【ネタバレ】映画『すずめの戸締まり』ダイジンの隠された役割とは?ラストに繋がる伏線は?徹底考察

緊急地震速報のアラート音が怖い。なんの前触れもなく、スマホからけたたましい電子音が鳴り響く。この音を聴くたび、身がすくんでしまう人も多いだろう。新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』の中では、幾度となくアラート音が鳴り響く。映画館のスピーカーから流れる音で、これほど恐怖したのは初めてだったかもしれない。『すずめの戸締まり』は、東日本大震災を描いた映画である。特に震災を体験した世代の方々は、少なからず覚悟が必要だ。本記事では、本作が描きたかったことに触れつつ、環と鈴芽の関係性や、ダイジンの役割について考察していきたい。

『すずめの戸締まり』(2022)あらすじ

高校生の岩戸鈴芽(原菜乃華)は、幼いころに亡くなった母親の夢を見ていた。夢の中で、幼い鈴芽は母を探して叫び続け、廃墟の町を彷徨っている。目が覚めたとき、鈴芽は泣いていた。その日の朝、鈴芽は廃墟を探している青年・宗像草太(松村北斗)と出会う。忘れ去られた元温泉街の場所を教えた鈴芽だったが、草太のことが気になり、彼を追いかけひとりで廃墟へと入っていく。そして、廃墟の中にぽつんと放置された扉を見つけるのだった……。※以下、ネタバレを含みます。

鈴芽と環の関係性

本作でもっとも注目すべきは、鈴芽と環の関係性である。鈴芽は幼いころに母を亡くしており、それ以降、叔母の環とふたりで暮らしてきた。環は鈴芽の育ての親だが、“本当の親”ではない。そして、環にとっての鈴芽も、家族ではあるが“本当の子ども”ではない。お互いがその部分を意識しており、互いに気を遣って生活しているのが、現在の岩戸家なのだ。環の心情は、本作にインスパイアされて作られたRADWIMPSの曲「TAMAKI」を聴けば、手に取るように理解できるだろう。この楽曲は「あなたが嫌いだった」の一節から始まる。いきなり鈴芽に対する憎しみが語られるのだ。しかし、同曲の中には、こんな一節もある。
あなたがいなくなったら なんにもなくなったあなたこそが私がここに生きてた何よりの証拠だった(出典:RADWIMPS楽曲「TAMAKI」より一部抜粋)
環にとって鈴芽は、自分から可能性を奪った憎むべき相手であると同時に、生きていくための希望でもあった。子どものいない環にとって、鈴芽と過ごした12年間こそ、彼女が生きてきた証なのだ。この愛憎が入り混じった複雑な感情が、鈴芽への過保護にも繋がったと考えられる。一方、鈴芽の環に対する心情を的確にあらわした一文も紹介したい。
わざとじゃないけれど、お弁当を持たない日はほんのすこしだけ解放感がある。(出典:「小説 すずめの戸締まり」より一部抜粋)
これは小説版からの引用である。鈴芽は毎日環が作ってくれたキャラ弁を食べているが、心から喜べなかった。そこには「本当の親ではない」という心情ゆえの遠慮があるからだ。鈴芽は環に罪悪感を抱いている。「幼い自分が環の人生を邪魔したのではないか?」そんな疑問が、ふたりの間に溝を作っている。セリフで語られるシーンは少ないが、絶妙なところで“家族”を成り立たせているふたりの距離感は、映画を観ていれば伝わってくるだろう。しかし、これだけの理由では、「この映画は鈴芽と環の物語だ!」と断言するには心もとない。ここからは本記事でもっとも語りたかった、環と鈴芽、そしてダイジンの関係を考察していく。

ダイジンの隠された役割

本作におけるダイジンの役割とは、なんだったのだろうか。ダイジンは鈴芽を導き、ミミズを封じる手助けをしていたが、彼の役割はそれだけではない。本作が「鈴芽と環の物語」だとすると、ダイジンの隠された役割が見えてくる。結論から書くと、ダイジンは幼い鈴芽とシンクロするキャラクターだった。ダイジンと鈴芽の関係は、鈴芽が発した「うちの子になる?」の一言から始まった。この言葉は、環が鈴芽を引き取ることに決めた際の台詞とリンクする。その後、ダイジンは鈴芽から草太を奪うが、幼い鈴芽も環から婚期や自由を奪ってしまった。極めつけは、映画中盤の互いを拒絶するシーンだ。鈴芽は皇居の地下にて、草太を要石に変えたダイジンを、強い言葉で拒絶する。一方、環はサービスエリアで、鈴芽に対する本心を吐露。サダイジンの影響があったようだが、鈴芽を拒絶してしまう結果になった。ダイジンと幼い鈴芽の共通点は、どこまでも無邪気で、そこに悪意がない点である。一見、悪役にすら見えるダイジンだが、行動原理は“鈴芽に対する好意”だけだった。ダイジンは、邪魔者(草太)を排除することで、鈴芽とふたりきりになろうとした。幼い鈴芽も無意識に、そして無邪気に、環から大切なものを奪っていたのかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、「うちの子になる?」と発したのは、環だったし、鈴芽だった。このように、鈴芽は物語の中で、環の半生を追体験している。表面上は椅子になった草太と鈴芽のロードムービーだが、その裏では、ずっと環と鈴芽の関係性が描かれていたのだ。「ダイジン=幼い鈴芽」と考えれば、理不尽に思えたダイジンの行動が理解できるだろう。子どもは、時に残酷で、時に理不尽なものである。

序盤から張り巡らされた伏線

冒頭の映像と鈴芽の母

本作は、幼い鈴芽が常世を彷徨っているシーンから始まる。母の名を呼び続けた鈴芽は、ついに“母と思わしき人物”と巡り会う。この光景は成長した鈴芽の記憶に刻まれており、劇中で何度も登場する。しかし、“母と思わしき人物”は、成長した鈴芽だった。幼い鈴芽は未来の自分を母だと思い込んでいたのだ。さらに、常世で鈴芽が着ていたワンピースは、物語序盤から草太が着ていた白いロングシャツである。実は冒頭数分のシーンだけで、ラストの展開に関するヒントが全部出されていたのだ。

初対面の草太を“知っていた”

映画冒頭、鈴芽は初対面の草太に対し、「どこかで会ったことがある」との印象を抱いていた。この妙な引っ掛かりが、鈴芽を廃墟へ導き、旅に出るきっかけとなる。では、鈴芽と草太は過去に出会っていたのか? その疑問の答えも、ラストの常世にあった。常世は「すべての時間が同時にある場所」だ。過去も未来も、すべてがひとつになっている。鈴芽は幼いころ、常世の中で草太と未来の自分の姿を見たのだ。その記憶は12年経っても、鈴芽の中に残っており、「どこかで会ったことがある」に繋がっていく。

行方不明になっていた椅子

草太が変身させられた3本脚の椅子は、鈴芽の母の形見だった。しかし、鈴芽が幼いころに1度失くしている。実際には“失くした”というよりも、津波に流されてしまったのだ。そして、死者の世界である常世へと流れ着く。先述したとおり、常世は過去と未来が同時に存在している場所だ。映画のラストで、成長した鈴芽は、常世に漂着していた椅子を発見し、幼い自分自身に渡す。鈴芽は覚えていなかったが、失くした椅子は、未来の鈴芽によって発見されていたのだ。

新海誠が考え続けた、震災。

日本中を熱狂させた『君の名は。』と『天気の子』は、災害を間接的に描いた作品だった。彗星の落下や、大洪水を描きながらも、その災害で苦しんでいる人たちを描いていない。むしろ、災害が日常に変化していく様子を描いており、被災者に関しては淡白な描き方だったといえるだろう。しかし、『すずめの戸締まり』は違う。「新海誠本」にもあるように、本作は東日本大震災を直接的に描いた作品だ。鈴芽は震災の被災者であり、その経験は彼女の死生観にも繋がっている。草太の祖父・羊朗との会話の中で、鈴芽は「生きるか死ぬかなんてただの運」と語るが、まだ高校生の鈴芽にそう思わせるだけの影響が、震災にはあったのだ。「新海誠本」の中で、監督は本作に対して、こう語っている。
観客の中にも、この映画を観ても震災を連想しない方が1/3から半分くらいはいるんじゃないでしょうか。だからこそ、今のうちにこの映画を作らなければいけないという思いはありました。
これからの時代、震災は“経験”から“知識”に代わっていく。震災そのものが、教科書の中の出来事になってしまう日もくるだろう。しかし、東日本大震災はたった12年前に、この日本で起きた。そして、現在も3万人を超える人々が、避難生活を余儀なくされている。被災者である鈴芽が見る常世が、12年間ずっと燃え続けていたように、震災はまだ終わっていないのだ。また、新海誠監督作品の特徴として挙げられる“写実的な風景”への拘りは、本作では一味違ったカタルシスをもたらしている。鈴芽たちはダイジンを追って北上していく旅の道中で、開いてしまった後ろ戸を閉じるため様々な廃墟を巡る。後ろ戸は、廃墟となり人々に忘れ去られた土地で開く。つまり、何かしらの不幸が起きた土地だ。ボロボロになった建物や瓦礫を、監督はその手腕で美しい風景として描きつつ、私たちは鈴芽を通して、その美しさが内包する不条理を直視せざるを得ない。鈴芽の故郷である宮城県に向かう道中、芹澤は「このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな」と語る。すずめはその言葉にハッとし、「綺麗?ここが?」と呟くように返す。“被災者”である鈴芽と、部外者である芹澤の、被災地に対する“見え方”の違いをこのシーンで明確に描き出すことにより、震災の記憶が薄れつつある人々に“まだ終わっていない”ことを告げる。現在『すずめの戸締まり』の地震描写に対しては、少なからず批判の声も上がっている。確かに、緊急地震速報のアラート音や、地鳴りは、耳を塞いでしまいたくなるほどリアリティーがあった。あまりの辛さに、映画を観ていられない方もいたはずだ。震災が起きた日、筆者は中学生だったが、同級生の悲鳴が上がる中、校庭へ避難した恐怖を今でも思い出す。しかし、忘れてはならない。その「いってきます」には、「ただいま」があるはずだった。その日も、いつもと変わらない日常があるはずだった。大切なものが、一瞬で消えてしまったあの日を、私たちは忘れてはならない。そんな確固たるメッセージが、この映画にはある。そして、そのメッセージは、これから生まれてくる“震災を知らない世代”にも受け継がれていく。そういう映画を、新海誠監督は、作ってくれた。

『すずめの戸締まり』作品情報

脚本・原作・監督:新海誠キャラクターデザイン:田中将賀公式サイト:https://suzume-tojimari-movie.jp/(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

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