんが本誌に語った妻との“老後”「俺より元気(笑)」

’19年に本誌へ明かした《静かに死にたい》という“遺言”を全うするようにこの世を去った田村さん。した数々の伝説について、かつて仕事をしたテレビ局関係者は目を細めながら語る。

「プロ意識が強く、徹底して自分に厳しい人でした。セリフを完璧に覚えて現場に入り、『主役がNGを出すと現場の士気が下がる!』とよく言っていました。また人前で食べる姿を見せることは決してなく、共演者と食事に行くこともほとんどなかったです」

“俳優は白いキャンバス”と語り、私生活を明かさないことを信条としていた田村さんを陰から支え続けたのが、妻の和枝さん(80)だ。

「和枝さんは銀座の高級テーラーの令嬢で、カナダへの留学経験もある才女です。友人宅で初めて出会った際、和枝さんの田村さんへの第一印象は“近寄りがたい人”だったそうですが、田村さんのアタックにより交際がスタート。’70年に結婚し、翌年には一人娘が誕生しました。

“クールな二枚目俳優”というイメージを守るために、家族と人前に出ることはほとんどありませんでしたが、和枝さんが田村さんへの不満を漏らすことはなかったそうです」(田村さんの知人)

生前、本誌に《僕はもうやり切ったから》と俳優引退を宣言していた田村さん。和枝さんとの“老後”についてはこう語っていた。

《カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る》(’19年7月9日号)

そして地元では“意外な顔”も見せていた。ある近隣住民は言う。

「近所のバンド好きが集まって定期的に趣味でバンド練習をしているのですが、田村さんが参加したがっていたと聞いています。スケジュールの都合で断念したそうですが、会うといつも笑顔で話しかけてくれる気さくな方でした」

1年に1本ペースで俳優活動を続けた田村さんだったが、病気との闘いの日々でもあった。

「田村さんは十数年前から冠動脈性心疾患という心臓の持病を抱えていて、数年前には大きな手術もしたそうです。ここ最近は、奥さんも高齢ということもあって、20代くらいの青年が週に数回車で通って、ゴミ出しなど身の回りの世話をしていたと聞いています」(前出・知人)

■妻・和枝さんと散歩ルートのヒマラヤスギを見上げて…

そんな田村さんが健康のために欠かさなかった日課が散歩。本誌もその姿を何度か目撃している。ゆっくりとした足取りで1時間ほどかけて歩き、時おり立ち止まっては公園の花々を慈愛に満ちた表情で眺める姿が印象的だった。

しかし、今年に入ってからそのルーティンに驚きの変化が。散歩ルートに面する一軒家に住む近隣住民はいう。

「田村さんはいつも決まって一人で散歩していたのですが、今年に入ってからは和枝さんと一緒に歩くようになったんです。つかず離れずの距離感で、奥さんの話を田村さんが笑顔で聞いていましたね」

別の近隣住民はこう証言する。

「緑地公園の前で立ち止まって、田村さんが奥さんに草木の説明をしているようでした。2人でヒマラヤスギを感慨深そうに見上げていました」

田村さんにとって、地元の緑は“宝物”だった。

「20年ほど前、別の公園を潰して高層マンションを建てるという計画に対して、地元住民を中心に反対運動が起こったんです。自宅前に緑の旗を立てるのが反対の印だったのですが、田村さんも『少しでも役に立てるなら』と協力して旗を立てていました」(前出・知人)

“他人に私生活は見せない”という美学を破ってまで、和枝さんとの“最後のデート”を楽しんだ田村さん。それは50年以上にわたって連れ添った妻への田村さん流の恩返しだった。

「田村さんは恐らく自分がもう長くないことを悟っていたのだと思います。夫、父として家族を守るために、田村さんはこれまでは役者としてのイメージを優先した生活を送ってきました。しかし、“最後くらい妻と堂々とデートしてみよう”という思いがあったのではないでしょうか」(前出・知人)

’19年に記者が「和枝さんと楽しい時間を過ごすことが今の生きがいですか?」と尋ねた際、田村さんはほほ笑みながら「うん」と返答していた。田村さんと和枝さんが見上げていたヒマラヤスギの花言葉は、“あなたのために生きる”。

死が2人を分かつとも、互いのために生きた2人の“誓い”は永遠に続くことだろう――。

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