万引きで実刑を食らった女性の壮絶な半生

万引きをやめられなかった当時の様子を振り返る女性(写真:リディラバジャーナル)

私は盗むことを止められなかったーー。

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生活に困窮していたわけでも、盗んだ物が必要だったわけでもない。何でもいいから盗みたい、そんな脅迫的欲求にかられ、来る日も来る日も盗み続けたという女性。窃盗症(通称クレプトマニア)という依存症に罹っていた彼女は2010年、逮捕されて実刑1年10カ月の判決を受けました。

しかし、当時彼女には子どもが3人おり、3人目はまだ乳飲み子でした。

出頭命令が届いたとき、彼女はある覚悟を決めていたと話します。それは、子どもを連れて、一家で国外に逃亡すること。その後、3年半におよぶ逃亡生活の末、日本に強制送還されました。

そんな彼女は、クレプトマニアに至る以前は摂食障害を抱えていました。実は、クレプトマニアになる人のなかには一定数、摂食障害を患っている人がいるのです。

何が引き金で摂食障害になったのか。それがなぜ依存的に窃盗を繰り返す状態に転換したのか。そこに至るまでにどのようなことがあったのか。女性にインタビューしました。

あまりのショックから情緒不安定に

――万引きをはじめたきっかけはあったのですか。

きっかけは、18年前に現在の夫から「好きな人ができた」と言われたことでした。結婚する半年ぐらい前のことでした。

その後に関係性を修復したのですが、そのときはあまりのショックから情緒不安定になり、気づくと盗みをしていました。

当時住んでいたニューヨークのアッパーウエストサイドにあるグローサリーストアーに立ち寄り、手にした食料品を次々とジム用の大きなバッグに入れていたんです。

誰の目にも明らかな万引きをしていたので、お店の人に見つかり、そのお店には出入り禁止になりました。

――ほとんど無意識的に盗んでいたんですね。

スイッチが入ってしまうと次の瞬間にはもう盗っている、盗ることに全てを賭けているようでした。

今となっては恥ずかしいのですが、そのときは申し訳ないというような罪悪感はまったくなかったんです。

盗んでいたのは食料品が中心でしたが、とくに欲しかったり必要だったわけではないんです。とにかく「盗む」という行為自体にとりつかれたようでした。

財布から500円玉だけを盗んだ

――ほかにはどんなものを盗っていたのですか。

アメリカに住んでいた頃、友人の紹介で入会したニューヨークの高級フィットネスクラブでクレジットカードを盗み、そのときに初めて警察に捕まりました。

フィットネスクラブのマネージャーもよく知っている間柄でしたし、友人も私のことをかばってくれたので、そのときにはすごく申し訳ない気持ちになりました。

(写真:リディラバジャーナル)

それでもやめられず、9.11の同時多発テロの影響で日本に帰国してからも盗みは続けていました。

子どもと一緒に児童館にいったときに全然知らない人のカバンから財布を取り出して、財布の中に入っている1万円札ではなく、500円玉だけを抜き出して捕まったこともあります。

周りに人がたくさんいて、しかも自分の子どもがいる前にもかかわらずです。

そのときも含めて、日本では4回ぐらい警察に捕まりました。

捕まるたびに、「二度と盗みはしない」と心に誓っても、時間が経つとまた盗みをしてしまう。その繰り返しでした。

当事は病気だと思っていなかったので、自分は悪い人間だと思っていました。

――それ以前には、摂食障害でもあったんですよね。

摂食障害がはじまったのは、盗みをはじめる十数年前です。

21歳のときに付き合っていた人に「最近太ったね」と言われたのがきっかけでした。

テレビでモデルさんが「食べた後、吐けばいいんですよ」と言っていたのをみて、いつの間にか自分も食べたら吐けばいいと考えるようになってしまっていたんです。

ひどかったときには、食パン6枚ほど食べてから、パスタを1袋食べていました。もう動けくなるまで、とにかく吐くために食べていました。当時は、それが病気だとも思わずに狂ったんじゃないかと思っていました。

それからずっと摂食障害の症状は続いたのですが、35歳のときに今の夫と知り合ってからは自然と過食嘔吐をしなくなりました。

その時は自分を受け入れてくれる人がいたことで満たされていたからだと思います。

今の夫にも「最近太ったね」と言われた

ところが、出会ってから1年後ぐらいに今の夫にも「最近太ったね」と言われたんです。

夫には悪気はなかったと思いますが、それで自分のなかでスイッチが入ってしまった。私はやっぱりやせなければいけないんだ、と思ったんです。

その日から、また普通に食べることができなくなってしまいました。

過食嘔吐が再発して2年間ぐらい続きましたが、嘔吐しすぎて食道が破裂して血を吐いてしまって。

鮮血がトイレの便器に飛び散っているのを見て怖くなって、これはもう吐くのをやめなければと思いました。

窃盗がはじまってからは、摂食障害から窃盗のほうに気持ちが完全にシフトしていましたが、ときどき摂食障害も併発していました。

――摂食障害やクレプトマニアの根本的な原因として思い当たることはありますか。

私は幼少時代から、母親に「あんたなんか産まなきゃよかった」と言われてきたんです。

4つ年下の弟がいるのですが、彼は勉強もピアノも何でもできる人でした。

その弟とずっと比べられてきて、母からは「あなたは何の取り柄もない」と言われてきました。

それから、母は洋裁が大好きな人だったので私の服を手作りしてくれていたのですが、「あなたは太っているから既製の洋服では入らない」とよく憎まれ口を叩いていました。

だから、自分の体型にはすごくコンプレックスがあったんです。でも、食べることが大好きだったので、大学生の頃まではやせようと思ったことはありませんでした。

母からのプレッシャーがストレスに

――母親の言葉が影響していたと。

そうです。それから、21歳のときに父が亡くなったんです。父は母と違って、このままの私を愛してくれた唯一の人でした。その父が亡くなってすごくショックでした。

しかも、父が亡くなった後は、「もう私の生きがいはあなただけ」と母の想いが全部私に向けられて……。

父の死よりも、母からのプレッシャーがストレスになっていたのかもしれません。

それから半年後くらいに、冒頭の21歳の頃付き合っていた人の「最近太ったね」という言葉がきっかけで摂食障害がはじまったんです。

――クレプトマニアとの関連性はあったのでしょうか。

万引きをしていた頃は、自分でも何が何だか分からなかったのですが、今通っているクリニックの主治医の話を聞いたり、自分で勉強をしたりした今思うことは、摂食障害も万引きも根本的な部分は同じだったということです。

過食をやめても根本にある母親との関係性などが変わっていなかったから、万引きをするようになったんだと思います。

薬物やアルコール、窃盗、摂食など、いろんな依存症があるなかで、薬物は手に入れるのが難しかったですし、私の場合はアルコールではなかったんです。それほどお酒が好きでもなかった。

そのなかで窃盗がいちばんやりやすかったのかなと考えています。

※ ※ ※

女性は海外逃亡の末、1年3カ月の刑務所生活を送りました。

あらゆる社会問題同様に、彼女が刑務所に至る行動の背景には家族関係が大きく影響を及ぼしていました。

現在の母親との関係性について聞くと、次のように語ってくれました。

「母に対して恨みもありましたが、年老いた母を見ると責める気にもならないですし、今、自分も母親になって子育てをしていると、母が発したことばも悪気はなかったのかなと思うようになりました。私の病気のことなどを完全に理解はしていなくても、私が受刑したことでやっと私の気持ちを少し分かってくれたんです」

今、彼女はみずからの子育てや治療を通して、客観的な視点で、自分自身や母親との関係性を見つめ直しているようでした。なお、彼女が回復に向かっていく過程を聞いた後編(治療のきっかけは「恐怖」。窃盗症当事者の苦悩)も、ぜひ御覧ください。

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