西武新宿駅はなぜ新宿駅から400mも離れているのか? 設置の背景には手に汗握る奮闘と涙があった

西武新宿線の西武新宿駅は、JRなど各線のある新宿駅から少し距離が離れています。いったいなぜでしょうか。その歴史について、フリーライターの小西マリアさんが解説します。

日本最大の歓楽街「歌舞伎町」の玄関口

 新型コロナウイルス流行の影響で、人通りが少なくなった新宿区歌舞伎町――。

 2020年5月25日(月)に緊急事態宣言が解除されてから、多少はにぎわいが戻ってきていますが、外国人観光客が激減しているからでしょうか、やはり閑散としているような印象を受けます。

 そんな歌舞伎町の玄関口のひとつが、西武新宿線の西武新宿駅。JRなど各線のある新宿駅から北へ約400mと、少し距離が離れているのが特徴です。

西武新宿駅の外観(画像:(C)Google)

 1990年代までは新宿駅まで延伸するという話が話題になっていましたが、いまだに果たせないままになっています。

計画された新宿駅への延伸

 そもそも西武新宿駅は、なぜ新宿駅から離れた場所にできたのでしょうか。

西武新宿駅の位置(画像:(C)Google)

 西武新宿線と都心の接続は1928(昭和3)年、高田馬場駅が開業したのが始まりで、新宿の街はまだ発展途上でした。

 当時、鉄道がどちらの方向へ造られていくのか、さまざまな案がありました。戦前に有力だったのは、高田馬場駅から先を早稲田方面へ延伸して接続するというものでした。しかし免許も受けていたものの、実現しませんでした。

 戦後になって、改めて新宿駅まで延伸することが計画されました。

 このときに新宿駅周辺の区画整理が済んでいなかったため、ひとまず「仮の駅」として西武新宿駅が開業。あくまで国鉄や京王、都電などが集まる新宿駅に接続することを前提としての設置でした。

 このときに新宿駅まで延伸することができればよかったのですが、それはそれは相当な困難があったようです。

 新宿駅周辺には1945(昭和20)年8月の玉音放送から二週間もたたない間に、闇市が立ち並び混沌(こんとん)とした空間になっていました。このような状況が理由となり、新宿周辺の区画整理は、1964年の東京オリンピック後も長らく続いていました。

状況は好転したものの……

状況は好転したものの……

 それでも東京オリンピックが近づいた頃には、状況は好転していました。

 1961(昭和36)年の西武鉄道の社内報には、

「新宿ステーションビル2階に乗り入れることに決定」
「今年8月着工し、(19)63年秋ごろまでに実現」

などかなり具体的な記述がなされています。

 実際、多くの資料では現在の新宿駅東口駅舎(新宿ステーションビル。現在のルミネエスト新宿)を建てる際に西武線が入るように設計がされていたことがわかっています。

ルミネエスト新宿の外観(画像:(C)Google)

 この計画は具体的で、1964年に完成した際にはいつでも西武線が延伸しても利用できるような準備が進み、実際に高架の基礎まで完成していました。

二度目のチャレンジは「地下化」

 しかし、ここで大きな問題が起こります。ホームが狭すぎたのです。

 新宿歴史博物館(新宿区四谷三栄町)の資料によると、ホームが「島式」のものを1本予定していたことがわかります。入ることのできる電車は、最長6両編成でした。

 これは大誤算でした。経済成長の中で西武線沿線は住宅地としての開発が進み、通勤通学客を運ぶには8両編成のは必須だったのです。

 しかし出来上がったホームは6両が限界で、ホームも増やせません。結果、1965年にこの乗り入れ計画は断念されました。

 ならばと、次に考えられたのが地下化です。

 この計画は壮大で、上石神井駅から約13kmのトンネルを最大深度65mに建設。現在の西武新宿駅よりも300m南に地下ホームをつくって新宿駅との距離を縮めようとするものでした。

上石神井駅と新宿駅の位置関係(画像:(C)Google)

 この計画はかなり具体的で、国の認可を得た上で、1988(昭和63)年5月から運賃に工費の一部上乗せを始めました。予定では1993(平成5)年に着工し、4年後に完成することになっていました。

現在「再開に向けた動きなし」

現在「再開に向けた動きなし」

 しかし、この計画も頓挫してしまいます。

 ボーリング調査を実施したところ地下水の水位が高く、予定の倍の工費がかかることがわかってしまったのです。

 それでも、景気が上向いていた時代にはなんとかなると思われていました。そのため1990年代初頭には、「もうすぐ、西武線もJRと接続して便利になる」という話が盛んに行われていました。

 しかし、バブル崩壊による利用者の減少が原因で倍の工費を支払うことは困難と判断され、計画は1995(平成7)年に延期となりました。

 その後、もとは貨物駅だった現在のタカシマヤタイムズスクエア(渋谷区千駄ヶ谷)の土地を西武が取得して、デパートと駅を建設するという構想もありましたが、それも果たせませんでした。

タカシマヤタイムズスクエア(画像:写真AC)

 現在の動向について、2018年の『読売新聞』の取材で都交通企画課の担当者は

「現在は凍結状態。再開に向けた動きはない」

と話しています。

 悲願を果たせなかった西武鉄道ですが、プラスの効果も生み出しました。

 それは歌舞伎町のターミナルとなったことです。開業した1952(昭和27)年当時、歌舞伎町は発展途上。スケートリンクや映画館の開業が相次いでおり駅ができることでにぎわうことが期待されていました。

 この場所に西武新宿駅が存在しなければ、現在の歌舞伎町のにぎわいはなかったかも知れません。なにが幸いするか、世の中わからないものです。

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