半世紀を経て「太陽の塔」がミュージアムとして復活! 現在でも愛されている理由とは?

『太陽の塔ガイド(小学館クリエイティブビジュアル)』(平野暁臣/小学館)

 1970年に開催されたアジア初の国際博覧会「日本万国博覧会」通称「大阪万博」。多くの国が集い文化や科学技術を披露、未来を示す国際的な展示会であり、当時の日本を熱狂させた。入場者数の総計は6000万人超。これは日本人の2人に1人が訪れたということになり、日本史に残る空前絶後のイベントとなった。その数ある展示館の中でも、ひときわ異彩を放っていたのが「太陽の塔」だ。中心部に巨大な顔、その脇から両手を広げたような姿で建ち、高さ70mの頂点に金色の顔を持つ白い塔は、日本を代表する芸術家・岡本太郎が製作した最大の芸術作品であり、半世紀近くも大阪の街を見守り続けているのだ。その圧倒的な存在感に小生は憧れとも畏怖ともつかない、なんとも不思議な感情を抱き続けている。

 そして2018年3月にその内部が恒久的なミュージアムとして復活。早速、見に行きたくなるが、スケジュールと懐具合の調整がままならない。そんな折に見つけたのが、この『太陽の塔ガイド(小学館クリエイティブビジュアル)』(平野暁臣/小学館)。豊富なビジュアルで「太陽の塔」をガイドし、岡本太郎の創作意図も解説してくれる一冊。著者である平野暁臣自身、プロデューサーとして太陽の塔再生プロジェクトを率いていた人物なのだ。

 ところで、塔の内部には何があるのだろうか。まずはメディアでも紹介されていた「生命の樹」を思い浮かべる読者も少なくないだろう。内部の中心にそびえたつサイケデリックな色をした41mの大樹には、単細胞生物から旧石器時代のヒトまで、時代を超えた33種の生き物たちがびっしりと枝に配置されている。

 どれも経年劣化のためにボロボロになっていたそうだが、当時の姿そのままに再現された。1970年当時の研究を基にデザインされていたため、恐竜などの姿が現在の解釈とはいささか違う面もあるが、それでも迫力のある姿は圧巻だ。ただ、ゴリラが一体だけ敢えて復元されずにいる。頭部のマスクが剥がれ落ち、金属骨格がむき出しになっており不気味さも感じさせるが、これにより「多くの時間が過ぎ去ったことを象徴している」そうだ。当然、観客を怖がらせるためではないので静かに受け止めてほしい。

 また、本書を読んで初めて知ったのが地下にある「地底の太陽ゾーン」だ。万博開催当時、観客は塔へ入る際に、一旦この地下を抜けてから内部へと入っていったのだが、そこで目にするのが黄金に輝く「地底の太陽」である。太陽の塔には、地下にも「太陽」があったことをどれだけの読者が知っていただろうか? だが、それも致し方ない、なぜなら「地底の太陽」は万博閉幕後に行方不明となっていたのだ。現在の展示は当時の資料を基に復元されたものである。

 このように万博閉幕後、各展示物は移設された物もあるが、大半は失われてしまった。そもそも「太陽の塔」とてあくまでパビリオンの一つでしかなく、閉幕後半年以内に解体予定だったのだ。それがなぜこうして残ったのか? 不思議なことに行政としては「撤去する方針」をキープしながらも、ズルズルと先延ばしにしていたのだ。行政のいわゆる「お役所仕事」というと融通が利かず、一度予算が通ると脇目もふらずに実行する印象もあるが、この時はなぜか優柔不断な態度。同じ時期、岡本太郎は意見を求められ「田舎のじいさん、ばあさんが『生きていてよかった』と言っていた」「子供に絵を描かせたらほとんどが太陽の塔を描いた」と、発言している。これは太陽の塔が「日本人みんなのものとなったから」と著者は述べる。さらに「誰も壊そうと言えなかった。理屈ではなく直感が“壊しちゃだめだ”と囁いた。だからどうしても壊せなかった。それが真相なのでは」とも。

 小生も、メディアを通じ塔を見て感動しているのだ。その姿を実際に見たらその衝撃は生半可なものではないはず。そんな人々の願いが、こうして太陽の塔を支え続けたのなら実に納得の話だ。もしかしたら、当時の人々には実在する怪獣のような神々しい存在だったのだろうか。やはり、実物を見に行き、体感せねば! そしてこう言わねば。「なんだ、これは!」

文=犬山しんのすけ

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