日本で「コースのイタリアン」がすんなり受け入れられた理由

稲田俊輔「異国の味」

日本で「コースのイタリアン」がすんなり受け入れられた理由

日本ほど「外国料理」をありがたがる国はない……!
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。

前回は日本のイタリアン普及の一大ムーブメント「パスタ」の登場について。
今回は、パスタ以外のイタリア料理が受け入れられるようになった「日本ならでは」の素地について考えます。

イタリア料理をコースで愉しむ時代がやってきた

 前回まではパスタを中心に、日本における「本場風」イタリア料理の黎明期れいめいきを追っていきました。今回はもう少し幅を広げ、その提供スタイルについて見ていきます。
 正式なイタリア料理では、アンティパスト(前菜)→プリモピアット(パスタ等)→セコンドピアット(肉等のメイン)→ドルチェ(デザート) の順で料理が提供される、ということは、今ではほとんどの日本人にとって周知の事実だと思います。僕がそのことを初めて知ったのは30年以上前の高校生の時でした。ただし実際のレストランではなく、本で得た知識です。「イタリアのレストランでスパゲッティしか頼まないと、怪訝な顔をされたり、時に恥をかくことにもなる」と、そこにははっきりと書かれていました。
 それまでスパゲッティとはラーメンや丼物と同様それ自体が独立した食事で、何か付いてくるとしてもせいぜいちょっとしたサラダかスープ、と信じて疑ったこともありませんでしたから、この新しい知識は衝撃的でした。

 スパゲッティ以外にも前後にいろいろな料理が出てくる、ということ自体は、なんとなくですが腑に落ちました。洋食でも和食でも高級なそれは、様々な料理が順番に出てくることはよく知っていたからです。しかし問題は順番です。スパゲッティが最後ではなく前半で出てきてその後に肉料理、というのは、正直全くピンと来ませんでした。
 その本には「イタリアではスパゲッティはスープと同じ位置付けだからこの順番なのだ」ということが書いてありましたが、ますます何を言っているんだかわからず、自分の中では「これは自分達とは関係無い、外国における奇習の類である」という中途半端な理解のまま、その時は終わりました。
 今となっては当たり前のようにそんな流儀も受け入れていますが、内心「やっぱりパスタはメインの後の方がいいなあ」と思うことも少なくありません。実際、日本のイタリアンレストランでも、あえてその順番をひっくり返して提供する店は時々あります。それは日本人への忖度そんたくと言うよりは、むしろシェフ自身がそれを好ましいと考えて、あえてそうしている印象も受けます。ワインと共に前菜や肉料理をゆっくり楽しみ、パスタは「締め」みたいな、お蕎麦屋さん的感覚ですかね。

「カプリチョーザ」におけるイタリアン体験

 ともあれスパゲッティをラーメン同様の「一皿モノ」としてではなく、複数皿からなる料理の流れの中で楽しむ、という体験をしたのは、僕の場合は90年代になってから。当時大学生でした。その店は忘れもしない「カプリチョーザ」です。カプリチョーザは現在、全国の商業施設のレストラン街に出店している、極めてカジュアルなお店ですが、当時は今よりずっと「尖った」イタリアンレストランでした。一番のとんがりポイントは、メニューに1人前のパスタが存在しなかったことです。パスタは全て、当時の感覚的に2.5人前くらいのボリュームでした。つまりあくまでシェアが前提だったということ。そんな店、他にはありませんでした。もっともそれは今でもやっぱりありませんが、そもそもは、アメリカのイタリアンレストランのスタイルを取り入れたものだったようです。
 
 当時住んでいた京都のある町に初めてカプリチョーザができた時、僕の周りで最初にそこに行ったのは、アルバイト先の喫茶店のチーフでした。チーフはキッチリと剃り込みを入れて眉を尖らせた、自称「伝説のヤンキー」。もちろん既に更生済みだった彼は、金髪の彼女と共に自転車の二人乗りで店に乗り込んだ、いや、訪問したのです。シェアが前提のレストランであることなんて知るよしもない二人は、メニューの注意書きを読み込むなんてまどろっこしい手続きは当然のようにスルーして、それぞれが別のスパゲッティをひとつずつ注文しました。やがて目の前に出てくる洗面器サイズのスパゲッティ×2。
「舐められたら負けやし、死ぬ気で全部食うたったわ」
 何もスパゲッティにまで勝ち負けの概念を持ち込まなくても良さそうなものですが、何しろ彼らの迂闊うかつな失敗のおかげで、僕は事前に重要な情報を得ることができたというわけです。つまりそこは、それまで知っていた「スパゲッティ屋さん」とは根本的に違うナニカであるようだぞ、と。

 数日後、僕も彼女と(自転車2台で)その店を訪れました。「スパゲッティは二人でひとつ」を心に刻み込んでいた我々は、慎重にそのひとつを選びました。しかし、なんとなくそれだけでは釈然としません。そんな心許なさを見透かすように、メニューにはスパゲッティよりむしろ目立つ位置に「アンティパスト」がずらりと並んでいました。「そういうことか!」と、僕は察しました。つまりかつて本を読んで知ったイタリア本場の流儀がついに役に立ったということです。冷前菜からイカのサラダを、温前菜からライスコロッケも選び、「ニンニクとトマトのスパゲッティ」と共にオーダーしました。
 メニューには本当はセコンドピアット、つまり肉料理も少しばかり用意されていましたが、それらは一際値段も高く、その時点で既に想定予算は大きく超えていたこともあり、そこは見てみぬふりをせざるをえませんでした。
 ともあれそれは、結果的に素晴らしい体験となりました。肉料理の件はともかく、イタリア料理とはこのように楽しむものなんだな、という感覚を掴むきっかけとなったことは間違いありません。その後もその店には定期的に通い、その度にいろいろな前菜とパスタを選んで、その流れを楽しみました。ごく稀にですが、そこに肉料理が加えられることもありました。気分はすっかりイタリア人でした。

居酒屋文化との親和性

 一部のガストロノミー的な世界では80年代既に「イタリア料理のフルコース」が定着していたことは前述の通りですが、90年代以降多くの市井の人々も、さまざまな導入ルートでその感覚を掴んで行ったのではないでしょうか。実際に、決して「スパゲッティ屋さん」ではない、一通りの料理を注文してシェアするタイプのカジュアルなイタリアンレストランは、その後雨後のたけのこの如く街中に増えていきました。
 
 そのオーダースタイルはある意味、既に日本人がすっかり慣れ親しんでいた「チェーン居酒屋」にも通じる気軽さもあったと思います。あたかもお刺身の代わりのように頼まれる「鮮魚のカルパッチョ」は日本発祥のイタリアン文化と言えるものでしょうが、当時から今に至るまで、定番中の定番です。お刺身枠としては生ハムも忘れてはいけません。原木とスライサーを店内に設置して、切り立てのそれを、時には食べ放題として提供するサービスも一時期大流行しました。
 大根サラダの代わりにシーザーサラダが、あたかも冷奴の高級版のようにカプレーゼが、もつ煮込みのようにトリッパが気軽に頼まれ、そしてお目当てのパスタ。肉や魚介のメインディッシュは少々値段も張って躊躇ちゅうちょしてしまいがちでもありましたが、大勢でシェアするならそれもアリ。またそれらの代わりに「ピッツァ」という選択肢もあり、そうやって日本におけるイタリアンレストランの定型や利用パターンは着々と整っていったのです。

 そういう店も、ランチタイムは「パスタランチ」であるケースがほとんどです。つまりパスタを一皿料理として主役に据え、そこにちょっとしたサラダと飲み物が付く、という昭和の「ハザマのスパゲッティ時代」から連綿と続くスタイル。ただしそこにはドルチェを追加することもできますし、メニューをめくると、前菜盛り合わせやメインディッシュが付いた「ランチコース」もあります。
 そうやってイタリア料理は、細部が巧みにローカライズされつつ、日本人のライフスタイルにスルスルっと自然に入り込み、そして今に至ります。

イラスト:森優

イラスト:森優

次回は5月26日(金)公開予定です。

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