占い師が寿命と告げた年齢で、がんが発覚。手術前の病室に現れたのは…

(イラスト:山口哲司)
苦境に立たされた時は、つい神様に救いを求めてしまうもの。その思いがしっかり届いた人もいるようです。矢野由紀子さん(仮名・沖縄県・主婦・74歳)は、がんの手術のため入院する前日、近所の神社へお参りに行き――。(イラスト=山口哲司)

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入院前のおみくじは静かに耐えよ

私は普段から信心深いほうである。沖縄では毎朝、台所の火の神に「ウチャトゥ(お茶湯)」をお供えする。榊を奉り、水を替えてお線香をあげ、昨日の感謝を唱えてから今日を無事に過ごせるようお願いするのが日課だ。

しかし3年前のある日、不正出血があったのですぐに病院で検査を受けたところ、子宮体がんが発覚した。10年前、占い師に自分の行く末を見てもらった日のことが脳裏をよぎる。「71歳まで生きる」と言われ、憤慨したのである。しかし実際、がんになったのはまさに71歳であるからして……。

当時の私は元気そのものだったので、「どうしたら少しは長生きできますか」と占い師に食ってかかった。「そうだナ。毎日よく歩くことだナ、もうそれしかないよ~」。いかにも眉唾もんである。冷静に考えてみればバカらしい話ではあるが、全部嘘とも言い切れない。さあ、がんと闘う時がやってきたのだ。

手術のため入院する前日、朝からバスに乗って近所の神社へ。お参り1回目。日傘を差しながら、長い階段をゆっくり上った。おみくじは末吉。「静かに耐えよ」と書いてある。

2回目のお参りは、手術が無事終わり、抗がん剤治療が始まる前日。おみくじは吉。「ゆっくり治る」とある。下痢がひどくて、おむつをして歩いた。

3回目のお参りは、同じく吉。2クール目の抗がん剤治療が始まる日。「ゆっくり治る。よい方向に向かっている」。

4回目のお参り、小吉。「長くかかる、気力を!」。3クール目の治療が始まる。

5回目のお参りは、再び小吉。「長くなるが全快。調子に乗るな」とのこと。抗がん剤の副作用のせいで、便秘がつらい。

6回目のお参り、中吉。「早めの治療を! 自分の無知を知れ!」……。

治療中は吐き気にも悩まされ、貧血がひどく治療は2度も延期に。手術後の経過も悪く、コロナ下で検査したり入院したり、慌ただしい日々。

何よりつらかったのは、髪の毛が抜けたことだった。私は和服が好きで、豊かな長い髪を結い上げてかんざしを挿すのが好きなのに。娘は、「すぐ生えてくるよ。坊主頭でも帽子をかぶればいいし、今は自然に見えるウィッグもあるんだから」と励ましてくれた。

しかしみるみるうちに丸ハゲになり、一人泣いた。写真も撮ってみたが、信じられない現実がそこにあった。帽子をかぶって歩いてみると、思ったよりは平気の平左。が、新しく生えてきた髪質が以前と変わってしまったのはショックだった。

それでもなんとか抗がん剤治療を乗り越え、2022年、ついにCT検査でがんがなくなっていると主治医に告げられた。お祝いだ!

150円のお賽銭で神様が見せてくれたもの

実は今回、神様の力を強く感じる不思議な出来事があった。手術前の病室で突然、ベッドの左側に透明なスクリーンが下りてきたのだ。そこに、動く何かが映っている。目を凝らすと、歌舞伎の連獅子に出てくる白い獅子が見事に舞っているではないか!

獅子は近くにやってきて、大きくひと舞いし、背を向けて遠くへ行ってしまった。白地に金が入った袴もはっきり見え、後ろ姿は美しく、言葉にできないほどだった。

獅子は伝説上の霊獣で、中国の清涼山に生息すると伝えられる。インターネットで調べると、仏教では文殊菩薩の乗り物とされているらしい。その連獅子の白いほうが、私の前に現れたのである。あの神社の神の使いだろうか。

お正月にしかお参りに行かないような私に、そしてたった150円程度のお賽銭で自分の病気平癒を願っただけの私に、舞いを見せてくれたのだろうか……。

私は自分の浅ましさを恥じ、泣けてしまった。ありがたいとも思った。あの時たしかに、これからもがんばれよ、というエールを感じ取ったのだ。真剣に祈ったのを、神様は認めてくださったのかもしれない。なぜなら私は、占い師に命尽きると言われた71歳を過ぎ、今も元気に過ごせているのだから。

すべての治療を終えた後、お礼参りに例の神社を訪れた。炎天下、日傘を差して階段を上っていく。那覇市内にある波上宮(なみのうえぐう)である。平日にもかかわらず、お参りの列ができていた。

カップルもいて、男性はお祈りしてすぐ去ったが、女性は長いこと熱心に祈っている。後ろにたくさん人が待っているのに図々しいな、とも思ったが、やむない強い願いがあるのかもしれない、と思い直した。

しかし、列をなすほど願う人がいるのには驚いた。やはりそれなりの効力があるのだろう。

娘にあの日のことを話しても、信じきれないようだ。しかし、あれは幻ではない。はっきりとこの目で見たのである。きっとこの先も、あの神々しく壮麗な獅子の姿を忘れることはない。

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