言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは?

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


物理学は基本的には自然科学の分野ですが、物理学の手法とツールはさまざまに応用可能で、社会物理学や経済物理学などの分野が発展しています。同じように物理学の手法を言語の分析や分類などに応用した言語物理学について、世界最大の物理学会の1つであるInstitute of Physics(IOP)の会員誌であるPhysics Worldが、日本語における「悪口」の広まりなどを例に挙げて解説しています。
The physics of languages – Physics World
https://physicsworld.com/a/the-physics-of-languages/

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


物理学を他の分野に適用する手法はさまざまな分野で浸透していますが、社会物理学や経済物理学と比べて、言語学への物理学の応用はあまり浸透していません。言語は、生物種と同じように広がり、進化し、競争し、絶滅していく性質があり、そういった性質の追跡や分析に物理学の手法が用いられることがあります。
2011年にデンマークのニールス・ボーア研究所と九州大学の物理学者グループが発表した論文では、日本語の罵倒ワード(悪口)がどのように全国に広まったのかを研究しています。

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


研究では、21種類の悪口を地域ごとに分布で示した言語地図を作成し、それを分析しました。すると、その大部分が京都から広がっていることが判明し、「世代ごとに京都で新しい言葉が現れ、京都を文化の中心地として全国に広まっていく」と結論付けられています。また論文によると、日本の細長い形状は、言語が広まるプロセスを大幅に簡素化させる効果があるそうです。
以下は、調査された悪口の単語がどのように広がったのかを示した地図。21種類の悪口について異なるカラーの波形で広がりが表現されていますが、それらはすべて京都の北か南を中心としていることを地図上に示しています。また、以下の地図で灰色の点線で示しているように「バカ」という悪口はかつて京都で主流でしたが東京まで広がり、その間に茶色の点線で示す「アホ」が京都で主流になり中国地方や中部地方に広がっている、という言語の置き換わりについても地図上で表現されています。

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


同様の言語地図は、日本ではABCテレビのバラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」が1991年に放送した企画「アホとバカの境界線」で示されたことで知られています。「探偵!ナイトスクープ」は視聴者から依頼を受けてタレントやスタッフがさまざまな調査を行う番組で、大阪生まれの男性と東京生まれの女性による夫婦がケンカする際に「アホ」「バカ」と違う言葉を使うことから、「どこまでの地域が『バカ』でどこから『アホ』なのか調べてほしい」と依頼があったもの。
結果として、インタビューや視聴者からの投稿を参考に「アホ・バカ分布図」という地図が作成されました。番組プロデューサーの松本修氏は調査から研究、発表までの流れを「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」という本にまとめています。ここで作られた「アホ・バカ分布図」についても、京都を中心として同心円状に同じ悪口が広がっているという方言周圏論の形が見られていました。

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


この言語地図に見られる波形状のシナリオは、新しい種が定着したり広まったり侵略したりする生態学にも見られます。このような点から、言語物理学と生態学の間には多くの数学的類似点が考えられています。
単語や慣用表現だけではなく、音声特性や構文構造といった特徴も同じようなモデルで広がるケースがあります。移住などの大規模移動で発生することもありますが、それ以外にも言語コミュニティ内で何らかの言語革新があったとき、または異なる言語を使用するコミュニティ同士の接触を通じて集団全体において言語の特徴が影響を受けるケースなどが、言語変化の原因になると考えられてきました。さらに、言語の分散は言語の進化と平行して起こり、結果として同じ言語内でも「方言」が発生して独自に発展していきます。
言語の進化は、言語力学の重要かつ複雑な側面です。生態学および遺伝進化モデルから応用した数学的記述で分析されることが多いほか、ゲーム理論などの社会科学モデルからも影響を受けた分析手法が主流となっていました。加えて言語物理学では、より小さく小刻みなスケールでの言語変化として、2つの言語を話す話者が言語Aと言語Bのどちらを用いてあるフレーズを表現するかという「言語競争」を重要なトピックとしています。
また、物理学が言語研究に生きるもう1つの点として、Physics Worldは「書かれたテキストの分析」を挙げました。言語研究の多くはフィールドワークを通じて少数言語の話者を探したり話者にインタビューしたりと話し言葉に焦点を当てた上で、収集したデータを数学的手法で分析します。一方で、統計物理学が得意とするのは、書かれたテキストの文章の規則性や統計法則を明らかにする分析。代表的なものとして、頻繁に使用される単語ほど短くなり、使用頻度が低いほど単語は長くなるという「簡潔性の法則」というものがあります。現代では大規模なデジタルデータベースから簡単にコンピュータによる分析が可能なため、80の異なる言語族の1000の言語に簡潔性の法則が適用されることが示されています。

言語の広がりや進化などを物理学者が力学的に分析する「言語物理学」とは? - 画像


ソーシャルメディアの台頭に伴って、言語研究に関する新しいアプローチもさまざまに進んでいます。スペインの物理学研究機関であるIFISCが2021年に発表した研究では、当時のTwitter(現X)で2015年から2019年の間に16の国と地域で収集された1億件の投稿をデータセットとして、社会の多様性を捉える言語像の構築に利用しました。この際に、投稿された言語および投稿者の国籍を特定し、特定の言語と地理的位置の話者の割合を計算するためや、地域ごとで話題になるトピックの違い、同じものを指すのに同じ言語でも異なるフレーズを用いる地域別のデータの収集などに、Twitterのデータが大いに役立ったそうです。
Physics Worldによると、言語物理学について物理学者以外の人に説明する際に、いつも物理学と言語学のつながりが議論を引き起こすそうです。Physics Worldは「物理学は、複雑系理論のツールやモデルによって言語の進化や普及のメカニズムを理解できたり、科学的に興味深いだけではなく言語的に包括的な社会の形成と支援に役立つ可能性がある社会的影響も持っています。他の生態系が侵入すると元の種に悪影響が生じることがしばしばあるように、言語学に物理学が広がることで、悪影響を及ぼさないように、言語学と言語物理学が共生できることを願っています」と言語物理学の発展について述べました。

ジャンルで探す