25歳女性が「最下層」から抜け出せない理由

原田さんは工場とデリヘルのダブルワークをして月13万円ほどを稼ぐ(編集部撮影)
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、「両親は3歳の頃に離婚。母親は男を作って出ていきました。それから1度も会っていません。5歳の頃に父親が脳腫瘍で倒れそこで私の人生は終わりました」と編集部にメールをくれた、東北出身の25歳の女性だ。

カラダを売っても貧困から抜け出せない

「地元を出たのは2年前です。今は埼玉県で寮付きの工場で働いています。なにもかもあきらめているので、死にたいみたいなことは思わないかな。けど、まともな生活ができないので、正直毎日が苦しいです」

原田萌さん(25歳、仮名)は、淡々と語りだした。一貫して表情はあまり変わらない。本人は“何もかもあきらめている”と言うが、年齢相応の若さも喜怒哀楽もなく、本当にただ生きているという感じだった。

現在は埼玉県にある工場の仕事に就く。ラインで工業製品を組み立てる簡単な作業のようだ。地元にいる頃、うつ病を患って精神的な波が激しくなり、知らない土地に出稼ぎに出てからさらに悪化した。2度転職を余儀なくされ、時給は工場が変わるたびに下落した。現在は時給1050円、派遣工員の最低水準である。

この1年間は生活苦のため、池袋のデリヘルでバイトをする。所属の店名を聞くと、採用基準の低い格安デリヘルだった。仕事が終わったばかりというので、財布を見せてもらった。風俗は完全出来高制で報酬は日当で支払われる。千円札が5枚しかない。このうち4000円が今日稼いだ報酬だという。

「風俗は嫌ですよ。知らない男性と2人きりでいるのは、本当に耐えられないです。気分が落ち込んだときは、特にツライ」

1日の報酬4000円は、絶望的な安さだ。交通費と夕飯程度でなくなってしまう。価格1万円以下の格安店は、現在風俗店の過半数を占める。本連載で何度も指摘しているとおり、もうだいぶ前から性風俗は価格のデフレ化によって富の再分配の場として機能しなくなっている。

工場の給与は手取り11万円ほど、デリヘルでの収入は月2万~3万円。寮の家賃は4万5000円なので、手元に残るのは8万円程度。数年前に契約した新車の軽自動車のローンと、金利しか払えていない100万円に近い消費者金融の借金がある。車を手放し、最終手段であるカラダを売っても貧困状態から抜け出せないというのが現状だ。

地元は東北地方。平均賃金や最低賃金は低く、さらに圧倒的に仕事がない。他県に出稼ぎに出るのは、親や祖父母の世代から決して珍しいことではないという。

「学歴は高校中退、10代はフリーターでした。突然将来が不安になって、20歳のときに介護施設に就職した。正社員だったけど、仕事が嫌でうつが始まった。2年間やるのが限界でした。半年間、なにもしないで失業保険をもらって、期限が切れる頃に派遣会社に登録しました。派遣会社から『地元を出ないと仕事はないですよ』みたいなことを言われて、北関東の工場に出稼ぎです。それが2年前です」

派遣会社から契約を打ち切られた

2年半前に祖母が亡くなり、それからしばらくして障害者だった父親は自立できなくなって介護施設に入所した。住んでいた実家は出稼ぎしているときに人手に渡り、帰る家はなくなった。

「最初の工場は時給1400円で1日8時間、手取りも20万円近くもらえた。最初は普通に暮らせて、気を病むこともなかった。ただ24時間制の3交代制の工場で夜勤が増えて、時間が不規則になって、知らない土地ということもあって精神的にだんだんおかしくなった。介護職の頃にうつになって、その再発です。休日にずっと寝ているみたいな感じから始まって、仕事に行けなくなって。ダメになりました。今も向精神薬を飲んでいる状態です」

うつの原因は心理的なストレスと言われる。誰も知らない土地に出稼ぎに行って、友達も知り合いも誰もいない環境だった。時給制なので働いただけしか給与はでない。連続欠勤して給与が5万円を割ったとき、派遣会社から契約を打ち切られた。2度の転職で時給も1050円まで下がってしまった。

「おカネがないので借金返済どうしようとか、食べ物が買えないとか、どうやって生きていけばいいのとか、どんどん悩みが増えた。負の連鎖です。おカネが本当にないときはおかゆに塩だけの食事を10日間とか。このままじゃ死んじゃうって、1年前に埼玉に移ったことをきっかけに思いきって風俗を始めました。風俗をやっても月2万円とか、多くても3万円くらいにしかならない。お弁当を買えるようになったくらい。消費者金融から返済の電話はたくさんかかってくるし、もう自己破産とか生活保護でしか生きることができないかなって。今、法律相談と福祉事務所に相談中です」

この1年半は、精神科で処方された薬を飲んでなんとか働く、それ以外の時間はほぼすべて家で寝ているだけという。年齢相応の若さや生気みたいなものを感じなかったが、楽しかったこと、笑ったことはなく、無自覚のうちに喜怒哀楽は失われてしまった、という事情のようだ。

望まない風俗仕事のダメージも重なった。人並みに生きることはあきらめた。あきらめるとは自分自身の将来や未来になにも期待しないことで、時間が許すかぎり、なにも考えないで家で寝ることにした。恋愛も趣味もなにかをするとおカネがかかる。寝ていればおカネはかからないし、なにも考えなければ精神に負担がかかることもない。

最近、自己破産や生活保護という制度や社会保障の存在を風俗店長から聞いて知った。それで、少しだけ元気が出てきたという。

「今思い出したけど、本当は子どもの頃、看護師になりたかった。それなのにこんなダメな人間になってしまって……」

ネガティブな理由が複合的に絡み合わないと、若い20代の女の子がすべてをあきらめて、福祉に頼るしか希望がないという状態には陥らない。彼女は典型的な“子どもの貧困”の当事者であり、その被害者だった。やはり23歳まで過ごした東北の家庭や生活環境に問題があった。

現在、日本の子どもの相対的貧困率は13.9パーセント(2016年厚生労働省国民生活基礎調査)に上り、必要最低限の生活水準が満たされていない子どもが7人に1人もいる。教育と収入は直結する。家族の格差が子どもの格差にそのまま反映される時代になってしまった。

どんな家庭だったのか聞いていく。父子家庭に育ち、ネグレクト状態で祖母に育てられた。父親は彼女が幼少の頃に脳梗塞で倒れ、障害者認定を受ける。祖母のいる実家に父子で暮らし、障害年金と賃金の低い仕事の報酬が世帯収入だった。祖母と父子は別世帯だったので、世帯年収はおそらく150万円未満だ。

母親は父親が倒れた時期に不倫して、病み上がりの父親と幼かった娘を捨てた。母親の記憶はまったくなく、顔も名前も知らない。母親代わりになった祖母は「お前の母親は淫乱女」みたいな暴言を延々と言い続けたという。劣悪な環境で育っている。

「勉強は小学校までは普通にできたけど、中学校から英語がまったく覚えられなかった。おカネがないから塾とか考えられなかったし、おばあちゃんがとにかく厳しかった。勉強しろって木の棒でたたかれ続けました。バカで無能なお前は、あの女みたいになりたいのか!って。私を棒でたたきながら、いつも母親のことをののしる。私は母親のことなんて、なにも知らない。精神的な限界を超えちゃいました」

不眠がはじまって登校する意欲がなくなった。中学2年生の1学期に不登校になって、部屋に引きこもった。

おカネが払えなくて高校を辞めた

「最終的におばあちゃんに殺意みたいなのが芽生えて、キレました。部屋に鍵かけて不登校になって、暴れて壁を壊した。家族とは誰ともしゃべらなかったし、なにも聞かなかった。おばあちゃんとはお互いを見捨てたというか、一切関係ないみたいな感じになった」

ほとんど登校しないまま卒業した。定時制高校に進学した。高校へは通ったが、中学校で勉強をまともにしていないので授業にはついていけなかった。

「今思えば、こんなことになったのは、高校を辞めたことがいちばん大きかった。1年生が終わるとき、お父さんが高校に必要なおカネを払ってくれなかった。公立だったので微々たる金額で、確か1万5000円くらい。『うちにそんなカネはない、自分で仕事して払え!』って怒鳴られた。アルバイトはしていたけど、自分で払うのは嫌だった。そのまま辞めちゃいました」

父親はわずかな納入金の負担を拒絶、原田さんも払いたくなくて高校中退した。父親に退学を伝えると、興味なさそうに「あ、そう」とうなずかれただけだった。

「そのときは世の中のことをなにも知らなかったので、別に高校中退してもなんとかなると思っていた。普通にアルバイトだけで生きていけるって。フリーターになってから家が嫌になった。おばあちゃんがいるし、父親もいるし。18歳のとき、1年間くらい家出して東京に行きました。飲食店の厨房でバイトして、バイト先の友達の家とか漫画喫茶とか転々として、普通に生活はできました」

貧困家庭には、子どもの学費や教育費にかけるおカネはない。必死に情報を集めて、おカネを工面して子どもが将来的に不利益を被らないように頑張る親もいるが、かなりの割合で原田さんの父親のように子どもの教育に興味がなく、自分でなんとかしろと自立を迫る。

先日まで生活保護制度や自己破産の法律を知らなかったように、相談者がいなければ、給付型奨学金などの貧困家庭の子どもに向けられた情報を得ることはできない。子どもに興味がない家庭で育ち、引きこもって家族も中学校も断絶した原田さんが、高校中退は自分にとって不利益という現実を知らなかったのはうなずける。

「高校中退はまずい、って薄々気づいたのは20歳超えてから。バイト先で友達ができて初めて知った。そのときはまだ実家があったので戻って、地元のハローワークに行きました。この学歴だと介護しかないって言われて、担当者に『職業訓練で(ホーム)ヘルパー2級を取ったらどうですか?』って勧められた。介護ならできそうと思った。資格を取ってグループホームで2年間なんとか頑張ったけど、完全に精神をおかしくしてしまいました」

介護職不足は国の課題で、2009年から介護人材確保政策は本格的に始動されている。マッチングなどは一切考慮されないまま、失業者は介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)の資格を無償、さらに都道府県によっては研修期間中の月々の生活費を行政が支払って取得という職業訓練に誘導される。資格取得後、介護施設を紹介される。その雇用対策事業は、全国で展開されている。

介護職の賃金は63業種中の圧倒的な最下位だ。女性の貧困を牽引している。高い離職の中で延々と人材不足は続き、向き不向きすら検討されないまま続々と失業者が送り込まれている。当然、末端の現場は荒れ果てる。

「本当に高齢者が嫌い」

21歳、グループホームに就職した。正規雇用で月給13万円に残業などの手当がつき、手取り15万円ほどだった。正社員を違法労働で酷使する事業所は多く、ブラック労働で精神を壊したかと思ったが、理由は違った。

「実際に介護職になってみたら、入居者の対応だったり、コミュニケーションで苦労しました。オムツ交換とか多少のブラック労働はそんなに気にならなくて、私がいちばん嫌だったのは認知症の高齢者に孫に間違えられること。自分の中では消し去っていた祖母を思い出して、嫌で嫌で嫌で、動悸が止まらなくなるほど嫌で、本当に高齢者が嫌いとわかりました」

嫌悪感は何カ月も収まらなかった。ある日、施設長に「孫と間違えられないために、どうすればいいでしょうか?」と相談した。施設長は「自分のおばあちゃんと思えばいい。絆が深まれば、すごくすてきなこと」と返答したという。精神的な負担は限界を超えるようになった。

実家があり、ダブルワークはしていなかったので、おカネも時間も少しだけ余裕があった。休日は競輪に行ってストレス発散した。軽自動車を新車で買い、競輪場に通った。ある日、競輪場で16歳年上の中年男性にナンパされて恋愛した。中年男性は未婚の派遣労働者だった。

「正社員だったし、嫌でも頑張ろうと思って介護は続けた。だんだんその彼氏に依存するようになって、毎日、毎日、何時間も電話しないと気が済まなくなって、すごく束縛した。もう高齢者を見るのも限界で、彼氏に仕事のことを相談した。『失業保険をもらえるから辞めちゃえ』って言われて、そうかと思って辞めました」

23歳、グループホームを退職した。毎月ハローワークに行くだけで13万円がもらえる。時間ができて恋人への依存はさらに深まった。中年男性は介護職を辞める直前、「除染作業の会社を作るから」と彼女に借金を打診した。消費者金融をまわって、彼氏に100万円を貸した。100万円を渡してから3カ月後、彼氏は原田さんの前から消えた。

原田さんが住んでいた実家の部屋(写真:原田さん提供)

「彼氏がいなくなって、完全におかしくなりました。部屋に引きこもりました。同じ頃に父親が歩けなくなって介護が必要になった。歩行介助とか私が頼られて、気持ち悪かった。偉そうに1人で生きていけって言っていたのに、自分が歩けなくなったら私を頼るの?って。精神状態がおかしかったこともあって、父親を虐待しました。結局、自分で介護施設に行った。消えた彼氏とか借金のことを思い出すと暴れたり。壁を壊したり。最終的には部屋をメチャメチャにして、ゴミに埋もれるみたいな状態になって、友達に発見されました」

不眠、暴れる、何日も動けないなど、部屋がゴミまみれになるなど、普通じゃないことを自覚して精神科に行った。抑うつ状態と診断され、向精神薬を処方された。失業保険が切れた頃、状態が落ち着いた。派遣会社に登録して、地元を出て北関東の工場へ行くことになった。

普通を知らないのでわからない

貧困家庭に生まれた子どもの、痛々しいその後だった。

「北関東に行ってすぐにおばあちゃんががんで死んだ。連絡が来たときは笑ってしまったし。誰かが介護しないと生きていけない父親は、人間には見えないし、本当に気持ち悪い。母親は顔も名前も知らないので、今どうしているとか興味ないし、本当に関係ない。中学校には行ってないので友達も少ない。寂しいので男の人には執着してしまって、束縛がすごいみたいで全然続きません。彼氏ができても逃げちゃいます」

まだ25歳だ。子どもの頃の夢だった看護師になるとか、家庭を新しく作るとかできないのか。

「家庭とか子どもとか、普通を知らないのでわからない。子どもができたとしても、たぶん嫌になって捨てると思う。母親が私にそうしたように、同じことになる。だから結婚とかは考えられないし、もう家もないので寮のある工場でしか働けないです」

なにも聞くことがなくなったので、取材を終わらせた。貧困の連鎖と家族崩壊、精神疾患、異性への依存癖、深刻な関係性の貧困、それに高校中退に情報弱者――まったく未来が見えない。彼女はすべてをあきらめて、あいている時間をずっと寝ることで現実逃避をする。どうすればいいのか、筆者にもわからなかった。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

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