世界に衝撃を与えた「室温超伝導」の論文を巡る一大スキャンダルの内幕についての詳細レポートをNatureが報告

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特定の金属や化合物を極端に冷却した際に電気抵抗がゼロになる現象を超伝導と呼び、この超伝導を室温で発生させる室温超伝導は、リニアモーターカーや量子コンピューターなどへの応用が期待される夢の技術です。そんな室温超伝導を発見したとする論文を科学誌のNatureで2回も発表し、いずれも後に撤回されたロチェスター大学のランガ・ディアス氏を巡るスキャンダルの内幕について、科学誌・Natureのニュースルームが一連の経緯についての調査結果を報告しています。
Superconductivity scandal: the inside story of deception in a rising star's physics lab
https://www.nature.com/articles/d41586-024-00716-2

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アメリカ・ロチェスター大学の物理学者であるディアス氏は、2020年10月に「セ氏15度の環境における室温超伝導を発見した」と主張する論文を発表しました。ディアス氏らの研究チームは、水素・炭素・硫黄を合成した「Carbonaceous sulphur hydride(CSH:炭素質水素化硫黄)」という化合物で室温超伝導を実現したと主張し、論文は世界的な学術誌であるNatureに掲載されて大きな話題を呼びました。
ところが、ディアス氏らが発表した論文には超伝導状態を証明する上で重要な磁化率についての生データが含まれておらず、再現性もないことが指摘されました。その結果、Natureは2022年9月に論文を撤回しました。
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その後、ディアス氏らは2023年3月にも室温超伝導を発見したとする論文を発表し、再びNatureに掲載されました。この論文では、室温超伝導を実現した化合物はCSHではなく水素・窒素・ルテチウムからなる「nitrogen-doped lutetium hydride(窒素ドープ化ルテチウム水素化合物)」という物質でした。
以前に室温超伝導の論文が撤回されたディアス氏らの研究チームが発表したこともあり、2本目の論文は当初から懐疑的な視線を向けられていました。そして2023年11月、論文の共著者らの要請やデータの信頼性に懸念が提起されたことを受けて、再び論文が撤回されました。
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Natureのニュースルームは一連の流れについてより詳しい情報を求め、ディアス氏の研究室に所属していた元大学院生数人にインタビューを行ったほか、電子メールの履歴やNatureの学術誌チームが論文を受理および撤回した際の文書などの調査を行いました。なお、Natureのニュースルームは学術誌チームとは編集上独立しているとのこと。
ディアス氏はハーバード大学の博士研究員として物理学教授のアイザック・シルヴェラ氏の下で研究を行った後、2017年にロチェスター大学のポストを得ました。シルヴェラ氏はディアス氏について、「彼は非常に才能がある科学者というだけでなく、正直な人間です」と語ったとのこと。ロチェスター大学に移動してから室温超伝導の研究を行っていたディアス氏は、2015年にドイツの研究チームが硫化水素でマイナス70度の高温超伝導を実現させたことにインスピレーションを得て、「硫化水素(水素と硫黄)に炭素を加えてはどうだろうか」と考えたとのこと。
匿名を条件にNatureニュースルームのインタビューを受けた元大学院生は、ディアス氏の指示でCSHのサンプルを合成したものの、超伝導を示す電気抵抗や磁化率の測定は行わなかったと証言しています。それにもかかわらず、ディアス氏は2020年7月21日にいきなり「CSHで室温超伝導を発見した」とする論文の原稿を元大学院生らに送りつけてきたそうです。Natureニュースルームが確認した電子メールの日付によると、ディアス氏が原稿を送信したのは7月21日17時13分で、Natureに論文を送信したのは同日20時26分だったとのこと。つまり、元大学院生らは共著者であるにもかかわらず、原稿の存在自体を提出直前まで知らされず、レビューする時間すら満足になかったというわけです。
元大学院生らも、自分たちが知らないデータが論文に含まれていることに驚いてディアス氏に尋ねましたが、ディアス氏はロチェスター大学に来る前に電気抵抗や磁化率のデータを測定したと回答しました。元大学院生らはその説明に違和感を覚えたものの、自分たちはまだ経験が浅い学生に過ぎず、指導教官であるディアス氏を信頼していたため、まさか不正行為が行われていたとは思わなかったとのこと。なお、Natureニュースルームがインタビューを行った時点では元大学院生らはディアス氏を信頼しておらず、データは測定されなかったのだろうと考えています。
Natureの学術誌チームが論文の査読を依頼した3人のレビュアーによる報告書では、3人中2人がCSHの化学構造に関する情報が不足していることに懸念を示していました。しかし、これらのレポートをチェックした5人の超伝導専門家によると、1人の査読者から肯定的なフィードバックを受けていたことから、Natureが論文掲載を受け入れたことは不合理ではなかったとのこと。

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しかし、ディアス氏が論文を発表して間もなく、カリフォルニア大学サンディエゴ校の理論物理学者であるホルヘ・ヒルシュ氏が論文に含まれていない生の磁化率データを公開するように要求。1年以上が経過してようやくディアス氏は生データを公開しましたが、これを分析したヒルシュ氏らはデータポイントがあまりに規則的に分離されており、データの操作が行われた可能性があると2022年1月に指摘しました。
これらのデータに関する懸念から、Nature学術誌チームはさらに4人の査読者に論文のレビューを依頼したとのこと。4人中2人は不正行為の証拠を見つけられなかったものの、フロリダ大学の物理学准教授であるジェームズ・ハムリン氏を含む2人は生データが改ざんされたと結論付けました。ディアス氏とネバダ大学ラスベガス校の論文共著者であるアシュカン・サラマット氏は、「データ操作はしていない」と反論したものの、ハムリン氏らが発見した磁化率データの疑問点については説明しませんでした。
一連の指摘を受けてNature学術誌チームは論文撤回プロセスを開始し、2022年8月11日に共著者全員にメールを送ったそうです。この際、Natureニュースルームがインタビューした元大学院生らは、ディアス氏によって出版後の査読プロセスから完全に蚊帳の外に置かれていたため、そもそもレビュアーによって論文データの捏造(ねつぞう)が指摘されていたことすら知りませんでした。
結果的にCSHの論文は撤回されましたが、Natureは磁化率のデータが捏造されたものであるとは明言しませんでした。学術研究における不正行為の立証は非常に難しいため、学術誌が論文を撤回する際は曖昧な言葉を使うことが多いとのこと。その後もディアス氏は、公の場で「CSHの室温超伝導は正当なものであり、論文の撤回はあくまで技術的意見の相違によるもの」だと主張し続けました。

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CSHに関する論文が厳しい目にさらされる一方で、ディアス氏は窒素ドープ化ルテチウム水素化合物に関する新たな室温超伝導の研究を進めていました。ディアス氏は2021年夏にルテチウムと水素の化合物(LuH)の調査を大学院生に指示し、間もなく学生がセ氏27度の室温状態で市販のLuHが電気抵抗ゼロになるという測定結果を報告したとのこと。この時点では測定誤差が多く、サンプル間での一貫性もなかったものの、ディアス氏はこの物質が室温超伝導だと結論付けました。また、サンプルの元素分析中に微量の窒素が検出されたことを受けて、ディアス氏は化合物を「窒素ドープ化ルテチウム水素化合物」だと主張しましたが、論文提出後に行われた分析ではLuHに窒素が取り込まれていないことも示されたとのこと。ある元大学院生はNatureニュースルームに対し、「ランガ氏は私の言うことを無視しました」と語りました。
CSHの論文について科学界から懸念が寄せられていたこともあり、共著者となる元大学院生らは自分たちを論文執筆プロセスに関わらせるよう要望しており、ディアス氏も承諾していたとのこと。しかし、ディアス氏はいきなり2022年4月25日の深夜2時9分に論文の原稿を電子メールで送信し、「10時30分までにコメントを送ってください。今日提出します」と通達しました。元学生らはディアス氏を説得し、翌日まで提出を延期した上でさまざまな疑問点について問いただしたものの、ディアス氏はまともに取り扱わなかったそうです。
たとえば、実験では市販のLuHサンプルを使用したにもかかわらず、論文ではLuHの合成方法について記されており、元学生らは自分たちがサンプルを合成したと誤解を招くのではないかと懸念を示しました。しかし、ディアス氏は自分たちがサンプルを合成したことは明確に言及していないので、技術的にはうそをついていないと回答したとのこと。他にも、論文に記載された圧力データが実際の測定と異なることについて、「圧力はジョークだ」と言って一蹴したそうです。
最終的にディアス氏は、「論文から元大学院生らの名前を削除するか、原稿をそのまま送るか」の最後通告を突きつけ、立場の弱い元大学院生らは黙認せざるを得ませんでした。元大学院生は、「その時はとても怖かったことを覚えています。もし私が彼に反論したら、残りの人生がめちゃくちゃにされてしまうかもしれなかったのです」と述べています。

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Nature学術誌チームは2022年4月にディアス氏から論文を受け取ると、4人の研究者に査読を依頼しました。査読者らはいずれも、記載されている内容が真実であれば画期的な研究結果であるものの、主張する内容があまりに異質なことから論文を受け入れることには慎重になるべきだと強調したとのこと。また、LuHの合成手順やデータなどに疑問点があると指摘する査読者もおり、ディアス氏とサラマット氏の説明を含む5段階の査読を経て、最終的に論文はNatureに掲載されることとなりました。しかし、査読者のうち室温超伝導の確固たる証拠があると認めたのは1人だけで、2人は論文掲載を支持しておらず、1人はさらなる測定の実施を望んでいたそうです。
Natureの編集長であるマグダレナ・スキッパー氏は、過去に論文の不正疑惑が警告されていたディアス氏の論文を査読した理由について、「私たちの編集方針は、すべての投稿をそれぞれの立場で検討することです」とコメントしました。つまり、Natureの方針としては著者の過去にどのような経歴があるのかに関係なく、科学的な質に基づいて論文の掲載可否を決めるというわけです。
査読を経て出版されたLuHの論文でしたが、独立した再現実験を試みた多くの研究チームは室温超伝導の証拠を見つけることができず、ハムリン氏らは2023年5月にNatureへ正式に懸念を表明する書簡を送付しました。ディアス氏とサラマット氏は同月後半にこの書簡に回答したものの、やはり共著者の元大学院生らは回答プロセスから締め出されており、7月にNature学術誌チームから共著者に送信されたメールで初めてそのことを知ったとのこと。
ディアス氏への不信感を募らせた元大学院生らはアクセスできたLuHのデータを再調査し、磁化率の生データが改ざんされているようだと結論付けました。元大学院生によると、元の生データでは化合物が室温超伝導であるとは思えないものの、ディアス氏が「バックグラウンドノイズを処理」したところ、室温超伝導が発生したように見えるデータになっていたとのこと。また、電気抵抗についての生データも、実験室で採取されたものとは異なっていたそうです。
8月下旬に元大学院生らはデータの疑惑とディアス氏の行動についてまとめ、LuH論文の撤回を求める書簡をNatureに送付することを決定しました。この動きを察知したディアス氏は停止命令書を送ったものの、大学関係者との協議の上で元大学院生らは書簡を送付し、2カ月後の11月7日にLuH論文は正式に撤回されました。
なお、ディアス氏は研究室と学生を剥奪された上で、ロチェスター大学の「人事措置」を待っている状態だとのこと。ディアス氏と共同でベンチャー企業のUnearthly Materialsを設立していたサラマット氏は、Unearthly Materialsを退社してネバダ大学ラスベガス校で研究を行っているとのことです。

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