中世日本の情景、人々の躍動を今に伝える国宝絵巻。練達の歴史家がその全貌に迫る

『一遍聖絵』の世界

『『一遍聖絵』の世界』(吉川弘文館)著者:五味 文彦

鎌倉時代の僧一遍の生涯を描いた国宝「一遍聖絵」。これまでも、様々な分野の専門家がこの絵巻と対峙し、その魅力を引き出してきた。
このたび『「一遍聖絵」の世界』を上梓した歴史家五味文彦は、絵巻の全体像に迫るべく、豊富な図版をもとに、
当時の人々の動きや自然の移ろいを辿りながら、その魅力を鮮やかに解き明かしている。
今回は、その「まえがき」を抜粋してお届けする。

国宝『一遍聖絵(いつぺんひじりえ)』(以下『聖絵』と称す)については、これまでに多くの研究がなされてきた。宗教史から、美術史から、文学史から、さらには風俗史・建築史・民俗学、そして社会史からの研究等々、実に多種多彩な研究がある。そのことは何よりも『聖絵』という史料の豊かさに起因する。

一遍が亡くなったのは正応二年(一二八九)八月二十三日、それから十年後の正安元年(一二九九)八月二十三日の一遍の命日に絵巻は完成した。全十二巻。現在、清浄光寺(しょうじょうこうじ・遊行寺)が所蔵し、断簡が東京国立博物館にあり、鎌倉後期の社会を活写していることから、多くの研究者が分析を進めてきた。

しかしいずれの研究も『聖絵』を部分的に扱うのみで、全体像が明らかにされていない。早くに編まれた『新版絵巻物による日本常民生活絵引』(平凡社、一九八四年)の詳しい「常民生活の描写」は、驚嘆に値するものであり、『聖絵』研究の水準を一気に引き上げた。だが、ヒトやモノの読み解きに徹していて、全体像に迫るまでには至っていない。

美術史研究では、その描き方や構図、鑑賞、絵師の関わり方などを明らかにしてきたが、全体像となると、もう一つである。他の研究もそれぞれの関心に沿って、『聖絵』の幾つかの段を取り上げて分析を試みてきた。筆者もまた、身体論や寺社縁起、地域社会との関わりなどから一遍の生涯を考えてきたのであるが、絵巻全体をきちんと見たわけではない。

その一方で、素材としての『聖絵』は、『日本絵巻物全集』(角川書店、一九六〇年)の発刊に続いて、『日本絵巻大成』(中央公論社、一九七八年)の刊行により手軽に全図像が見られるようになり、さらに『国宝一遍聖絵』(神奈川県立歴史博物館編集・遊行寺宝物館発行、二〇一五年)が編まれて、図版と関連史料、詞書の現代語訳が掲載され、全体像に迫るのに十分な環境が整った。

そこで本書は『聖絵』の全体像に迫ることを試みる。読み解きについては、多くの解釈があり、論争もあるが、それにはあまり立ち入らず、現段階で考えられる私見を記してゆく。

『聖絵』は「西方行人」聖戒が詞書を記し、絵を法眼円伊に、外題を世尊寺経尹に依頼してなった、絹本着色の豪華本で、詞書の下地にも赤・緑・黄色などの顔料が施されている。最終の巻十二の末尾に「一人の勧めによりて此画図をうつし、一念の信を催さむがために彼行状をあらはせり」とある。

「一人の勧め」によるものということから、その「一人」を「一の人」ととって、特定の人、すなわち摂関や院をさすとする見方があるが、これは「一念の信」と対で記されていることから、「ある人」の意と見るべきであり、多くの人の援助があって制作されたのであろう。

絵師の法眼円伊は、本絵巻以外に作品は知られていないが、相当な技量の持ち主と考えられ、やまと絵に宋画も学んだらしく、岩山・山岳の凸凹や質感を示す描法や遠近法を駆使している。そのため自然描写にすぐれていることから、山野や空、樹木・花・鳥・動物などにも目を凝らして見てゆく必要がある。大画面の中に極めて小さく、ヒトやモノを描いているので、社会の動きや雰囲気がよくうかがえ、これも丹念に見てゆきたい。

外題を書いた世尊寺経尹は、能書と知られる世尊寺流の正三位の公卿であって、『徒然草』百六十段に「勘解由小路の家の能筆」と見え、また鎌倉幕府の重臣金沢貞顕のために願文を書いている。詞書は数人の寄合書きと見られ、いずれも世尊寺流につらなる能書の人々の手になるのであろう。

絵巻制作は基本的には宗教的意図からなるが、それにとらわれ過ぎないように見てゆきたい。制作を援助した人物の立場を考慮する必要もあろうが、これにもとらわれず、絵と詞書に沿って見てゆきたい。大部の作品であっても精緻に描かれているので、一遍の足取りを辿りつつ、全篇にわたって、段ごとに詞書を要約し、絵はどのような構図でいかなるものが描かれていたのかを見てゆく。

これだけの大部の絵巻であれば、一遍が亡くなってすぐに十年をかけて制作されたものと考えられるので、この十年間の時代背景を記しておこう。

二度のモンゴル襲来をしのいだ北条時宗が弘安七年(一二八四)に急死した後、北条貞時が得宗になり、北条氏一門や外戚安達泰盛、御内人の平盛綱らがこれを補佐し、徳政政策が展開され、朝廷もそれに呼応して、亀山上皇が新制を出して徳政を展開した。

弘安八年に内管領の平頼綱が泰盛を滅ぼして専権を握ると(霜月騒動)、幕府は同十年に後宇多天皇の譲位を申し入れ、伏見天皇が位について後深草院政が始まるが、ここに亀山院に始まる大覚寺統、後深草院に始まる持明院統という、天皇家の家職継承を争う皇統対立が朝廷の政界を覆うことになる。

永仁元年(一二九三)に鎌倉で死者二万を超す大地震が起き、その直後に北条貞時が頼綱を誅殺して新たな体制を築いた。同五年、彗星の出現とともに、窮乏著しい御家人を救済する永仁の徳政令が出されると、訴訟人は鎌倉へ雲霞のごとく押し寄せたという。

京の朝廷では大覚寺統と後深草の持明院統の皇統対立が著しくなり、多くの貴族や幕府をまきこんでゆき、摂関家では近衛・九条・一条・二条・鷹司の五摂家の対立が著しくなるなど、貴族の家々はその家職の継承をめぐって対立するところとなった。

以上のような時代に『聖絵』は制作されたのである。

なお本書の出版は、清浄光寺の特別な配慮に基づくものであり、記して感謝したい。

[書き手] 五味 文彦(ごみ ふみひこ)1946年生まれ。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。

【書誌情報】

『一遍聖絵』の世界

著者:五味 文彦
出版社:吉川弘文館
装丁:単行本(126ページ)
発売日:2021-07-02
ISBN-10:4642083960
ISBN-13:978-4642083966

『一遍聖絵』の世界 / 五味 文彦

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