「電磁波で理想の性格になるんですよ」息子が“よい子”になることを望んだ母親は… リアリティ満載の現代SFオムニバス『死んだ彼氏の脳味噌の話』

 現実にはありえない、様々な“もしも”の話。だがそんな“もしも”を通じていろんな考えを働かせることで、今まで知らなかった自分の一面を見つけたり、普段は考える機会のあまりない、哲学的な価値観へと気軽に思いを馳せてみたりすることができる。生活の中ではあまり使わないものの、私たちが一人間として生きる上で、とても大切な思考。それがSFと呼ばれるジャンルの醍醐味でもあるだろう。

『死んだ彼氏の脳味噌の話』(KADOKAWA)は、SNSを中心に活躍するQuqu氏の初単行本作品だ。本著には、Ququ氏がこれまでにネット上に掲載した「死んだ彼氏の脳味噌の話」「よいこくん」「セレブ男の飼い猫」ほか、書き下ろし短編2作を加えた全8作のSF短編マンガをオムニバス形式で収録。

 作品はすべて現代を舞台として描かれているが、当然ながら現実には有り得ないことばかりだ(少なくとも、今の時代の技術では)。しかし一方で、私たち読者にとって「もしこんな出来事が自分の近くで起こったら?」「あるいは、これが自分事になったら?」という想像を思わず掻き立てられるような、リアリティある物語ばかりが詰まっている。

 最愛の恋人を亡くしたマリコの元に、突然医療ベンチャー企業から届けられた恋人・イクトの脳味噌。生前の彼の希望によりその日からマリコは、簡単な返答のみだが意思疎通のできる、脳味噌だけになったイクトとの生活を送ることになる――「死んだ彼氏の脳味噌の話」

 すぐ感情的で暴力的な振る舞いに走る息子・ユウタのしつけに悩む母。そんな彼女がカウンセリングで紹介されたのは、人格矯正ヘッドギア「よいこくん」を開発する研究所だった。ヘッドギアを試すと、確かにユウタはとても大人しく模範的な子どもになったのだが――「よいこくん」

 念願叶え大手IT企業の開発部に就職したものの、古い企業体質で思うような仕事ができず燻っていた大塚。そんな彼はある日、大学時代の同級生・藤本から起業の相談をもちかけられる。彼は天才研究者・溝内ショウコと共に、「死んだ脳を最愛の人に贈る」「子どもをよいこにする」といった、医療サービスのベンチャー企業を立ち上げようとしていた――「結成」

 収録作品の主人公の多くは目先の幸せばかりを掴もうとし、結果人間として本質的に大事なものを欠き、お世辞にも幸せとは言えない結末を辿る。そのため、中には後味の悪い話もある。それが読んでいて辛い、という人もいるかもしれない。しかしそれはある意味、物語の主人公たちが辿る末路が、非常に生々しくリアルに感じられるものであるがゆえかもしれない。

 日々の生活や仕事の中ではあまり触れることのない、人の尊厳にまつわる善悪や是非の価値観。それについて考えたとしても、実生活でその思考が役に立つことはほとんどない。「何を以てして幸せに生きると言えるか」というぼんやりしたことを考える前に、明日の商談の為の資料作りや人と会うスケジュール、夜ご飯の献立を考えないと、わたしたちの生活は立ち行かないからだ。

 けれど、そんなぼんやりしたことを考える時間は決して無駄ではない。そこで手に入れた考え方や影響を受けた価値観は、要所要所で人生の行方を決める時や人格の形成、あるいは自己を揺るがす出来事に遭遇した際の対処に大きく関わってくる(いつ必要になるかはその瞬間までわからない、というのも厄介な点だ)。

 現実ではありえないフィクション。しかし私たちが生きている“今”は、時としてフィクションを大きく上回る、予想だにしない展開を見せる時もある。そんな時でも、己を見失わずにいられるか。人として、あるいは自分として正しく在れるか。その予行演習として本著のようなSFに触れるのも、いわゆる「人生を豊かにする」手段のひとつになるのかもしれない。

文=ネゴト/ 曽我美なつめ

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