コネタ

G.G.佐藤が妻とともに送った波乱の野球人生

「キモティー!!(気持ちいい)」という決めぜりふで、一世を風靡した人気者、「GG佐藤」こと佐藤隆彦さん(左)と、妻の真由子さん
プロ野球シーズン真っ盛り。連日連夜にわたって熱戦が繰り広げられている。そこで戦う選手の夫を支える妻を描く「プロ野球選手の妻たち」(TBSテレビ系)(次回は7月17日〈月・祝〉よる7時から放送)。「バース・デイ」「プロ野球戦力外通告」など、TBSのスポーツドキュメンタリーのスタッフが手掛けるドキュメンタリー番組だ。過去の放送分から、過酷なプロ野球の世界に人生を翻弄されながらも、力強く生きていく夫婦の実像を紹介しよう。

野球に興味がない人でも、G.G.佐藤という選手を知っている人は少なくないのではないか。元西武ライオンズ佐藤隆彦(さとう たかひこ)さん。豪快なホームランで、4番バッターとして活躍。年俸1億円を稼ぎ出したこともある、強打者。ちなみに、G.G.とは、見た目が「ジジ臭い」という理由でついた、子供の頃からの愛称だ。

「キモティー!!」で一世を風靡した人気選手

法政大を卒業後、渡米しマイナーリーグで経験を積み、2004年にドラフト7位で西武入団。2008年北京五輪代表として出場し、イタリア暮らしを経て、2013年千葉ロッテにテスト入団。西武、ロッテでは伊東勤監督に仕えた。そして、「キモティー!!(気持ちいい)」という決めぜりふで、一世を風靡した人気者だ。

そんな隆彦さんをプロ野球選手の妻として支えたのが、真由子(まゆこ)さんだ。

2人の出会いは2006年。共通の知人が開いた結婚パーティだった。隆彦さんは、プロ3年目の28歳。一方、真由子さんは、4つ年上の32歳。当時、日本航空(JAL)で花形キャビンアテンダントだった真由子さんに隆彦さんは一目ぼれし、猛アピールしたそうだ。

しかし、真由子さんは、あまり野球に興味がなく、隆彦さんのことは、まったく知らなかった。この頃の隆彦さんは、1軍と2軍とを行ったり来たり。野球に興味がある人にも、ほとんど無名の存在でもあった。

それでも隆彦さんは、一歩もひるまず、猛アプローチ。

「一目ぼれしちゃいました。好きになっちゃいました」(隆彦さん)

戸惑う真由子さんに対し、隆彦さんのアプローチはすさまじく、まずは電話やメール攻勢。結局、その押しの強さに負けて、デートすることになった。

初めてのデートにもかかわらず、隆彦さんはいきなりプロポーズ。共通の知人の家で会った時の帰り道には、結婚指輪を渡してきた。

「僕の今年の目標は、ホームラン15本。達成したら結婚してください」(隆彦さん)

真っすぐな隆彦さんの思いに対し真由子さんは

「その倍の30本打ったら結婚してあげる」(真由子さん)

と、無理なお願いをした。すると

「よし、わかった。俺(ホームラン)30本打つよ。そしたら結婚してください」(隆彦さん)

まだ1軍に定着もしていないのに、ホームラン30本を宣言。ちなみに、隆彦さんが、それまでの3年間のプロ生活で放ったホームランは、わずか9本だった。

迎えた2007年の開幕戦。なんと、いきなりホームラン。翌日の2戦目でも、2試合連続でホームランを放ち、勢いに乗った隆彦さんは、4番バッターに抜擢され、ホームランを量産。一気にスター街道を駆け上がった。

真由子さんとの出会いからわずか1年半で、一気にスター街道を駆け上がった。TBSテレビ「プロ野球選手の妻たち」次回は7月17日(月・祝)よる7時から放送です

30本には届かなかったものの、ホームラン25本を放ち、見事、ブレークした隆彦さん。真由子さんは、隆彦さんの一途な思いを受け入れ、翌2008年1月に結婚した。

結婚1年目の隆彦さんは、ますます絶好調で大活躍し、オールスターゲームに、最多得票で出場することができた。真由子さんと出会って、わずか1年半で、まったくの無名の選手から一流選手の仲間入りを果たしたのだ。

北京オリンピック出場。そこで待っていた悲劇

2008年の北京オリンピックでは、日本代表メンバーにも選ばれた。代表には、現在、メジャーリーグで活躍する、ダルビッシュ有投手や、田中将大投手ら、そうそうたるメンバーが顔をそろえ、日本中が金メダルを期待していた。しかし、この大舞台で待っていたのは、想像を超える悲劇だった。

勝てばメダル獲得が決まる準決勝の韓国戦に、真由子さんも駆けつけた。隆彦さんは、7番レフトで先発出場し、試合は終盤、韓国が逆転。これ以上、点を取られてはならない大事な場面で、まさかの落球をしてしまう。有名すぎる話だ。そのまま敗れた日本は、金メダルの夢を失った。

翌日の、銅メダルをかけて臨んだ、アメリカとの3位決定戦でも、隆彦さんが落球。その手痛いミスをきっかけに、この試合も敗れた日本代表は、メダル獲得を逃したのだった。待っていたのは、激しいバッシング。隆彦さんは、その矢面に立たされた。

戦いを終えた夜、真由子さんの元に、1通のメールが届いた。そこには、「死にたい」という隆彦さんの悲痛な叫びがあった。真由子さんは、すぐさま、日本代表の宿舎に駆けつける。そこには、いつも明るい夫からは想像できない気落ちした姿があった。

真由子さんはあまりにも落ち込んだ隆彦さんの姿に、言葉をかけることすらできなかった。日本に戻って、数週間が過ぎても、隆彦さんは魂が抜けたように、笑顔をなくしたままだった。

「なんとか立ち直ってほしい」。そう思った妻が取った行動は、普段と同じように接することだった。日常の生活を取り戻すことで、夫が受けたショックを、少しでも早く忘れさせてあげたかった。

そして、ファンからのブーイングを覚悟して、臨んだ試合。しかし、温かく迎えてくれた。北京での悲劇を乗り越えてくれることを期待していたからだ。

翌年のシーズン開幕直後、長女が誕生。パパになった隆彦さんは、北京での悲劇を振り払うかのように、打ちまくった。

北京オリンピックの翌年のシーズン、隆彦さんは、過去最高の成績を残し、年俸も1億円を突破。温かく見守ってくれた、ファン。そして、誰よりもしっかりと支えてくれた、妻の思いに応えたのだった。

復活。誰もがそう思った。ところが、思いも寄らぬ悲劇が、この後待っていた。

突然襲い掛かった悲しい現実

北京オリンピックから3年後の2011年、2人目の子どもを妊娠した真由子さんは、4カ月検診を受けた際に、医師からこう告げられる。

「赤ちゃんの心臓が動いてないんです」

それは、何の前触れもなく、突然、襲いかかった、つらく、悲しい現実だった。現実をなかなか受け入れられず、自分を責め続けた真由子さん。何もかも、自分が悪いように思えた。

自らを責め苦しむ妻に、かける言葉を見つけられなかった隆彦さんは、自分ができることは「野球しかない」と、これまで以上に、練習に打ち込んだ。ところがこの年、隆彦さんは、極度のスランプに陥り、2軍暮らしが続いた。

ある日、隆彦さんは練習を終えた帰宅途中、突然、激しい目まいに襲われ、呼吸困難に陥る。救急車で病院に運ばれた。

もう、限界を超えていた。生まれてくるはずの子どもを亡くし、悲しみ、自らを責める真由子さんを、野球で勇気づけたかった。しかし、極度のスランプで1軍に上がれず、心はつねに苦しみの中にあった。

そして、焦りを振り払おうと、毎晩、深夜まで練習を続けたことで、隆彦さんの体は、限界にまで追い込まれていたのだった。隆彦さんは、結局、この年、一度も1軍でプレーすることがないまま、8年間所属した、西武からの戦力外通告を言い渡された。

野球をあきらめきれない隆彦さんは、クビになった選手たちの合同テスト「トライアウト」に参加した。しかし、どこからも声は掛からなかった。

失意の2人が、新天地に選んだのは、異国の地イタリア。隆彦さんは、イタリアのプロリーグで、野球を続けることに。イタリアで野球はマイナースポーツ。プロといっても、設備すら整っておらず観客は、多くても500人ほど。野球を知らない人のために、ルールの説明が、球場に掲げられている。

選手の給料は、月20万円程度。日本とは、かけ離れた環境のこの地を隆彦さんは、あえて選んだ。野球を続けるため、ただ、それだけではなく、日本から離れることで、もう一度、家族の絆を取り戻したかったのだ。

隆彦さんは、1年間イタリアでプレーし、家族と共に帰国。そして1カ月が過ぎた頃、隆彦さんにうれしい話が舞い込んだ。

「うちの入団テスト受けてみないか?」

戦力外通告から、すでに1年。そんな隆彦さんに声をかけたのは、千葉ロッテマリーンズの監督に就任した、伊東勤さんだった。かつて、西武ライオンズの監督だった伊東さんは、隆彦さんを見いだしてくれた、いわば恩師。その恩師に直接声をかけられ、千葉ロッテの入団テストを受けることに。日本球界復帰の、大きなチャンスだった。

奇跡の復活を、誰よりも喜んでいたのは、真由子さんだった。TBSテレビ「プロ野球選手の妻たち」次回は7月17日(月・祝)よる7時から放送です

隆彦さんは、このチャンスをものにし、千葉ロッテに入団した。入団後の試合では、全盛期を彷彿とさせる豪快な1発を撃ち、野球ファンに、「G.G.佐藤」の健在ぶりを見せつけた。

そして、戦力外通告からの奇跡の復活を、誰よりも喜んでいたのは、真由子さんだった。

夫婦で、どん底からの奇跡の復活

そんな真由子さんのお腹に、待望の第2子が宿った。どん底に突き落とされた、あの流産から3年。喜びも、ひとしおだった。真由子さんは、待望の男の子・隆之介くんを出産。さまざまな悲劇を家族で乗り越え、そして、生まれてきたわが子。その喜びは、何物にも変えがたいものだった。

真由子さんは、2人の子どもを連れ、隆彦さんの試合の応援に出掛けた。隆之介君に、「パパは、プロ野球選手だよ」って、教えるために。この日の隆彦さんは、4番レフトで先発出場し、ヒットは出なかった。それでも、真由子さんは、元気にプレーする夫と、応援する子どもたちの姿に、幸せを感じていた。

ただ、一度乗り越えたとはいえ、戦力外通告はプロ野球選手の宿命だ。隆彦さんは、2014年2軍での日本一に貢献した直後の10月4日に戦力外通告を受け、36歳で現役を引退した。今はビジネスマンとして一般企業で活躍する。波乱万丈ながらも人々の記憶に残る選手として野球人生を送れたのも、真由子さんの支えがあってのことだった。