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言葉の壁、文化の差、習慣の違い…気まずい思い出しかないパリだから、また行きたいのだ

スズキナオ「この世の隅っこの「むう」な話」

ふとした会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない……そこで湧き上がる気持ちをスズキナオさんはこう表現することにした。「むう」と。この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い「むう」な話たち。

「コロナが落ち着いたらどこ行きたい?」──今はそんな話題だけで旅心を満足させるしかない、じっと我慢の日々。さて、そんな話をする時、あなたはどの地を思い浮かべますか?

言葉の壁、文化の差、習慣の違い…気まずい思い出しかないパリだから、また行きたいのだ

コロナが落ち着いたら……と旅の本をパラパラめくることがささやかな楽しみに

「コロナが落ち着いたらどこに行きたい?」というのは、今の世の中においてはありふれた話題だろう。しかし、そんな定番過ぎるテーマでも、真っ先に旅したいという場所にはその人の過ごしてきた時間や積み重ねてきた思考が反映されている気がして、じっくり聞いてみるとやはり面白い。

気軽に旅行をするのが難しい日々が唐突におとずれて以来、私がずっと行きたいと思っているのは台湾だ。2年前に一回行ったことがあるだけだから「台湾のこういうところが好きだ!」と胸を張ってその理由を語れるわけではないが、ほんの数日間にわたって台北を歩いただけで、すっかり町の雰囲気に魅了されてしまった。

あちこちにあるマーケットの雑多なにぎわい。活気があって親しみやすさがあって、ラフで豪快なところもある。ふらふらと散歩して飲み食いするのが一番の楽しみである私のような者にとってはこの上なく居心地のいい場所だった。食べたものもなんでも美味しかったし、ちょっと湿気を感じる空気も体になじんだ。

台北のごく限られたエリアを歩いただけでも全然時間が足りなかったのに、現地でお話しした人も台湾に詳しい知り合いもみんな口を揃えて、「台南が最高!」と言う。「これ以上に最高ってどういうこと!」とクラクラしているうちに帰国の日が来た。
以来、台湾のガイドブックや写真集をパラパラ眺める時間がコロナ禍の日々の小さな楽しみになっている。

ほんの数日の滞在ですっかり魅了されてしまった台湾…今はガイドブックで心を馳せる

ほんの数日の滞在ですっかり魅了されてしまった台湾…今はガイドブックで心を馳せる

「海外旅行が気軽にできるようになるなんてまだまだ先だろうけど、行けるならパリに行きたいわ」と友人が言った。友人は20年以上前、高校時代にパリに行った経験があり、ことあるごとにその旅を思い返すのだという。

「パリが気に入ったんだ?」と聞くと「いや、その時はなんか気まずいことばっかりだったんだけど……なんでだろう、よく思い出すんだよね」とのこと。
決して楽しいだけの記憶ではないようなのが気になって、詳しく聞かせてもらった。

言葉が通じないことがこんなにも歯痒いことだとは

友人が通っていた高校はパリに姉妹校があり、毎年数名の生徒が「短期ホームステイ」をするプログラムがあったという。春休みに1週間ほど、パリの姉妹校に通っている生徒の家に泊めてもらって交流を図るのが目的で、友人もそこに参加することにした。
池田理代子の名作マンガ『ベルサイユのばら』が大好きで、幼い頃からいつかフランスに行ってみたいと思っていたらしい。

姉妹校があるぐらいだから、学校には普段からフランス語の授業があったそうだ。そこで初歩的な文法程度は習っていたが、「でもフランス語がしゃべれるっていうレベルでは全然なかった」と友人は言う。「今思えばそんな状態でよく行こうと思ったなって」と。

パリにたどり着いた友人のホームステイ先は「キャミー」という女の子がお父さんと二人で住む家だった。オートロックのオシャレなマンションで、窓からはエッフェル塔が見え、「おお、これがフランス!」と感激したという。

それにしても、キャミーと二人きりになって友人が痛感したのは自分のフランス語のしゃべれなさである。日本からのホームステイを受け入れるぐらいだからキャミーは積極的に話しかけてくれて、自分の意志を理解しようと頑張ってくれるのに、まったく言葉が返せないのがもどかしい。キャミーに迷惑をかけているようで申し訳ない気持ちにもなった。

「今の時代だったらなー。スマホの翻訳アプリを使ったり、『ポケトーク』とかあったら全然違ったろうな。その時はそういうのも無いから『ほんやくコンニャク』があればなーって思ったわ。ドラえもんの道具ね」と友人は遠い目をするのだった。

『ベルばら』がきっかけで憧れ続けてきたパリだったけど

『ベルばら』がきっかけで憧れ続けてきたパリだったけど

友人にはホームステイ期間中に一つ大きなミッションがあって、それがパリに住んでいる文通相手と会うことだったという。友人の通っていた学校は中高一貫校だったそうなのだが、その中学にはフランス人のペンフレンドを紹介してくれる制度があって、それを通じて知り合った文通相手がいたというのだ。

中学時代からの数年間、お互いの趣味とか、学校でこんなことがあったとか、そういうことを2ヶ月に一回ぐらいのペースで伝えあっていた。フランス語の辞書を何度も引きながら手紙を書き、返事が来たら辞書を片手にそれを読む。遠い国に友達ができたということが嬉しかったそうだ。

その文通相手にパリに行くことを手紙で伝えると「ぜひ会いたい」と返事がきた。手軽に連絡を取り合える手段もないから、キャミーに電話をかけてもらって待ち合わせ場所と時間を決めた。そうして当日、凱旋門の近くで文通相手が現れるのを待った。お互い顔も知らなかったが、向こうから歩いてくる姿でなんとなくわかったという。

何年も手紙でやり取りしあった相手と会えた。「こんな人だったんだ!って嬉しかったけど、これがまた、全然会話が続かないの」と、いつもは辞書を引きながら書いた文字でコミュニケーションが取れていたけど、フランス語が上手に話せない以上、「オー!」と言って握手して、その他にすることがない。

なんとなく「その辺を散歩しよう」みたいなことだけ身振り手振りで伝え、シャンゼリゼ通りを二人で歩いた。
「どうしよう……何も話すことがない」と思ってうつむきながら20分ぐらいほぼ無言で歩き、どちらも口を閉ざしたまま適当なところで引き返し、再び凱旋門が見えてきたところで立ち止まって「どちらからともなく、もう帰ろうっていう雰囲気になった」という。「オールボワール」と、それぐらいは言えた別れの言葉をつぶやいて手を振って別れた。
友人が人生で経験してきた時間の中でも指折りの「気まずいひととき」だったという。

気まずい思い出しかないパリだから、いつか再訪したいと思うのだ

その思い出に引っ張られるようにしてよみがえる気まずい場面が他にもあって、それが、キャミーとキャミーのお父さんがエッフェル塔のすぐそばのレストランで食事をしようと自分を連れて行ってくれた時のこと。ドアを開けたお父さんに続いて店に入って行くと、店員が友人を見て、どうやら「アジア人は入れない」というようなことを言っているらしいことがわかった。

お父さんとキャミーが申し訳なさそうに「ごめんごめん」と謝りながら、「フランスには色んな考えの人がいる」ということを言っているようだった。さらに「じゃあ、あっちに行こう」と次に目指したレストランでも同じ理由で断られてしまう。「その時はショックっていう感じより、それまで人種を意識したことがなかったから、こういうのってあるんだ!ってびっくりしたわ」と、友人はその時のことを回想する。とにかくキャミーとお父さんが終始申し訳なさそうにしていて、それに対して返す言葉もなくて困ったという。

友人がその話に続けて「それがさ、日本に帰ってきてしばらくしてテレビ見てたら、芸能人がパリを歩いている旅番組があって、同じレストランで食事してたの!」と言った。「あれはなんで?芸能人だからかな?」と、私に聞かれてもわからない。

「文通相手と話すこと無さ過ぎ事件」「レストラン断られ事件」のほか、「キャミーが紹介してくれた彼氏とめっちゃチューしまくってる時、どこ見ていいかわからない事件」やら「帰る日の前の晩に開いてくれたパーティーでキャミーが激しくダンスし始めて『さあ一緒に!』みたいに言われてどうしていいかわからない事件」とか、友人の思い返すのはたしかにちょっと気まずい瞬間ばかりだった。

「でもその気まずさが忘れられなくて、いつも思い出すんだよね。だから今の自分だったらどうだろうっていうのを確かめにまたパリに行きたい」と言った後、友人は「そうだ!」と何かを思い出したらしかった。

「帰り際にキャミーにお世話になったお礼に『牛乳寒天』を作ったのね。日本から寒天の素を持って行って、だけど『計量カップを貸して』っていうのがフランス語で言えなくて、すごい適当な分量で作ってとりあえず冷蔵庫にしまったんだ。それで『固まったら食べてね』みたいに伝えて帰ってきたんだけど、あれたぶん、うまく固まらなかったと思うんだよね……」と、そう友人が語るのを聞きながら、私の頭の中に、会ったこともないキャミーという人が、ドロドロの謎の物体を取り出して困っている顔が浮かんでくるような気が、強くしてくるのだった。

(了)

エッフェル塔の見える部屋でキャミーは牛乳寒天を食べたのだろうか

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