高橋秀実「父が何もできないのは認知症のせいなのか。母が先に逝き、夫婦で介護を引き受けて。『わけのわからない』父の言葉が哲学を通して理解できた」

「父はアルツハイマー型認知症というよりも『家父長制型認知症』といえるのではないか。同時に、妻に頼り切りの自分も同じようなものじゃないかとも思いました」(撮影:本社・奥西義和)
『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞を受賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』では第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞し、主演・二宮和也でテレビドラマ化されるなど、話題作を世に送り出しているノンフィクション作家の高橋秀実さん。アルツハイマー型認知症と診断された父の介護を通して、高橋さんが感じたこととは――(構成:山田真理 撮影:本社・奥西義和)

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認知症のせいなのか?

父が亡くなって間もなく3年。本書は、ノンフィクション作家である私が認知症の父と過ごした436日の記録です。ペンキ職人だった父は、70歳で引退した頃から物忘れが増えていきました。

母に「病院で診てもらったら」と勧めたのですが、「大丈夫よ」と頑なに拒否されてしまって。たぶん僕や弟に心配をかけたくないという思いと、「私がいるから大丈夫」という母なりの自負もあったのだと思います。

しかしそんな母が急性大動脈解離で倒れ、たった一晩で亡くなってしまった。駆けつけた私たちが目の当たりにしたのは、認知症が進み、母の死もよくわからない87歳の父の姿でした。そんな父を一人にしておくわけにもいかず、私と妻が、横浜の実家で同居することにしたのです。

父はその後アルツハイマー型認知症の診断を受け、要介護3と認定されましたが、私は父が「何もできない」のは果たして「認知症のせいなのか」と考えるようになりました。

というのも、アメリカの認知症の診断基準の「自立した生活が送れない」という項目を見て、「それって昔からじゃん」と思ったからです。

人は忘れるから生きていける

父は若い頃から外で働いて稼ぐだけで、生活のすべては母任せ。掃除洗濯ができないのはもちろん、自分の服がどこにあるのかも、飲むべき薬もわからない。食事は座って待っていればいい。

そうしたいわゆる家父長制における長年の生活習慣が「何もできない」状態を招いたとすれば、父はアルツハイマー型認知症というよりも「家父長制型認知症」といえるのではないか。同時に、妻に頼り切りの自分も同じようなものじゃないかとも思いました。認知症って一体何なんだ?と。

一方で、父が何度も同じ話を繰り返したり、一日中探し物をしたりするのにつきあわされ、自分の仕事に手をつけられなくなっていきました。苛立ちのあまり声を荒らげては自己嫌悪することも。

そんな時、妻に「お父さんの言ったことをメモしてないの?」と聞かれたのです。そうか、仕事で続けてきたインタビューのスタイルで接すれば、父と適度な距離が取れるかもしれない。実際、ノートに向かうようになってから私の苛立ちは収まり、父も気楽に話せるようでした。

さらに書き留めた言葉を吟味するうちに、「わけのわからない」父の言葉が、哲学の存在論や認識論を通して考えるとすんなり理解できることに気がつき、私はあらゆる哲学書を読み漁りました。

たとえばドイツの哲学者ニーチェの、すべてのものは永遠に繰り返すという「永遠回帰」の思想は、子ども時代の思い出話ばかり繰り返す父自身の宣言のようです。

また、ニーチェは、「忘れるということは、なんとよいことだろう」とも言っています。人は忘れるから生きていける。認知症は、苦悩から解放された理想の境涯かもしれないのです。

『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』新潮社 1815円

父の言葉の意味を探って

そんなふうに何とか父を理解しようとした私ですが、いつの間にか父がどんな失敗をしても、「大丈夫、大丈夫」と母と同じように甘やかし、何もさせないようになっていました。

それに気づいたきっかけは、着替えを渋り、「大丈夫だよな?」と言う父に、妻が「大丈夫ではありません」と言い放ったこと。その瞬間、父は急にどこかの回路がつながったようにシャキッとしたのです。

かく言う私も、「存在とか言ってる場合じゃないでしょ」という妻の一言で目が覚めました。哲学で父のことが理解できても、夫婦の日常生活が破綻寸前という問題は解決しません。

そこで私たちは、24時間の見守りと毎日の訪問を組み合わせた介護サービスを利用し、父に一人暮らしをしてもらうことにしたのです。認知症になったら衰える一方だと思いこんでいたけれど、父は一人になることで電話での受け答えもしっかりするようになりました。

何より驚いたのは、母の記憶がよみがえったことでした。その後、末期がんが見つかって父は亡くなりますが、私は入院中も父の言動を書き留め続けました。

そのメモをもとに、1冊の本にまとめるのは、いつも以上に大変でしたね。「おやじのあの言葉はそういう意味じゃなかったかもしれない」という思いが繰り返し湧いてきて、いつまでも筆をおくことができなかったから。

今もどこか、納得がいかないんです。おやじはニーチェ。多分私は永遠に父について考え続けるのだと思います。

※高橋さんの「高」は正式にははしごだか

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