かわいさ故に 「国策動物」としてのパンダの発見、外交宣伝として利用

中国パンダ外交史

『中国パンダ外交史』(講談社)著者:家永 真幸

かわいさ故に 「国策動物」の発見と利用

パンダが町にやってきた時の熱狂を私は憶えている。東京ではない。1988年の岡山だ。「殿様(旧藩主)の動物園」池田動物園に辰辰(シンシン)と慶慶(ケイケイ)という雄雌のジャイアント・パンダがきた。高校生の時だ。表向きは瀬戸大橋開通記念だが不思議に思った。「なんで大阪じゃのうて岡山に来るん?」ときくと、大人たちは「岡山は日中友好に貢献した人が多いけえ優先的に来るんじゃ」と口を揃える。遣唐使の吉備真備、文豪・魯迅をかくまった内山完造、周恩来と親しかった岡崎嘉平太(当時はご存命)。そんな岡山出身の中国通の名前をきかされた。パンダ来日にも色々と裏があるのだな、と感じた。パンダがいたのは3カ月。その間、岡山はちょっとした中国フィーバーであった。

本書はパンダをめぐる外交史である。2021年にワシントンの有力シンクタンクからリンダ・ザン「パンダたち 中国の最人気外交官」という報告書が出た。1957年以降の中華人民共和国のパンダ外交の歴史からパンダ外交の狙いや効果を分析したものだ。欧米圏ではパンダが好きな親中派をパンダ・ハガー(パンダ抱き)という。一方、反中派はドラゴン・スレイヤー(龍殺し)だ。外交用語になっている。

本書は更に1869年のパンダの世界の「発見」から説き起こす。当初、パンダはミステリアスな存在。白人男性が死体を入手し異国探検のトロフィーとして毛皮や骨を持ち帰っていた。それが1930年代後半、生きたパンダが動物園に現れると、可愛いイメージに変わった。そのころ、国民党の中国政府がパンダの価値に気付き始めた。39年を最後に、パンダは中国国外への移出が禁じられた。禁猟となり、「いくらお金を積んでも手に入らない動物」になった。以後、パンダは中国の政府から貰うか借りるしかない外交動物となった。中国からすれば国策動物になった。

折しも日中戦争で中国は日本に領土を侵されていた。41年当時、蔣介石の中国国民党はアメリカの支援を必要とした。それには「全世界人民からの正義の同情の獲得」が要る。そこで中国難民救済活動への感謝の名目でパンダ2頭をニューヨークの動物園に贈ると申し出た。

この時、国民党の宣伝戦の担当部は13の計画を立てたという。パンダを使った外交宣伝の始まりだ。パンダに命名する子ども審査員を招きラジオで命名大会の様子を流す。在米華僑のパンダ歓迎会を開くなどである。国民党の国際宣伝処はパンダを「誠実で温和な性質のため、平和の象徴」とした。米国と同じ文明国の中国が「日本の不当な侵略に苦しんでい」る。「戦いを支援してほしい」と、パンダを米国に贈った。現在よりも娯楽が少ない時代だ。この宣伝戦は見事に成功をおさめた。

45年の第二次世界大戦終結後、パンダは冷戦に巻き込まれた。国民党が台湾に移ってからは、イギリスに1頭だけパンダを贈っている。この時はじめて交換条件をつけた。留学生に奨学金を、との条件だ。贈ったパンダの死も相次いだ。絶滅させれば国家イメージが傷つく。「5年に1ペア」などガイドラインを決めたという。49年、国共内戦に勝った中国共産党が中華人民共和国を建て、55年から北京動物園でパンダが公開された。国民党は「反動政府」で「外国人のためにはいちいち便宜を図り、はなはだしきは贈り物」にしたが、共産党は違い、「自身の人民」にパンダをみせるとした。とはいえ、共産党の中国はソ連に支援された「恩義」があり、57年、モスクワ動物園に1頭贈った。同時期、中国は米国にもパンダを介した動物交換を真剣に検討していた。ただ、米国は対中禁輸措置をとっており、パンダなど動物の直接交換の妨げになっていた。禁輸を解きたい中国は「直接交換」にこだわり実現しなかった。

72年、ニクソン米大統領の訪中でパンダ外交は劇的局面を迎えた。大統領夫人も訪中に同行。夫人が煙草入れにパンダの絵があったのをみて周恩来に「可愛いですね」といった。周が「あげましょうか?」という。まさかパンダをくれるとは思わないので、夫人が「煙草をですか?」ときくと、周は「パンダをです」と答えた。そんな話が紹介されている。

以後、中国と国交樹立すると友好の証しとしてパンダが贈られるパターンができた。台湾は歯嚙みしたに違いない。同年、田中角栄の訪中と日中国交正常化で、中国は日本にカンカンとランランを贈ってきた。中国ブームが起きた。78~89年に「中国に親しみを感じる」と答えた日本人は7割前後。最近は2割だ。90年代は、天安門事件等で悪化したイメージをパンダが補修する外交が続いた。ただ、パンダは贈与でなく貸与になった。1頭年間約1億円ともいわれるレンタル料がしばしば問題になる。外国で生まれたパンダも所有権は中国とされる。2020年当時、日本のパンダは9頭。米国の11頭に次ぐ数だ。韓国・ドイツが4頭という(ザン前掲報告書)。

古代はラクダ・孔雀・オウムが東アジアの外交動物だった。今はパンダだが往時の人気はない。ただそんなことは、当のパンダには関係ない。今日もうまそうに笹を食べている。

【書き手】
磯田 道史
歴史学者。1970(昭和45)年岡山市生れ。国際日本文化研究センター准教授。2002年、慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現職。著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。

【初出メディア】
毎日新聞 2023年1月21日

【書誌情報】

中国パンダ外交史

著者:家永 真幸
出版社:講談社
装丁:単行本(ソフトカバー)(200ページ)
発売日:2022-10-13
ISBN-10:4065297273
ISBN-13:978-4065297278

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