野々村友紀子さん「新婚時代は夫の足を洗ってあげてたんです」実家では過保護な母と寡黙な父の関係を見て育った
「過保護な母と一緒に歩きたくなかったです」
ーー小学校高学年から思春期がはじまり、少しずつ「子ども」から「大人」に成長していきます。誰もが通る道ですが、まずお二人がご自身の思春期を振り返るといかがでしたか?
野々村友紀子さん(以下、野々村) 私はもう、「これぞ思春期!」みたいなバリバリ思春期でしたね。小学校高学年から中学生くらいは、全世界が自分を見ているんじゃないか、という気になるほど自意識過剰な時期でした。
特に、親と歩いているところを誰かに見られたくない! と思っていましたし、親のことがすごくイヤだった。中学生のときがいちばん、母親と一緒に歩くことが恥ずかしかったですね。服は買ってほしいけど、並んで歩きたくないから、一緒に買い物に行ってもちょっと離れて歩くようになりました。
ーーまわりのお友達も、同じような感覚でしたか?
野々村 そうですね、「なんか親ってイヤだよね」というようなことは話していたかもしれないですね。私はひとりっ子で母親はどちらかといえば過保護でした。いつも「ゆきちゃん、ゆきちゃん」という感じで、それまではすごく嬉しかったのに急に「あれ? なんかイヤだ……!」と思う時期がきたんです。
野々村 でも、最初はポーズで強がって冷たくしていた気がします。それがだんだん本当にイヤになって、「なんでこんなにイヤやのに、向こうはグイグイくるんやろう」と思って。離れて歩いて「どうしたの?」と聞かれたら「……先行って」と返す、みたいな。
益若つばささん(以下、益若) いつごろまで続きましたか?
野々村 中学3年生くらいですね。
ーー落ち着いたきっかけがあったのでしょうか。
野々村 母親が、ちょっと一歩引いた瞬間があったんです。それまではグイグイ来ていて、話しかけられると「うるさい!」という気分でしたが、あるときから少し引いて、私が話しかけたら喋る、という感じになって。
母親もやっと少しだけ子離れしたのかなと思いました。それで私も楽になって、自分から話しかけるようになりましたね。明確に覚えています。益若さんはどうでした?
益若 私は思春期に、いわゆる親への反抗心というものがなかったんです。
野々村 へえー! ない人っているもんねえ。
「親より姉が厳しい家でした」
益若 ずっと両親と仲良しでした。でも、お姉ちゃんがすっごく厳しかったんです。10歳年上なんですが、門限を破ると、両親はなにも言わなくても、お姉ちゃんに怒られていました。
両親は食事マナーにだけはすごく厳しかったんですが、「勉強しろ」とか「これをしろ」「あれはダメだ」など強要されることはひとつもなかったですね。「もし悪いことをするなら、私たちが見ている前でしなさい」と言われたことがあります。
野々村 うちとは逆ですね。
益若 まったく過保護ではなくて、親も働いていたのでむしろ自分でやらなくちゃいけないことも多くて。反抗する以前に「自分がしっかりしなくちゃ」「自分がサポートしなくちゃお母さんが大変だ」と思っていました。
とはいえ、さみしかったわけでもないんです。実家は居酒屋で、平日も休日も問わず常に人が家にいる環境で、常に知らない人と喋って育ってきました。近所のおじさんと喋ることも、年下の子たちの面倒を見ることも、どちらもそこで慣れました。
野々村 なるほど。私はグイグイ来られたから反発したんやね。「なにしたい?」「なに食べたい?」とか。
益若 うちはなにも言われなくて、むしろお店が忙しいときは、私が自分から「ごはん食べたい」と言わないとごはんが出てこなかったんです(苦笑)。お店で宿題をしながらずっと待っていて、お客さんに出す焼き魚を私もひとつもらえる、みたいな。
ーーおふたりはご両親のアプローチがまったく真逆ですね。野々村さんはお母さまの「過保護・過干渉」に気付いたのは、大人になってからですか?
野々村 そうですね、大人になってから「あれって過干渉やん」と。「今日はどこで誰となにしたん?」とか、小学生のときは嬉しかったけど、大きくなるにつれ「なんなの?めっちゃ聞いてくるやん」と思うようになりますよね。だから「べつに」と答えるんですけど、「なんでなんで?教えて?」と諦めてくれなくて。
でも、母親もたぶんわけがわからなかったと思うんですよね。「昨日までキャッキャしていたのに、急になんで?」と。その時点でスパッと「ああ、来たな、これが反抗期やな」と子離れしてくれていたら、長引かなかったかもしれないですね。
これはあとで聞いたんですが、母親は小学校低学年のときに自分のお母さんを亡くしていることもあり、「娘と母親の関わりがよくわからなかった」と言っていました。母親自身は自分のお母さんにかわいがってほしかったから、私に自分がしてほしかったようにしていて、なのに私がどんどん離れていったから戸惑ったんですね。
益若 お母さんの過去がそんなふうに繋がっているんですね。
高校卒業式の日に姉から届いた長文メール
ーー自室で異性と電話をすることなど、やりにくくなかったですか?
野々村 むちゃくちゃやりにくかったです。どっかで聞いてるんちゃうかと。固定電話しかなかったから、電話し終えてふすまをあけたらそこに立っていたりして(笑)、それでもう余計に「ほんとイヤ!」って。帰りが遅いとあからさまに玄関付近で待っているとかね。「ほんっと重い女!」と思ったり(笑)。益若さんのお姉さんはどんな感じ?
益若 中学生のときは、1分でも門限に遅れる場合は、事前に連絡して理由を伝える決まりがありました。すごく心配するんです。ただ、お姉ちゃんは学生時代に非行に走った過去があり、お母さんが姉を探しにいく姿を見て、私は「大変だな」と思っていました。それなのにいざ私が中高生になると、姉は厳しくなって(笑)。
ーーもしかしてお姉さまは、ご両親に「妹をみてあげて」と頼まれていたのでしょうか。
益若 そうなんです。私の高校卒業式の日にお姉ちゃんから長文メールが届いて「実はお母さんに頼まれてやっていた」と書いてありました。それまではわりとお姉ちゃんが恐かったし「なんでここまで厳しくされるんだろう」と理不尽に思っていたんですが、お母さんに頼まれた責任感で私の面倒を見ていたんだな、とわかりました。
野々村 「お母さんは忙しいし、私がやらなくちゃ」ということだったのね。恋バナはどうしてましたか?
益若 お姉ちゃんにしていました。そういうときはお姉ちゃんがデート服や香水を貸してくれたり、いろんなことを教えてくれましたね。
野々村 お姉さんは、お母さん的な厳しさと、お姉ちゃんとしてのいいところを併せ持っていたんですね。
ーーお父さまの存在はいかがでしたか?
野々村 父親は“昭和!”という感じであまり喋らない。喋らずに車で送ってくれたりお小遣いもくれるけど、とにかく喋らない。車中ずっと無言で「最近どう?」とかもなにも聞いてこないし。
益若 寡黙な方なんですね。
野々村 そうですね。でも参観日とかは来るんです。教室のうしろの窓から10秒くらい見て帰るんです。手も振らずに。
益若 (笑)気づかないこともありそうですね。
過干渉の母に無言の父だから、バランスが保てた
野々村 目的がわからないけど、愛情は感じるんです。夕方、たまたま道で会ったら無言で千円札を渡してきたこともありました。「なんなん? なんで無言なん!?」と思いつつ「ありがとう」とお礼を言っても、やっぱり無言なんです(笑)。
ーー女子の思春期にありがちな、父親に嫌悪感を覚える時期はありましたか?
野々村 それはなかったですね、そもそも喋らないので。母親だけでなく父親までグイグイ来ていたら本当にイヤやったから、過干渉の母親と無言の父親でバランスが保てていたのかもしれません。益若さんのお父さんはどうですか?
益若 うちもそんなに干渉してくる感じはなく、お母さんが居酒屋で働いている間、お父さんはお客さんの隣に座って私の宿題を見ながら晩ごはんを待っていました。そういう環境だったので「家族4人でなにかをする」ということが、生まれてからいままで10回もないんじゃないかな。お母さんの親族も近所に住んでいるんですけど、親戚みんなすごく仲が良くて、常に5人以上は人がいる家でしたから。
――大家族みたいな感じだったんですね。
益若 どんなに忙しくても、「毎週水曜日は家族でごはんの食べる日」と決まっていて。高校生になってバイトを始めてからも、水曜日だけは早く帰るようにしていました。お母さんはいつも客さんのためにごはんを作っているから、その日はお店が休みで「何もしたくない」と言い出すので、私とお姉ちゃんでごはんを作ったり。
ーーお父さんも一緒に作るんですか?
益若 お父さんは、カニも剥いてあげないと食べない人なんです。洗い物をしているところは一度も見たことがないし、今の時代とは逆行していますが、特に疑問には思っていなかったです。
野々村 私の父親もまったく家事をしませんでした。母親も古い人間だから、なんでも取ってあげたりしてね。それを見て育っていたから、私も新婚のころ、夫になんでもやってあげていました。夫が帰ってくる時間にタライにお湯を張って待っていて、帰ってきたら足を洗ってあげていたんですよ。
ーーえええ! 足をですか……!?
野々村 最初は新婚さん気分で楽しかったんですが、途中から「あれ? なんやこれ……やってられへんぞ」と気づいて、徐々にやらなくなりましたね。
ーー足を洗われて、修士さんはどんな反応だったんですか?
野々村 そのときは喜んでいましたけど、でも私は修士くんに足を洗ってもらったことないです。
ーーそれは「やってられない」と思っちゃいますね(笑)。
野々村友紀子さん/放送作家
1974年8月5日生まれ、大阪府出身。コンビ芸人、会社員を経て放送作家に転身。2002年2丁拳銃の川谷修士さんと結婚し、2006年に主婦業に専念するため仕事をセーブ。放送作家をしていた2016年、バラエティ番組で夫の相方である小堀裕之さんへの歯に衣着せぬダメ出しで話題になると、テレビ出演が急増した。現在はコメンテーターとしても活躍中。2児の母。
益若つばささん/モデル・タレント・実業家
1985年10月13日生まれ、埼玉県出身。高校生の頃から読者モデルとして雑誌『Popteen』で人気を博し、ティーンのカリスマ的存在に。現在はモデル、美容関連商品のプロデューサーとして活躍。2021年6月、自身のYouTubeチャンネルで子宮内黄体ホルモン放出システム「ミレーナ」の装着手術を受けたことを明かし、話題となった。1児の母。
(撮影:松野葉子 取材・文:有山千春)
07/21 07:08
マイナビウーマン子育て